夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える
夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第25話「第23章」
汗と糊の匂いが混じる作業場の奥、蛍光灯の淡い光が積まれた提灯の束に影を落としていた。早瀬海斗は、掌に残る膠の感触を無意識に確かめながら、半分出来上がった朱色の提灯を前にして固まった。糸で綴じられた和紙の縁に、先ほどついた焦げ跡が小さく黒く残っている。まだ温かい。
汗と糊の匂いが混じる作業場の奥、蛍光灯の淡い光が積まれた提灯の束に影を落としていた。早瀬海斗は、掌に残る膠の感触を無意識に確かめながら、半分出来上がった朱色の提灯を前にして固まった。糸で綴じられた和紙の縁に、先ほどついた焦げ跡が小さく黒く残っている。まだ温かい。
「大丈夫?」と声をかけたのは瀬良七海だった。彼女の声は低くて、でも決意のある音だった。隣で藤森愛子は、顔を伏せたまま紙を撫でている。愛子の指先に糊がついていた。海斗はその指先を見て、胸の奥が押し潰されるように熱くなった。彼女の片想いを代行する——それが彼の仕事であり、最も守りたいはずのものだった。
だが、今はそれより目の前の炎が先に来た。提灯の一部を箸で抑えようとした時、海斗は無意識に能力を働かせた。二人で作ったものには、二人の痕跡が残る。彼は過去の経験から、共同制作の縁に触れれば、その人の痕跡の輪郭が薄く光って見えるはずだと知っている。そうすれば、愛子の気持ちも、どこまで行っているのか測れる——そう思った。
しかし、視界の端にほんのわずかな疑いが走った。「これって好意なのか、それともただの慣れか?」と定義してしまった瞬間、光はにじんで消えた。海斗の胸に冷たい感覚が落ちて、視界全体が歪む。目の前の和紙の文様が波打ち、音が遠のいた。糊の匂いだけが濃く、舌先に塩のように苦い。
「海斗、大丈夫?」七海が手を伸ばした。彼は視線を合わせられず、反射的に「うん」とだけ答えた。だが、内側では何かが壊れていった。能力にはいつも決まりがあった——痕跡を勝手に決めつけると見えなくなる。急いで結論を出せば、共同制作そのものが壊れる。その代償を、今、払っていた。
焦げた紙の端が新たに赤く光った瞬間、細い火が返り、和紙を走った。ぱちり、と小さく音がして、火は次の瞬間に盛り上がった。横に置いてあった提灯の束へと炎が飛び移る。作業場にいた全員の動きが一斉に速くなる。森拓海がバケツを掴み、七海はシーツを掴む。愛子は泣きそうな顔で後退し、海斗はなぜか手が痺れて動かない。
「早瀬、手を出せ!」拓海の声に我に返った海斗は、呆然としたまま炎に向かった。勢いよく紙を押さえつけようとしたが、熱で指先が痛み、掌に熱さが刺さる。指に小さな水疱が出来るのを感じた。痛みが鮮烈すぎて、もう一度視界が暗く落ちる。だがそこに、ふわりとした感触が入った──誰かの手が自分の手首を強く掴んだのだ。七海の手だった。
「無茶しないで!」彼女の声は短く、苛立ちと安堵が混じっていた。七海の手は冷たく、確かな力で海斗を引いた。二人で押さえた紙は、勢いで破れ、糊まみれの端がばらばらと床に落ちる。共同で作るという行為が、物理的に破られた瞬間だった。痕跡は蒸発する。海斗の胸にぽっかりと穴が開いた。
消火の後、作業場は静かだった。誰もが息を切らせ、灰と和紙の粉が空気に舞っている。手のひらの水疱は熱かった。海斗は膝をついてその感触に集中した。自分のせいで壊したこと、急ぎすぎたことが頭の中で反復する。彼は能力に頼ることで、人の気持ちを測ろうとした。だがその「測る」という行為自体が判定になってしまい、痕跡は消えた。失敗の代償がここにある。
「これはまずいわよ、明日の点検に間に合わない」作業場の入口に現れた星野誠一が、冷ややかな声で言った。彼は祭り本部の代表で、制度側を体現する人物だ。胸の中のバッジが光る。星野の目は曇りなく、秩序を好む刃のように尖っていた。
「火の元管理が甘い。委員会としての信頼が揺らぐ」と続けた。星野は詳しいことを説明するような間も与えず、メモを取り、既存の基準に照らして指摘する。彼の言葉は制度の鉄槌だ。「恋愛に関する表現は公序良俗に従い、評価の容易な形で管理すること」と彼は淡々と言った。その言葉は、海斗の胸の中で金属音を立てた。制度は恋愛を可視化し、評価可能にすることで「安全」を保ってきた。海斗の目の前で、それは冷たい確かさをもって存在している。
「じゃあ、どうするつもりだ?」星野は最後に海斗をじっと見た。彼の視線は、まるで海斗の行動を迅速に裁定するかのようだった。海斗は答えられなかった。言葉を発すると、また痕跡を決めつけてしまう恐れがあったからだ。沈黙が長く感じられた。
その時、愛子が静かに立ち上がった。和紙の粉が肩にかかって、彼女は小さな声で言った。「私たち、自分たちで直します。明日の準備は全部私たちでやる。たとえ制度が何と言おうと、私たちのやり方で祭りを作りたいんです」
言葉の端に震えがあったが、その目は確かに揺れていなかった。七海はその言葉を受け、「そうよ。私たちが決めるの」と続けた。拓海は腕を組みながらも、黙って頷いた。星野は一瞬不快そうな顔をしたが、最終的には「記録に残します」とだけ言って退場した。制度は耳を貸さなかったが、企画は消えたわけではない。
海斗は呆然としながらも、床に散らばった破片の中から使える和紙を集め始めた。手のひらの水疱が痛む。痛みは現実を引き戻す。彼は自分のせいで何かを壊したのだ。能力の代償が単なる視界の喪失ではなく、周囲の信頼と物理的な作品の破壊として返ってきた。その代償を、今、支払っている。
「早瀬くんは……無理しないで」と愛子がそっと言った。その声は以前よりも柔らかかった。海斗はそれを聞いて、ぎこちなく笑った。だが、その笑顔の端に自責と決意が混じっているのを、自分でもわかっていた。
作業を進めるうちに、海斗は小さなことに気づいた。壊れた提灯の端に、かすかな指紋が残っている。二人で作っていた部分にだけ、淡い油墨のような模様が浮かぶ。それは海斗の能力が完全に消滅したわけではない証拠だった。ただし、以前と違い、輪郭がぼやけていて、ある瞬間には消え、ある瞬間にはかすかに現れる。決めつける代わりに、彼はそれをただ観察した。名前をつけないで、ただそこにある温度や凹凸を触るように見つめる。
すると、手のひらの痛みが少し和らいだ。視界はまだ揺れているが、共同で指を伸ばして和紙を貼る瞬間、ふっと何かが重なった感覚が胸に来た。愛子の指と自分の指が同時に糊に触れ、和紙の縁を押さえた時、二人の痕跡が和紙に穏やかな模様を刻んだ。海斗はその模様を見て、初めて確かなものを感じた。それは「好きだ」と決めつけるような断定ではなく、「ここに一緒にいた」という証だった。
「こうやって作るんだよ」と七海が言った。「決めるんじゃなくて、作る。話し合って、手を動かして、壊さないように少しずつ。」
その言葉に海斗は従った。彼は息を整え、ゆっくりと和紙を伸ばし、糊を薄く塗り、愛子と一緒に指を滑らせた。急がない。共同作業は遅い。だが遅さの中に、確実さが生まれる。その確実さが、制度の評価を超える何かを作ると海斗は思った。
夜が深まる頃、作業場の窓からは祭りの提灯ではなく、街灯の冷たい光が差し込んでいた。再生された提灯が幾つか吊るされ、和紙には淡い手形や文字が浮かんでいる。海斗はまだ完全には見えていないが、その手形が風に揺れるたびに、小さな暖かさが胸を満たした。
だが、それと同時に、新しい事実が彼らの前に立ち現れた。七海がふと、倉庫の隅に置かれていた金属製の箱に気づいた