夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える

夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第14話「第一部幕間」

夜風が倉庫の折れかけた扉に吹き込んで、紙の提灯がかすかに波打った。柚木はテーブルに突っ伏したまま、何度も目をこすった。額からはまだ燻るような痛みが残り、耳鳴りとともに断片的な音だけが戻ってくる。遠くで誰かが笑った気がしたが、それが誰の声だったのかは思い出せなかった。

夜風が倉庫の折れかけた扉に吹き込んで、紙の提灯がかすかに波打った。柚木はテーブルに突っ伏したまま、何度も目をこすった。額からはまだ燻るような痛みが残り、耳鳴りとともに断片的な音だけが戻ってくる。遠くで誰かが笑った気がしたが、それが誰の声だったのかは思い出せなかった。

テーブルの上には、先ほどの風鈴の残骸が散らばっている。淡い水色の釉薬が飛び散り、鈴の破片は紙粘土の層とともに、まるで小さな星屑のように光を反射していた。彼はそっと手を伸ばし、割れた鈴の縁に触れた。触感は冷たく、ざらりとした粘土の粒が指先に残る。そのとき、ほんの一瞬――指先の奥で澄んだ色が走った。淡い藍色。暖かさと不器用さの混ざった、誰かの気配。

「柚木、大丈夫か?」

瑞月の声が、木製の椅子を引く音とともに近づいた。彼女は袖口をまくっていて、手には濡れた雑巾が握られている。顔に疲れが滲んでいるが、瞳は濁っていなかった。彼女の視線はテーブルの破片に留まり、そっと一つの欠片を拾い上げた。

「これ、あんまり触らない方がいいよ。痕跡が残ってることもあるから」と瑞月が言った。言葉の端に軽い注意が混じる。柚木はその「痕跡」という言葉を聞いて、額に手を当てる。痛みがぶり返し、視界の端が滲む。

「覚えてるはずのことが、抜け落ちるんだ。作業を急いだとき、俺の記憶がいくつか消える」柚木は口を開いた。声が掠れていて、自分でも驚くほど静かだ。「有里と作ったとき、……あのときもそうだった。相手の感触が、色で残る。でも俺がそれを『こうだ』って決めつけた瞬間、景色が割れて、ものまで壊れた。頭がズキズキして、その後の数時間が抜けてる」

「聞いてるよ」瑞月が返す。彼女の指先は先ほど取った破片を裏返し、薄い光の層を探る。手元の細工に、確かにほのかな色が差している。光でもなく、記憶でもなく、わずかに温度が変わるような感覚が指を伝った。

「代行って、何だろうな」小林が肩越しに言った。彼は腕まくりをしたまま、倉庫の奥で折れた竹の枝をまとめている。「助けるつもりでやったことが、誰かを壊すかもしれないってのは、なかなか重いよ」

「壊すのはこっちだけじゃない。放っておいても噂が勝手に壊す」瑞月が言葉を継いだ。「有里さんの件で、相手が追い詰められてるのは間違いない。だからって、使わない選択は簡単じゃない」

黙りこむ。皆、薄暗い倉庫の中でそれぞれの影を伸ばしていた。窓に打ち付ける夜の雨粒が、遠くのネオンと混ざり合って細かい光の帯を作る。誰かが掛けたラジオからは、夏の終わりを告げるような古い歌が低く流れている。そうした雑音が、今の会話を薄めたり、逆に濃く戻したりする。

「ルールを作るべきだと思う」瑞月がぽつりと言う。「でも、ルールって線を引く行為でしょ。線の向こう側にいる人たちの選択を奪う危険性がある。だから私たちで決めるんじゃなくて、被害を受けた人たちの声をまず聞きたい」

柚木はその言葉にぴくりと反応した。彼の胸の奥に、安堵と恐れが同時に押し寄せる。安堵は、瑞月が仲間の主体性を尊重しようとしていることに対して。恐れは、声を持たない人たちが「選ばれなかった」瞬間だ。

瑞月はふと立ち上がり、倉庫の隅に積んである段ボール箱をめくった。箱の中には試作品の風鈴、ラフスケッチ、作業の痕跡がそのまま残されている。彼女は一枚の作業メモを取り出し、指でページをなぞる。そこに、見覚えのある名前とともに、スマートフォンで撮られた写真のサムネイルが並んでいる。

「あれ、これって……」瑞月の声が少し震む。彼女は立ち止まり、背後の小林と柚木を見た。二人は無言で近づく。ページの写真は、割れた風鈴を近距離で撮ったもので、破片の一つに滲む薄い光がしっかりと写っていた。その写真には撮影者のメモが付いていて、「いいね、これ、評判になる」とか「人事で使えそう」といった断片的な文言が見え隠れする。

「誰の……?」柚木は思わず声を荒げた。胸の奥の痛みが、一瞬鋭くなった。

「佐藤だよ。今日、夜間の作業で手伝ってたインターン」小林が答える。「彼、よく写真を撮っては社内のグループにあげてた。最初は宣伝用だって聞かされてたけど……」

瑞月はスマートフォンを取り出すと、迅速にキャッシュを検索した。数分で、社内の非公式チャットの中に同じ画像が見つかった。画像には様々なコメントが付いており、中には「これは数字にできる」と書かれたものもあった。瑞月の指先が小刻みに震えた。

「人事で使える、って……」柚木がつぶやいた。言葉は小さく、倉庫の空気を震わせた。彼の技能は、二人の共同作業に残るものだとずっと思っていた。その「痕跡」が、写真という形で記録され、誰かの評価や噂の材料にされる可能性がある。決して手放してはいけないはずのものが、データという形で流通している。

「消せるのかな」小林が言う。目は画面の光に引きつけられている。「この手のキャッシュって残るけど、社内の上の方が注目したら、簡単には消せないような気がする」

瑞月は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。背中の筋肉がカチカチに固まる。やがて彼女は握っていたスマートフォンを鞄に押し込み、戸棚の鍵を取り出した。

「今持ってる証拠は、まず私たちだけで守る」瑞月の声には決意が宿っていた。「外に出したら、誰にも止められない。明日の朝、委員会で話す前に、まず被害にあった人たちに直接会いに行く。誰が何をしたかを隠すつもりはない。でも急ぎすぎれば、また誰かが壊れる。一晩だけ待ってほしい」

柚木はうなずいた。頭の痛みが少し落ち着いたのは、その一晩をもらえるという単純な事実からだった。彼は自分がこれまでどれだけ「即断」を恐れていたか、改めて思い知らされる。急ごうとする心と、待つ勇気。どちらが愛情を守るのか、その答えを探す夜はまだ長かった。

倉庫の外、雨はしだいに止み、蝉の声が再び地面から上がってきた。瑞月は鍵を引き出し、箱ごと資料を封じる。彼女は柚木の肩を軽く叩いてから、低く言った。

「明日の朝、全員の都合を聞く。それから、どう動くか決める。私たちで被害者の選択を奪うようなことはしない。それだけは約束する」

柚木は暗闇の中、窓の外を見た。そこにはもう、祭りの灯りがちらほらと点き始めている。灯りは遠いが確かにそこにあり、誰かの手でともされたものだった。彼はまだ、夜の裂け目に落ちた自分の欠片を拾い集める作業の途中にいた。だが瑞月の言葉は、次の行動を示す明かりにもなった。

そのとき、倉庫の入口の影から小さな声がした。「柚木さん、起きてください」佐藤が、青い顔をして立っていた。彼の手には、別のスマートフォンがあった。画面には、倉庫の片隅でぼんやりと浮かぶもう一枚の写真。そこに写っているのは、作られたばかりの風鈴と、放り出された作業手袋。その写真の片隅に付けられたメモは、システム上の保存場所を指していた。

瑞月はその画面を奪い取り、細い指でスクロールした。コメントのひとつに、目が釘付けになる。

「保管:共有フォルダ/社内/広報/PR資料/要確認」

瑞月が顔を上げた。倉庫の空気が、瞬時に凍るようだった。社内のどこか――誰かの管理するフォルダに、痕跡の写真が既に