夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える
夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第22話「第20章」
体育館の照明は、祭りの前夜らしい不安定な明るさで、蛍光灯がところどころチカチカと瞬いていた。床に散らばる竹ひごと障子紙の白い粉、接着剤の甘ったるい匂いが混ざって、汗と湿気の匂いが奥に溶けている。真鍋颯太は、組み立て途中の小さな提灯の縁にかがんでいた。紙が裂けかけている。細い竹の端が、馬場雫の掌に浅くささって血がにじんでいた。
体育館の照明は、祭りの前夜らしい不安定な明るさで、蛍光灯がところどころチカチカと瞬いていた。床に散らばる竹ひごと障子紙の白い粉、接着剤の甘ったるい匂いが混ざって、汗と湿気の匂いが奥に溶けている。真鍋颯太は、組み立て途中の小さな提灯の縁にかがんでいた。紙が裂けかけている。細い竹の端が、馬場雫の掌に浅くささって血がにじんでいた。
「痛い……すみません、颯太さん、私のせいです」雫は顔をしかめて、袖で自分の掌をぬぐう。薄い血の匂いが、紙の接着剤の匂いに混じり、颯太の鼻の奥を突いた。雫の手のひらに残る震えを見て、颯太の胸がぎくりと収縮した。手を差し伸べたが、彼女は首を振って拒んだ。
「いいよ、俺が押さえてたから。すぐ止まる」颯太は平静を装っているつもりだった。だが彼の指先は、紙の端に残された指紋の痕を掠めるように触れた——二人で貼ったはずの痕。その瞬間、見えるべきはずの色が揺れた。なつかしい軋みや、低い笑い声、青い川縁の光。けれど像は薄く、輪郭が霧のように溶けていく。
能力が働くとき、彼には「痕跡」が視える。共同で作られたものにだけ残る、触れた人々の痕跡。だがその像は決して言葉を告げない。においも、温度も、音も混ざった短いフラグメントだ。彼はそれを読み取って、言葉に置き換え、相手の気持ちを助けようとしてきた。代行——雫の片想いを、それが叶うように手助けするというやり方だった。
しかし今夜は違った。裂けた紙から見えたのは、ふたりのぎこちない指先が重なる瞬間と、雫が押し殺した焦り。それだけでは結論が出ない。颯太は、確信を持ちたくて、勝手にそれを補おうとしてしまった。脳内で勝手に言葉を挿入してしまう、――「彼は君を好いている」――そう決めつけるほど、像は逆に霞んでいった。薄い青が黒ずみ、もともと断片だった音は途切れ、最後には白いノイズのように消えた。
「見えなくなった?」小野春斗が、額に汗を滲ませながら颯太の背中越しに訊く。春斗の声に、体育館の蛍光灯の hum が重なった。
「いや……決めつけてしまった」颯太は喉を鳴らした。胸の奥が乾いて、言葉が途切れる。能力の代償を身体で感じていた。決めつけた瞬間、彼の視覚は白くなり、頭痛のような音が鳴って、痕跡そのものが逃げていく。彼はこれまで何度も学んでいたはずだ。痕跡は「問いかけ」を伴った観察で最も鮮明に残る。答えを押しつければ押しつけるほど、痕跡は薄れる。
「颯太さん、無理しないで」君島芽衣が言い、毛羽立った紙の端を慎重に摘まんで包帯を取り出した。芽衣の動きは早くて、しかし確かだ。彼女は組織の中で一番現実的な人間だった。プランを数字に落とすのが得意で、誰かを守る時は必ずルールを作った。
「手を、綺麗に消毒しよう。血が紙に移らないようにしないと、提灯が痛む」芽衣は言いながら、包帯を雫の手に巻いた。雫は息を吐いて、それから小さく笑った。ぎこちない笑いだった。「私、やっぱり自分でも作りたいって思っただけで……颯太さん、ありがとう」
颯太は微かに首を振った。本当は、雫のありがとうが重かった。彼は代行して「作る」ことで痕跡を得て、その痕跡を手繰って雫の気持ちを形にするつもりだった。だが今夜の失敗はそれを痛烈に教える。早く結果を出そうとするほど、共同制作は壊れ、手触りの奥に潜んだものは剥がれ落ちる。
「広報の連中がうるさいんだよ」中村瑛が、端の折れた椅子に肘をついて呟いた。広報担当の中村は、社内で祭りを商品に変えたがる人間の代表だった。彼の表情は苛立ちと焦燥で硬い。彼は今月上層部へのレポートで「社員の絆を示す写真」を必要としている。顔は笑い、身内の恋情をイベントの話題にしてしまう。
「『ベストラブストーリー』って企画、外部からも持ち込まれたんだ。明日にはプレスが来て、ストーリー性のある提灯を撮るよう指示が来てる」中村の言葉は、頬に冷たい風が吹きつけたように、皆の背筋を走った。
「やめてください、そんなの」芽衣は眉をひそめた。「人の感情を勝手に評価軸にするのは、私たちが守ろうとしているものとまったく逆です」
「でも、広報が煽れば人も来る。予算も戻ってくる」中村が反論する。彼は数字でしか語れない人間だ。祭りを成功させなければ、委員会の立場が危うくなる。だが、その「成功」の尺度が恋愛の可視化を含むとなれば、個人の選択の場が薄くなる。
雫は黙って、床に置かれた提灯の破片を見つめていた。彼女の唇が震えているのを、颯太は見逃さなかった。代行の依頼をしてきた当人でありながら、彼女自身が自分の気持ちを語らない。颯太は、自分がその沈黙を守ろうとしていたのか、それとも利用していたのか、分からなくなっていた。
「颯太さん、本当に代行でいいんですか?」芽衣が尋ねる。声は低く、真剣だった。「代行って、本当に『彼の代わり』になれているんですか? 相手のためになるなら──」
颯太は息を吸った。体育館の空気は熱を帯び、夜の湿気が服にまとわりつく。自分の手の甲に、紙の粉が白く着くのを感じた。過去に彼がした「小さな代行」のリストが頭の中を走馬灯のように流れた。届け物、差し入れ、二人きりになれる仕事の割り振り、些細な共同作業の演出。彼の意図は善意から出ていた。だが、その善意が他者の選択を奪ってはいなかったか。
「俺は……代行だと思ってた。だけど、代行というより、避けてしまったその後を預かってるだけかもしれない」颯太はポツリと呟いた。「痕跡は見える。でもそれを『こうだ』って決めてしまうと、そこに残るものは消えていく。それで、誰かの選択を簡略化してしまってた。ごめん」
雫の眼差しが揺れた。彼女は掌の包帯を見つめ、そして頬に何か温かいものが流れるのを感じていた。雫は小さく息を吐き、首を振って笑った。「颯太さん、私……自分で作ってみようと思います。明日、まともな形じゃなくてもいい。私がやったって分かるものを」
そのとき、体育館の入口の方から足音がした。誰かが階段を降りる音。颯太は振り向くと、正面のドアから中年の会社員が一人、無言で入ってきた。スーツの襟に名札が光る。広報部の課長だった。彼は鞄を脇に抱え、目を瞬かせながら皆を見渡してから、書類を取り出した。
「すみません、明日の広報スケジュールが確定しました。外部プレスの取材、午前九時から。『ベストラブストーリー』の審査員も来ます。被写体の許可は委員会で取ってください。これは上からの命令です」彼の口調は事務的で冷たい。
言葉は体育館に落ちて、静かに反響した。誰もが固まる。中村はすぐに前のめりになった。「分かりました。では、写真映えのする二人組を用意しましょう。帳尻を合わせればいいんです」
芽衣の顔は、亀裂が走ったように硬い。雫は肩をすくめ、呆然とした。颯太は想像をした。カメラの前でぎこちなく笑う社員たち。その笑顔が広報のコラムに載る。見知らぬ第三者による評価軸で恋が語られる。何より、痕跡が商品となり、当人の承諾を超えて消費される光景が、頭の中で燃え上がった。
「これをどうするか、今日のうちに決めよう」颯太は自分でも驚くほど冷静だった。腕の中の小さな提灯の破片を握りしめ、紙の繊維が指先に刺さる痛みを感じた。彼の能力は、今夜の失