夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える

夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第2話「第1章」

窓の外から蝉の声が降ってきて、夜の空気をぎゅうと絞る。体育館の裏にある会議室は、冷房の吐息だけが規則正しく回っていた。蛍光灯の白い輪が机の上の粘土と二つの手を照らす。時間は十時半。夏祭り実行委員会の会合はとっくに終わっているはずだが、残りはいつも二人だけになる。

窓の外から蝉の声が降ってきて、夜の空気をぎゅうと絞る。体育館の裏にある会議室は、冷房の吐息だけが規則正しく回っていた。蛍光灯の白い輪が机の上の粘土と二つの手を照らす。時間は十時半。夏祭り実行委員会の会合はとっくに終わっているはずだが、残りはいつも二人だけになる。

「さ、もう一度だけ。でも、今度はゆっくりね」

有里(ありさと)美咲はそう言って、ぎこちなく俯いた。丸い頬に赤みが残っている。彼女の声にはいつも三割ほどの勇気しか入っていない。今日はその勇気を借りに来たのが、斎藤悠斗(ゆうと)だ。彼は代行するつもりで来ている。代行──相手に直接渡す勇気を出せない有里の代わりに、贈り物を作る役だ。夏祭りの縁結び企画で風鈴を贈るらしい。受け取る相手は同じ学園の先輩、菅原(すがわら)拓海。話を聞けば、有里は拓海に何度も手紙を出したが、直接渡せないらしい。だから代わりに作ってくれと、頼まれたのだ。

悠斗は白い手袋をはめて、粘土の塊を持ち上げた。粘土は生暖かく、少し湿った匂いが鼻をくすぐる。指先で形を整えていく。粘土が指に馴染むと、いつも胸が少しだけ澄む感覚がある。二人で作るとき、その感覚は色を帯びて見える──彼自身だけに現れる「痕跡」だ。説明のしようがないが、共同で作る行為に残る感触、温度、そして色。悠斗はそれをうっすらと視ることができる。

「ここ、もう少し薄く──そう、でも強く押しすぎないで」

有里の指先が悠斗の横で動く。彼女は不器用で手先が震える。粘土の表面に、小さなへこみがいくつか出来た。だが彼女が息を吸うたび、粘土の中心から淡い桜色がにじみ出るのが見えた。桜色は暖かくて透明で、光を通すガラスのようにきらりとする。悠斗は息を飲む。色は「好意」の温度だと、彼は以前から感じていた。だが彼はそれを即断しない。能力に付きまとう鉄則を彼は知っている。

二人が共に形を作るときにだけ残る痕跡。その痕跡は万能な告白ではない。はっきり言えば、他人の本音をそのまま見せるものではない。色は語るが、語り過ぎると曇る。痕跡を「これが両思いだ」と決めつける声を出すと、色は瞬間に薄くなり、表面にひびが走る。関係を急がせる言葉を投げつければ、共同制作そのものが壊れる。過去にそれをやって、風鈴の口が欠けたことがある。悠斗は、痛いほどその代償を覚えている。

「悠斗くん、どうかな……? 変じゃない?」

有里は不安げに粘土を揺らす。彼女の指に残る土の粒が蛍光灯の光を少し散らした。悠斗は答えをひとつ飲み込んでから、穏やかに言った。

「変じゃないよ。ゆっくり、もう一回。風鈴の筒を薄くして、中の音が澄むようにしよう」

彼は口元に笑いを作り、言葉を丁寧に選んだ。決めつけない。色を名付けない。そうすることで、痕跡はきれいに保たれる。じっと見ていると、桜色は揺れている。透明な膜のように、ふたりの呼吸と合わせて波打つ。

「悠斗くんって、本当に手際がいいね。私、こういうの本当に苦手で……ごめん」

有里が目を逸らす。肩の力が抜けたとき、彼女の指先が悠斗の手の甲に軽く触れた。熱が伝わる。瞬間、桜色がじんわりと濃くなる。悠斗は一瞬、過剰に解釈しそうになる自分を押しとどめた。彼は心の中で、かすかな警鐘を鳴らす。決めつけるな。決めつければ見えなくなる。

作業はゆっくり進んだ。紙やすりで縁を滑らかにし、紐を通す穴を慎重に開ける。静かな時間はふたりだけの共同作業を醸成する。ふいに廊下から声が聞こえた。会議室のドアの外では、中原(なかはら)紗英が駆け足で通り過ぎる。彼女は夜遅くまで残っているメンバーの一人で、いつも祭りの広報を仕切る。

「まだいるの? 真夜中の風鈴作業――ラブラブすぎない?」

囁き交じりの声がドアの外で消えた。悠斗は微かに眉を寄せた。噂と消費の空気は、祭りの裏側に常に蔓延している。恋路はネタになる。誰かの一歩は「いいね」され、からかわれ、何度も噛み砕かれる。風鈴ひとつにもランクが付き、誰が誰に渡したかが話題になる。そういう枠組みが、有里の勇気を削いでいるのだと悠斗は知っている。

「大丈夫、気にしないで」

有里は小さく笑い、再び粘土に集中した。だが悠斗は心底では針のようなものを感じた。祭りが恋を格付けするのを、彼は黙って許せない。だが、彼自身もまた大人になりきれていなかった。大人になることは、時に勇気を振り絞って輪の中に踏み込むことでもある。悠斗はその「踏み込むこと」を怖れている。だから今は、代行という名目で夜を過ごしているのだ。

穴を開ける最後の作業で、ふたりは偶然に指を合わせた。粘土の端に引かれた指の跡が、まるで二人の間に結び目のように残る。桜色は一気に光り、粘土全体が薄い光を帯びた。悠斗はその輝きを見て胸が熱くなった。けれど同時に、彼は思わず声を上げそうになるのを抑えた。もし今、「両想いだろう」と言ってしまえば、この光は砕ける。試したことがある。言葉で確定させた瞬間、色は灰色に濁り、粘土がひび割れた。共同制作の結界が崩れるのだ。

「ねえ、有里」

悠斗は声をひそめて言った。「もう少しだけ、一緒にいる?」

有里は顔をあげた。彼女の瞳はまだ少し赤い。奥歯を噛みしめるような表情で、ゆっくりと頷く。二人は最後の仕上げを、会話をほとんど交わさずに続けた。食い込むような静けさの中で、粘土は桜色をまとっていた。その色は詳細を与えない。どのくらいの好意か、将来への見通しか、相手の返事の有無まではわからない。だが確かにそこに温度があった。

作業が終わると、悠斗は布で風鈴を包んだ。布越しに伝わる陶土の重みが、現実に戻す。彼はぽつりと呟いた。

「直接渡してもらってもいいのかな、って思うけど……無理なら、また代わりに作るよ」

有里は息をついて、首を振る。「私、やっぱり緊張しちゃって。今度の実行委員の企画で、渡す瞬間に写真撮られるって聞いて……それで余計に手が出せないの。みんなに笑われたくなくて」

その言葉に、悠斗の眉がぴくりと動く。写真、公開、点数化──彼の頭の中で、祭りという場が恋を食べる装置のように見えた。「噂や評価で消費する周囲の圧力」──それがここにある。風鈴は個人的なもののはずだ。だが実行委員の計画では、縁結び風鈴を本部の掲示板に吊るし、来場者に投票してもらうらしい。票数の多い風鈴は「縁結びランキング」に載るという。

「それは……やめた方がいいよ」

悠斗は言い切った。口調は冷静だが、言葉には棘がある。彼は自分が守らなければならないものが何か、はっきりと感じていた。単に有里の一夜の勇気だけではない。共同で残る痕跡の尊厳だ。人の感情が、ただの得点にされるのは耐えられない。

有里の目に驚きと救いの光が差した。「悠斗くん……ありがとう。でも、私、どうしたらいいんだろう。写真なしで渡す場所なんて、ないよ」

ドアの下から明かりが差し込む。廊下を歩く影が二つ、白いラインを引いた。どこかで、実行委員長の橘(たちばな)理人が資料を抱えて歩いている気配がする。悠斗は布に包まれた風鈴を抱え直し、立ち上がった。心臓の奥に小さな決意が灯る。守るべきものは、彼一人だけで救えるものではない。だからこそ、彼は次に手を伸ばすべき相手を選ばなけ