夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える
夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第19話「第17章」
夜風が縁側の裸電球を揺らし、紙と糊の匂いが混ざった実行委員室は人の体温で満たされていた。長谷川和也は、指先に乾いた絵の具の膜を感じながら、木枠に張られた和紙の端を丁寧に折り込む。爪の横に残った緑色が痒い。すぐ近くで光希が笑い声をあげ、瑞月は蛍光灯の下で制作手順のプリントを折っている。外では子どもたちのはしゃぎ声と、どこかの屋台から上がる揚げ物の香りが流れ込んできた。
夜風が縁側の裸電球を揺らし、紙と糊の匂いが混ざった実行委員室は人の体温で満たされていた。長谷川和也は、指先に乾いた絵の具の膜を感じながら、木枠に張られた和紙の端を丁寧に折り込む。爪の横に残った緑色が痒い。すぐ近くで光希が笑い声をあげ、瑞月は蛍光灯の下で制作手順のプリントを折っている。外では子どもたちのはしゃぎ声と、どこかの屋台から上がる揚げ物の香りが流れ込んできた。
「和也、今日のワークショップ、とりあえず二組申し込んできたよ」光希が言った。声には期待が混じっている。光希はいつもそうだ、祝祭をなんとか祭典以上のものにしたい人間で、手の動きが早い。瑞月は顔を上げて頷いた。彼女の表情には静かな決意がある。制作手順を公開した効果はゆっくりだが確実だった。だが、和也はその"確実"の輪郭を鈍く感じていた。
「二組って、相手は?」和也が聞くと、光希は紙に記された名前を指でなぞった。中村彩と斎藤航。彩は実行委員のアルバイトで、航は地元の工房で見習いをしているという。二人は互いに好意を持っているが、勇気が出ないでいると聞いていた。そういう依頼を、和也は代行として申し込まれることが多かった。直接的な告白の言葉を代わりに伝えるわけではない。和也の役割は、二人が同じものを作る場を用意して、そこにだけ残る「痕跡」を媒介として、双方の意思と痕跡を繋げることだった。
和也はそっと木枠から手を離し、息を吐いた。痕跡はいつも物の中にだけ残る。二人が同じ粘土を触り、同じ糸目で縫い、同じ筆で最後の色を重ねたときだけ、彼にはその「共鳴」の薄い残響が届く。だが、条件がある。痕跡を「決めつける」ほどに見ようとすると、見えなくなる。関係を急がせるほど共同制作は脆くなり、繋がるはずの糸が切れる。世話を焼きすぎると、何も残らない。加えて代償もあった——他者の痕跡を強引に証明しようとしたとき、和也は自分の中の一片を払わなければならない。たとえば、幼い頃の夏の匂い、あるいは一日のうち一時間の時間感覚。小さく、しかし真っ当な喪失だ。
その夜、最初の組がやってきた。彩は髪をひとつにまとめ、航はエプロンの紐をぎゅっと結んでいる。二人は緊張で互いの手を見る時間が長い。和也は席を外して工具箱から追加の粘土と木のヘラを出し、低い声で説明する。光希がワークショップの進行を仕切り、瑞月は手順書の最後にある「合意のための問い」を読み上げる。問いは単純だ。「この瞬間、あなたは自分の気持ちを誰かに委ねたいですか?」
彩が首を振る。航が小さく笑ってそれをたしなめる。二人は互いに顔を伏せ、小さな笑い声を漏らす。共同作業が始まる。和也はそこにいる。だが、この夜、彼は介入の仕方を誤る。
作業が進み、二つの手が同じ粘土の塊に触れたとき、ふわりと微かな共鳴が指先に触れた。淡い光のように記憶の端が揺れる。和也はそれを確かめたくて、つい口を挟んだ。「今の……きっと、互いに同じ思いがあったんだ」声は無意識に熱を帯びていた。彼は、確証を与えて安心させたかった。自分の能力で二人を押し出してやりたかった。
だがその瞬間、粘土が固まっていたはずの縁がひび割れる。二人の親指の間に残ったはずの小さな指紋が、まるで消されたようにぼやけた。彩がぎょっと顔を上げ、航の目を見る。航の顔から笑みが消えた。和也の胸に、急激な冷えが走る。鼓動が速くなるのを感じながら、和也は自分の掌の先から何かがすうっと抜けるのを感じた。子どもの頃に祭りで食べた綿菓子の甘い匂いが消えた。突然、彼の時間の感覚が歪み、数秒間、時計の針が止まったように思えた。
「ごめん……」和也は言った。謝罪は自分に向けられているように聞こえた。光希が素早く寄ってきて、彼の肩を掴む。「和也、無理に解釈しないで。あれがルールだって、説明してたでしょう?」
瑞月は黙って粘土を集め、二人の間に静かに置いた。彼女の声は冷静だった。「強制は何も生まない。共同は、共同であることを互いに選ばなければ成立しない。それが条件だったはずよ」
彩が震える声で言う。「私、航くんに……言いたかったんですけど、でも、こんな風になっちゃって……」
航は拳を握って、ぎゅっと反対側の指先の感触を確かめるようにした。彼の目には怒りとも違う、困惑が混じっている。二人はその夜、何もはっきり言わずに帰っていった。残された粘土には、半ば混ざり合った指紋の痕がぼんやりと残ったのみだった。
和也は自分の椅子に沈み込んだ。胸の奥に穴が空いたような痛みがある。自分の力で誰かを後押ししたつもりが、逆に関係を脆くしてしまった。手のひらの先、爪の横に刺さった小さな木屑が痛んだ。代償はいつも、身体か記憶のどちらかを奪う。今夜は幼い夏の匂いという記憶が消えた。記憶が消えると、心は刃物で削がれたように冷たくなる。
「和也、少し休んで」瑞月が差し出したのは冷たいおしぼりだった。和也はそれを受け取り、頬を拭う。汗と糊の匂いが混じった布は現実に帰らせる。光希は彼の前に小さな紙コップを置き、無言でお茶を注いだ。三人はしばらく無言で座っていた。
「僕は、誰かの勇気を代わりに出したいだけなんだ」和也がやっとのことで言う。声はかすれていた。「でも、それじゃあダメなんだね。痕跡は、強制された場に残らない。僕が確信を与えた瞬間に、消えた」
「だから、最初から極端な介入はダメだって言ったのよ」瑞月の言葉は柔らかいが厳しかった。「和也、あなたは道具を使ってるだけ。道具が勝手に人を動かすことはないんだよ」
和也はふと、作業台の上に置き忘れた小さなランタンの紙片に目をやった。そこには先ほどの粘土の痕よりも、もっと微細な痕跡が残っていた。二つの刷毛痕が薄く重なり、乾いた絵の具が指の腹の跡を細く映している。和也はそれを見て、何かを決めたように呻いた。
「僕は、痕跡を示すための道具でありたいんだ。証明者になるんじゃなくて、作る場を用意する人でありたい」声は静かだったが、揺るぎない。光希がにっこり笑い、瑞月も小さく頷いた。二人とも、和也が自分の代償を痛感したのを見ている。彼らはただ促すだけだった。自分の選択で動く者を増やす方法を、だ。
そのとき、光希のスマートフォンが震えた。画面には「文化振興課」の名前と、短いメッセージが表示されている。光希は眉を寄せ、和也に画面を向けた。そこには、今朝瑞月が公開した制作手順に関して、正式な問い合わせが来たという文面があった。差出人は市の文化振興課で、「安全管理と記録保存のため、共創の場で生まれた『関係痕跡』の記録を事前に申請し、保存管理の同意を取るよう取りまとめたい」とあった。
光希の笑顔が一瞬で消えた。瑞月の指先が震えた。和也は胸の内が冷たく広がるのを感じた。制度という名の枠組みが、これまで自分たちが大事にしてきた「自発」の場を、書類と管理に変えるかもしれない。
「つまり……市が証拠を公式に回収して、記録として扱うつもりってこと?」瑞月は低い声で問い返した。光希は黙って頷く。「公開すれば市は飛びつく。安全を名目に、誰が誰と何を作ったかを記録化する。良い面もある——トラブルの対処とか。でも、それは『選ぶ自由』を奪う可能性がある」
和也は思わず手を握り締めた。自分