夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える

夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第5話「第4章」

窓の外、薄暗くなった夏空がコンクリートの屋上を紫に染めていた。実行委員会室の蛍光灯は冷たく、机の上にはちらばった手作りの紙垂や提案書、厚めの封筒が山になっている。汗ばんだ指先でボールペンのクリップを回す音が、会議室の低いざわめきの合間に、やけに大きく聞こえた。

窓の外、薄暗くなった夏空がコンクリートの屋上を紫に染めていた。実行委員会室の蛍光灯は冷たく、机の上にはちらばった手作りの紙垂や提案書、厚めの封筒が山になっている。汗ばんだ指先でボールペンのクリップを回す音が、会議室の低いざわめきの合間に、やけに大きく聞こえた。

「噂を利用して得をする人間がいるんです」瑞月(みづき)が、まっすぐに私を見た。「それを放置するのは、被害者を守るどころか、見せ物にすることになる」

私、佐伯瑠海(さえきるみ)は、視線を避けるように小さくうなずいた。瑞月の言葉は、先週の夜に彼女が見せてくれた、被害者の目の震えを思い出させる。彼女はいつも、誰かの痛みを切り裂いて言葉にする。尊敬と恐れが混ざった感情が私の背筋に冷たく流れる。

「だから、技能の運用に関するルールを作るべきだ」委員長の高畑が静かに言った。「外部への公表、データの扱い、誰が使えるか。明文化しておけば抑止になる」

その一言に、空気が一つの針のように張り詰めた。決まりにすれば守れる。しかし同時に、決まりは誰かの手で運用され、誰かの都合で利用される。私はその端に立っている。私の手で、誰かの感情の痕跡を「見える化」できるということを、委員達はすでに知っている。だがそれをルール化するかどうか——とりあえずの答えを、今ここで出せと言われているようだった。

「ルール化は管理と監視を生むだけです」中村翔子が声を震わせた。「被害者が自分の声を上げられなくなる。私達が守るべきは、個々の選択じゃないですか?」

「でも混乱が広がれば祭り自体の継続が危うくなる」広報の林が書類を指し示す。彼のノートパソコンの画面には、上から下まで文字の詰まった文書が開いていた。私にはわからない言葉が画面を埋めているが、「評判」「損失」「透明性」といった見慣れた語が行間から浮かび上がった。

議論は膨らんでいき、声が重なり、誰かがたたいた手の平がテーブルを震わせた。その拍子に、私の前に置かれていた小箱がゆっくりと傾き、紙の端が床へ滑り落ちた。箱は、今朝前夜祭の小さな展示用に作られたものだ。木地に和紙を張り、二つのサークルが組み合わさった小さな守り札――志保と春人が共同で手を入れて仕上げた、わざとらしく可愛らしい品だ。

「あれ、瑠海さん、あの箱で確認できるんですか?」高畑が促す。議論の決着をつけたいのだろう。視線が私に集中した。私は両手の間にある空気の重さを感じながら、深く息を吸った。

手を伸ばし、箱を拾う。指先に和紙のざらつき、接着剤の匂い、木の温度が伝わってくる。志保の小さな指紋の凹み。春人が無意識に押し当てた爪跡。――それらが共同制作の痕跡だ。

私は掌をそっと箱の平らな面に添えた。能力を呼び出すときの、いつもの静かな儀式だ。目の奥に冷たい光が差し、世界が音のない層に分かれる。箱の上に、色が滲むように現れる。薄茶の糸、青磁色の光、細い赤の線。私の感覚は、その色たちに名前をつけようとするが、すぐに誰かの声が割り込んできて、色は震えた。

「赤は恋情でしょ」林が軽く言った。誰かが単純なカテゴライズを欲している。高畑がうなずき、もう一つの視線が寄る。「それがあれば責任を取れる」

言葉が色に押し付けられた瞬間、視界が砂を噛んだように曇った。赤がぼやけて、青磁の輪郭が崩れる。決めつけられた意味は、色の隙間にひびを入れる。私の頭に鈍い痛みが刺さった。

「見えない――」私は小さく漏らした。胸の奥が冷える。能力は私個人の直感であると同時に、共同制作そのものの状態に依存する。誰かが一方的にラベルを貼ろうとすると、その「痕跡」は抵抗するのだ。私はそれを知っている。だが、それを他人に説明する力は、まるで薄紙のように柔らかくて、裂けやすい。

「じゃあ――じゃあ今、二人にここで一緒に作ってもらって、それを試せばいいんじゃないか?」沼田が意地悪に提案した。曖昧なまま議論を引きずるより、実験で白黒をつけようというのだ。空気は一層冷たくなった。志保と春人は顔を見合わせ、二人とも困惑の色を浮かべている。彼らは学生でも同僚でもない。祭りのボランティアとして参加した、一市民のカップルだ。

「急がせないでくれ」志保が小声で言った。彼女は手を強く握りしめ、指の関節が白くなるのが見えた。

「大丈夫だ。軽いものを一つでいい。共同で一つの札を作ればいいんだ」高畑は笑顔で押した。集団の圧が、二人の肩を押す。私は自分がどこでこの力を行使しているのかを考えた。強制された共同作業からは、何も残らない。それは私がこれまでに何度も見てきたことだ。急ぐ手と作られた笑顔は、痕跡の結び目を裂く。

志保が手を引っ込めようとしたとき、瑞月が立ち上がった。彼女は資料の山の上に手を置き、紙片をめくりながら言った。「やり方を変えよう。ルールじゃなくて、守る仕組みを作る。被害にあったと感じた人が、いつでも来られる場を。強制ではなく、選べる入口を」

その言葉に、一瞬、空気が静まる。守る仕組み。私はその響きに心が動いた。ルールは外側からの枠組みだが、仕組みは中から育つものだ。だが育てるためには時間と、参加する人の意思がいる。ここでの誰かの「効率」を切望する声は、その時間を待たない。

「でもそれじゃ抑止にならない」林が即座に反論した。「第三者に証拠を提出できないと、噂を使う人間にとって脅威にならない」

「抑止だけが目的なら、私たち実行委員会が監視役になればいいって話になる」翔子は吐き捨てるように言った。「それは委員会の本来の役割を越えている」

私の手が、また紙の縁に触れた。震えが伝わってきて、私は小さく息を吐いた。箱をもう一度手のひらに乗せ、今度は静かに志保と春人の方を見る。二人の顔には、急かされることへの戸惑いと、どこか期待とが混ざっていた。彼らの関係はまだ脆弱で、私の力でそれを押してしまったら、戻せないものが出るかもしれない。

「わたしに一つだけ提案をさせてください」瑞月が床に膝をつくようにして、低く言った。「運用ルールを作る代わりに、『守りの同意』をつくりませんか。参加を選べる、時間をかけて作る共同制作の場。ここで痕跡を確認するのは、出てきてくれた人の意思による。強制や公開を前提にしない。瑠海さんの技能は、そうした場でこそ意味を持つ」

その提案は、机の上の散らばった素材に風が吹き抜けるように作用した。私の中で、決まりか仕組みかという二択が、初めて重なった。ルールは一見簡単で見やすい。だが仕組みは、ずっと面倒で、手間がかかって、誰かを待つ。だが同時に、そこで育まれるものは、取り上げられにくい。

「でも時間がかかる」沼田は言った。「来年の祭りまでに何とかしないと」

「私たちが守ると宣言すること自体が抑止になります」瑞月は静かだが揺るがない。「そして、それは委員長や役職の監視でも、外部の手段でもない。私たちで作るから、守れる」

その時、林のノートパソコンが音を立ててスリープから復帰した。画面の隅で、新着メールのプレビューがちらりと表示される。そこに書かれていた件名が、私の目を吸い寄せた。「祭り運営における透明性強化案—学生委員会(参考)」

その短いフレーズが、部屋の空気を一瞬で冷たくし