夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える

夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第21話「第19章」

夜の病院は、祭りの喧噪から切り取られた別世界だった。廊下の蛍光灯が淡く白を引き伸ばし、床のワックスが冷たく光る。遠くで点滅するナースステーションの表示、機械の低い電子音──それらが一緒になって、時間をゆっくりと溶かしていくようだった。

夜の病院は、祭りの喧噪から切り取られた別世界だった。廊下の蛍光灯が淡く白を引き伸ばし、床のワックスが冷たく光る。遠くで点滅するナースステーションの表示、機械の低い電子音──それらが一緒になって、時間をゆっくりと溶かしていくようだった。

森川翼は硬い長椅子に座り、膝の上で小さな折り紙を何度も指先で揉んでいた。紙は夏祭りの夜、鈴原かなえと山田颯太が並んで灯した紙灯籠の切れ端から切り取ったものだ。二人が隣り合って折った、たった一枚の小片。共同で折ったものだけに残る「痕跡」を読むために、自分が持っている。

だが、触れるたびにその紙は冷たく、湿った匂いのする消毒薬の空気に包まれている。翼の指先には、先ほど自分が間違えて紙の角で浅い切り傷を作ったところから、乾きかけた血の赤が見える。小さな痛みが、神経を引き締める。

「まだ真夜中だね」背後の自動ドアの向こうから、南あおいが低い声で言った。彼女は紙コップのコーヒーを片手に、苦い顔で腰を下ろす。横には黒田航がいて、腕を組み、眉を寄せている。彼らは皆、夏祭り実行委員会のメンバーだ。今夜はそのうちの一人が、制度という名の重みに押しつぶされかけて病院に運ばれた。

「説明する時間はもうない。状況は変わるかもしれないけど、かなえは検査で異常はないって。過労とストレスの反応、って」黒田が指先で額を押す。声には怒りが混じっていたが、それを出す場所を探しているようにも見えた。

翼は小さく頷き、紙を目の前に出した。折り目の影に指を滑らせると、微かな手の温度がまだ残っているような感触がした。彼の能力は、物語の中で不可視の糸を縫い取る針のように働く。だが針は鋭いだけではない。無理に糸を引けば裂けるし、他人の力で縫い上げようとすれば布そのものがほころぶ。

「見えるよ」翼は低くつぶやいた。自分に言い聞かせるように、それは宣言でもあった。だが同時に、いつもの警告が胸の内で鳴った──痕跡を"決めつける"ほど見えなくなる、というルールが。

紙に集中すると、景色が薄い膜のように浮かんだ。かなえの指がぎゅっと紙を押さえた瞬間、向こう側に颯太の笑い声。夏の風、屋台の提灯の色、颯太が不器用に箸を使う音。幾つもの映像が交錯して、確信をささやくようでいて、すれ違う声もあった。「好き」「ありがとう」「待ってる」──言葉は断片だ。好き、だとしてもどの"好き"なのか。待っている、だとしても何を待つのか。翼の胸の中で、それが固形にならずにじれていった。

「彼は……かなえを、」翼は口を開きかけて言葉を探した。脳が短絡しそうだった。かなえはベッドの中で、颯太に向けた感情を証明するために、無理をしてしまったのではないか。制度に認められるために恋を演じたのではないか──そんな疑念が胸をよぎると、翼は何とか言葉を与えようとした。

「彼は、君を想ってる。たぶん、ちゃんと」その一言を告げれば、かなえは安心するかもしれない。そうすれば、今すぐにでも笑いが戻るだろう。翼はその確信を自分で塗り固めていった。足りない部分を勝手に補い、断片を綺麗な線に繋ごうとした瞬間、視界がにじんだ。

膜の景色がぐしゃりと崩れ、背後から冷たい波が押し寄せる。翼の頭に激しい痛みが走り、耳は遠くで金属をこすったような音を立てる。目の前の折り紙が三つに分かれて見え、指先の感覚が薄れていく。決めつけた瞬間、彼は本当に「見えなく」なったのだ。細部は砂のようにこぼれ落ち、残るのは粗い手触りだけ。能動的に意味を作った代償として、彼の能力は自らを閉じた。

「翼!」南が飛び上がる。彼女の声が、波紋を引いて襤褸になった世界に別の輪を描く。黒田が急いで水を取り、翼の額に冷やしタオルをあてた。紙は、ほんのわずかな弾みで折り目から裂け、端の一片が床に落ちた。袖口に血が滲み、そこから冷たいしみが染み出す。

「どうして……」翼は自分の手を見る。視界は戻ってきたが、細かい線はもはや追えなかった。脳内にできた穴が、夜の静けさに吸い込まれる。思考に小さな欠けがあり、さっきの断定が彼に何を与えたのか取り戻せない。

病室の窓側のベッドで、鈴原かなえがかすかに息をする。モニターの波形は安定している。彼女は薄い汗を額に浮かべ、眠りの縁にあるような顔で、紙灯籠の切れ端が落ちた先を見た。そこに、細い指がしおれて握っていたはずの折り紙の痕跡が残っている。

「彼女が、自分の選択を失いかけたんだ」黒田は低く言った。言葉は怒りで固まっていた。「勝手に票を操作したり、イメージだけで人を分断したり。あんな制度があるから、彼女は"見られるために生きる"ことを強いられた。恋だって、評価の一部になったら終わりだ」

南はぐっと唇を噛んだ。「でも、かなえが暴走したのは、私たちも関係してる。祭りの中で目立たせるために無邪気に煽ったんだ。私たちが『やってみたら?』って言ったから。責任はある」

翼は、能力の代償を自分の身体で示したことに、しっかりと腹を据える。決めていいのは当人だけだ。自分が安易に"結論"を与えたせいで、かなえにまた取り返せない一瞬を与えてしまったかもしれない。胸の奥に、小さな裂け目が広がる。

「彼女に、真正面から選ばせるべきだ」黒田が続けた。「制度に押しつぶされる前に、私たちが場を作る。誰かのイメージで票を集めるようなやり方は、もう終わりにする。それで人が困るなら、肩代わりする。俺はそれでもいい」

南の目に光が戻る。「署名を集める。委員会のルールの見直し、スポンサーに対する公開質問──やるなら今しかない」

その言葉の中で、翼は一つの決定的な痛みを知る。能力を使って答えを早めさせることは、目先の安心を生み出しても、根を刈る行為になりかねない。共同制作は、急かされるほど瓦解する。人と人が一緒に作るということは、時間と摩擦と、たくさんの不確かな間(ま)がなければ育たないのだ。

ふと、かなえの手がわずかに動いた。ベッドの上で薄い指がゆっくりと折り紙の残片を探り、掌で包み込む。そこには、もう一つ小さなものが折り込まれていた。翼が先ほどの衝動で一部を裂いたあとでも、その中心に残っていたのだ。

「起きてる?」翼は声を震わせずに聞いた。かなえは目を開け、薄い笑みを浮かべた。声は風に乗るように弱かったが、確固としていた。

「びっくりした? 派手にやったね、翼くん」彼女はかすれた声で言い、折り紙の影にある何かをぎゅっと握った。翼はその動きで、折り紙の隙間から白い紙片が滑り落ちるのを見た。それは小さなメモで、筆跡は颯太のものに似ていた。

「──読むなって言われたの?」南がそっと問いかける。かなえは首を振り、瞳にわずかな涙を浮かべた。彼女はメモを自分の胸に押し当て、ぎゅっと抱きしめるようにした。

「彼、私に何か言おうとしてた」かなえは小さく笑った。「でも言えなかった。言葉にすると壊れるって、彼が言ってたから」

翼の心臓が跳ねる。言葉にすると壊れる──それは、共同制作が持つ脆さと同じ線の上にある感覚だ。二人で作ったものは、そのままでいることで価値を持ち、誰かが外から勝手に意味を押し付ければ、形そのものが崩れる。

「じゃあ、なんでここにあるの?」黒田が問う。かなえは紙片を取り出