夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える
夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第6話「第5章」
夜の倉庫は紙とのりと汗の匂いで満ちていた。蛍光灯の白が長机の上の和紙を紙吹雪のように照らし、指先についた糊がかすかに光を反射する。朝比奈玲は、折り目を一度、二度と確かめながら小さな金魚の提灯を折っていた。軽い紙の裂ける音。夜風が隙間から吹き込み、揺れるのりの匂いが窓に貼られたビニール越しに薄く流れる。
夜の倉庫は紙とのりと汗の匂いで満ちていた。蛍光灯の白が長机の上の和紙を紙吹雪のように照らし、指先についた糊がかすかに光を反射する。朝比奈玲は、折り目を一度、二度と確かめながら小さな金魚の提灯を折っていた。軽い紙の裂ける音。夜風が隙間から吹き込み、揺れるのりの匂いが窓に貼られたビニール越しに薄く流れる。
「玲さん、まだいるのかしら」——市川絵里子の声は、いつものように震えていた。彼女は肩にバッグをかけたまま、机の端に立った。手の中に小さな折り紙を丸めている。顔に赤みが差していて、まぶたは睡眠不足のせいか少し腫れている。
玲は顔を上げ、絵里子に微笑んだ。微笑みは、無理に作ったものではなく、ちゃんと伝わるものだった。委員会の中では年上だが、彼女はいつも「手伝ってくれてありがとう」と言ってくれるからだ。
「試しにこれでやってみる? 二人で折って、あなたの気持ちをこの折り紙に残す。折ったものを相手の机にそっと置いておけば、向こうは――」
絵里子は続けようとして言葉を詰まらせた。高杉翔太。彼女の片想いの相手の名は、倉庫の空気に浮かんでいた。
玲はうなずき、指先を動かした。共同制作にだけ残る「痕跡」を使うのはいつもの手順だ。二人が同じ時間に同じものをつくる。言葉は挟まない。考えや願いを枠にはめず、行為だけを重ねる。そうすれば、相手に伝わる余地が残る。玲の能力はそれだけだった。直接読むことはできない。だが二人の間に作られたものには、どことなく残響が宿る。
「最初は簡単なのがいいよ」と玲は言った。「折り方を決めすぎると、かえって効かなくなる。どんな気持ちでも、相手に委ねる余白が必要なんだ」
絵里子は俯き、口ごもる。手の中の折り紙をぎゅっと握っていた。
「でも……ちゃんと伝わってほしいの。『好き』って、はっきりさせたい。曖昧なままじゃ意味がないって、思うから」
その言葉に、玲の胸が小さく締めつけられた。相手に「はっきり」させたいという気持ちはよくわかる。だがその「はっきり」は、彼女の能力の天敵でもあった。「決めつける」ことは、痕跡を消す。
玲は静かに紙を折りながら、実験を始めるつもりだった。最初の試作品で制約を体感してもらいたかった。だが絵里子の焦りは深く、言葉は吐き出される。
「折り方はこうして、『今すぐ告白して』って書き込んで。表に『好きです、好きです』ってはっきりして。こうすれば向こうが気づいて、昨日みたいにすれ違うこともなくなる――お願い、玲さん、時間がないの」
絵里子の声は震え、頬を伝う涙を指ではじいた。玲は彼女の目を見る。そこには単純な願いだけがあった。守りたいという気持ちと、自分で踏み出せない情けなさ。
玲は一呼吸置いて、ゆっくりと首を振った。「無理。というか……やってみるけど、やり方は私に任せて。あなたがその折り紙に『こうして』と決めつけると、逆に何も残らなくなる。私がするのは、あなたの行為を媒体にすることだけ。言葉で形作るのではなくて」
絵里子は一瞬、戸惑いと怒りとが交錯した顔をした。すると倉庫の奥から足音が近づいた。久保田翔が、腕まくりしてやってきた。黄昏の顔に汗が光っている。小山田奈緒と藤井誠も、封印された段ボールを片手に現れた。作業を手伝いに来たのだ。
「何してる? まだ試験中?」久保田はにやりと笑って、木の椅子に腰かける。「おれ、見届け人。えりこ、がんばれよ」
小山田は腕を組み、眉をひそめる。「丁寧にやりなさいって言ってるでしょ。焦りは禁物よ」
倉庫の空気は一瞬、ピリリと張りつめた。絵里子は折り紙を差し出し、言葉少なに「お願いします」とだけ言った。玲は手を伸ばして折り紙を受け取り、彼女と同じ折り方で静かに折り始める。二人の指先が隣り合い、ほんのわずかに触れる。関節の温度が伝わる。共同制作の始まりだ。
折り目が増え、紙が立体になっていく。彼女たちの息が合う。玲は思いを呼び込む。恥ずかしさ、焦燥、守りたいという決意。だがその気配を「言葉」にしない。形を乱さず、余白を残す。
出来上がった折り鶴は、光を受けてかすかに揺れた。玲は息を吐き、手の甲で額の汗をぬぐう。何かが収まったような気配が、胸の奥にひろがる。だが、絵里子はまだ不安そうだ。
「これで行く? 少しでも変化があれば、明日声をかけるのね?」
玲が頷こうとしたとき、絵里子がその折り鶴を持ち上げ、紙の表面に小さな文字を書き込み始めた。鉛筆の音が倉庫に響いた。「私からのメッセージ」と言わんばかりに、赤いサインペンで『好きです』と二度、押し付けるように書いた。
鉛筆の黒と赤の線が、折り鶴の白を裂いた瞬間、玲はぞくりとした。手の中にあった温度が、ほんの瞬間だけ鈍くなった。紙の繊維が、吸い付くように冷える。痕跡はそこにいられなくなった。
「だめ……」玲は低くつぶやいた。言葉にすること、明確に区分すること、それらが痕跡を奪う。誰かの想いを「こうである」と決めてしまうと、能力は反応しない。絵里子は呆然とし、筆先を手の甲で拭った。
「どういうこと?」久保田が眉を上げる。藤井も傍らから身を乗り出す。
玲は丁寧に説明した。言葉を込めすぎれば、相手に届く“余白”が消える。共同制作は、相手がどう受け取るかの可能性を残すことに意味があるのだと。
「じゃあ、どうすれば――」絵里子の声はますます小さくなる。
そこで久保田が、あろうことか言葉を早めた。彼は腕を組み、いたずらに笑った。「時間がないなら、数で勝負だ。明日の朝までにたくさん作ればいい。量で穴を埋める。複数の折り鶴に同じ気持ちを入れれば、どれかが当たるかもしれないだろ?」
小山田の顔が青ざめる。「それは違う。質が必要なのよ。共同制作を雑にすれば、作品が壊れるだけだって――」
久保田は肩をすくめる。「リスクを取るのが嫌なら、誰か他の手を探せばいい。俺は使うべきだと思うけどな。誰かを守るためなら」
その言葉が鞭のように倉庫の空気を打った。守るために使うべきだという主張と、控えるべきだという主張の溝が、そこに生まれた。
意見をすり合わせる余裕などなかった。時間は残酷に迫る。絵里子は涙をこらえ、決断できずに震えている。だが久保田の提案に気持ちが傾きかけた瞬間、玲は違和感を覚えた。共同制作は、ただ作業を分割することではない。互いの息遣い、瞬間の共有、そのうえで出来上がるものに宿る「痕跡」だ。数をこなしても、強制された思いを書き付けても、意味は生まれない。
「急がないと」と藤井が言った。「でも、雑にするのは……」
結局、押し切られるかたちで彼らは「スピード作戦」を選んだ。言い争いの疲労が、逆に行動を速めさせたのだ。倉庫の角に積まれた和紙を無造作に開き、のりと竹ひごを取り出す。作業は機械的になった。手先の動きは早くなり、雑になり、呼吸は浅くなる。
玲は最初から感じていた違和感を押し殺して作業を続けた。共同制作の過程で「余白」を守ることを忘れ、速度が支配した。折る音は早く、折り目は揃っていない。のりは乾き切らず、竹ひごの接合が甘い。だが、作ること自体が目的になってしまった。
それは、壊れるための条件を揃えただけだった。
一つ目の提灯が完成した瞬間、竹ひご