楽器店で交換留学生は誰にも言えない失敗を分け合う

楽器店で交換留学生は誰にも言えない失敗を分け合う 第4話「第3章」

楽器店の奥にある、小さな作業台の上でメトロノームは冷たい金属音を沈めるようにして ticks を刻んでいた。窓の外は夕焼けで、ショーウィンドウのガラスに通りのネオンが淡く重なる。木と真鍮と古い紙の匂いが混ざった店内に、二つの呼吸だけが規則的に重なった。

楽器店の奥にある、小さな作業台の上でメトロノームは冷たい金属音を沈めるようにして ticks を刻んでいた。窓の外は夕焼けで、ショーウィンドウのガラスに通りのネオンが淡く重なる。木と真鍮と古い紙の匂いが混ざった店内に、二つの呼吸だけが規則的に重なった。

「いくよ、ゆっくりでいい。吸って、――吐いて」

リオは声を震わせないように気をつけながら言った。メトロノームの銀色の振り子に指を触れ、ナツミの掌も反対側に重ねる。二人の指先が触れた瞬間、振り子の振りはわずかにふらついた。ティック、ティック。ナツミの心拍が小さく混ざるように、テンポがぶれる。リオはそのぶれを「見る」ことはできない。代わりに、金属越しに細い模様のようなものが伝わってくる。呼吸の輪郭――乱れの断片が、メトロノームの打音の中に痕として残る。

「感じる?」ナツミの声は紙で包んだように柔らかかった。照れと恐れが混じった音色で、肩が小さく上下する。

リオは頷く。否と答えることはできない。彼女の能力は言葉で説明できないし、言葉にした瞬間に壊れるからだ。二人で何かを『作る』。触れる。息を合わせる。その瞬間だけ、物が二人の痕跡を保持する。決めつければ霧散する。急げば壊れる。昨日、図書室の椅子で初めて知ったその鉄則を、ここで確かめるように手を動かす。

「ただ、ラフに。押しつけないで。君の呼吸に合わせるの、こっちが合わせるんじゃなくて——一緒に動かすんだ」

ナツミは一度目を閉じ、唇の端をかすかに噛む。彼女の中にあるものは、学校中の評価や噂を飲み込み、吐き出せない重さになっていた。昨日の放課後、音楽室の掲示板に貼られた「音楽祭出演者募集」のポスターは、ナツミの胸を押しつぶす合図になった。わずかに手が震える。メトロノームのティックがその震えに引きずられ、ふたつの音が不協和音を作る。

リオは振り子を少しだけ引き、重りをそっと動かした。指先に伝わる小さな振動は、ナツミの吐息の切れ目を濃く浮かび上がらせた。一つの音が、二人の時間を縫うように層を成す。ティッ――ク、ティッ――ク。カットインのように、視界の端で鼓動と拍子が同期する感覚が走る。ナツミの胸の奥の、誰にも言えない失敗の影が、金属の中で微かな波紋になる。

「……わかった。これは、私の……」ナツミが小さく言いかけた瞬間、リオは言葉を止めさせるように視線を鋭く向けた。言葉になった瞬間、痕跡は変質する。昨夜の失敗を「不安」と名付けると、その輪郭は溶け、何が刻まれていたかが分からなくなる。リオはまだそのルールを骨まで理解しているわけではないが、経験がそれを教えてくれた。

「言わなくていい。動かして、だけで」

二人は無言でまた呼吸を合わせる。メトロノームの打音は、今度は少しだけ安定した。振り子の先に見える小さな溝に、息の切れがどうにか収まっている。作業台の上の布に、指の跡がしみる。ナツミの指のぬくもりがリオの掌に伝わり、リオは自分の胸の奥に小さな痛みを感じた。それは代償の初め――他者の負担を引き受けるという、身体に残る違和感だ。目まいのように世界が一段だけ薄くなる。リオの耳の奥で、メトロノームの音がわずかに遠く聞こえた。

「……効いてる?」ナツミの声が震える。

「うん。けど、ゆっくり。急ぐと、壊れる」

二人が作業に没頭するうちに、店のベルがけたたましく鳴った。古道具屋の主人、佐倉が頭をのぞかせる。白い髪を後ろで束ね、眼鏡の縁が夕陽を反射している。

「お、まだいたか。もう閉店時間だぞ? 誰も来んかもしれんが、今日は練習の音が外に漏れると近所から苦情が来る。静かにな」

佐倉の声は通常より低かった。店主としての習性だろう、誰でも入れるようにドアを開けていた手をとめ、じっと作業台を見つめる。彼は無言の質問を投げた。リオは答えられない。能力のことは言えないし、言えば消えてしまう。だから、ただ微笑むしかなかった。

「ごめんなさい、店長。すぐ終わらせます」

ナツミが頭を下げる。店主は首をひとつ振って、また戸を閉めかけたとき、チャイムがひとつ余分に鳴った。若い女の子が一人、駆け込むように店内に入ってきた。短い金髪を帽子の下に押し込み、肩で息をしている。彼女の手には、紙切れが震えている。学校のバンド部の先輩だ。テストの結果、出演者のプレリストが貼り出されたのだろう。顔には勝ち誇った笑みがあるが、目は冷たい。

「ナツミ、今日の練習、誰か欠席するって? あの掲示のこと、もう聞いた? 出るならちゃんと仕上げてよ」彼女の言葉は明るいが、針が刺さるような圧が含まれている。

ナツミの肩がこわばる。掲示板の話題が現実の空気になる。プレッシャーは形を持って来て、音が速くなる。リオはそれを感じ取り、あせる己の心を押さえつけた。急いではいけない。けれど、目の前の時間は容赦なく縮む。練習は今日しかない、という顔つきの先輩に促され、ナツミはすばやくメトロノームを片手で取り、振り子に力をこめようとした。

「待って!」リオの声は本来より荒く、二人の手が同時にメトロノームに触れた。だが今は「共同で」作る時間ではなかった。焦りの中で方向性を決めてしまうと、痕跡はすり抜ける。力任せに振り子を調整した瞬間、内部の小さなプラスチックの歯車が耳障りな亀裂音を立てた。ティッ――、ッ――ク。音が裂ける。振り子が不規則に跳ね、金属のスリットが噛み合わなくなった。

針のような鋭い音とともに、メトロノームの背面のねじが外れて、振り子の軸に飛んだ。小さいガラス片がぱちんと弾け、ナツミの指先に浅い切り傷を作った。赤い水が布に滲む。二人は息をのみ、時間が止まる。

「ごめん、ごめん……!」ナツミが両手で痛みを押さえながら泣き出しそうになる。先輩は顔を引きつらせて、軽く舌打ちをする。

「なんでこんなことしてるの。準備不足で出る気?」先輩の言葉は、ナツミの痛みに塩を塗る。

リオは、傷口に触れた。自分の指先が暖かくなるのと同時に、胸の中で何かが折れるような鈍い痛みが走った。代償がはっきりと来た。誰かの不安を物に押し込むと、その分、自分がそれを抱え込む。頭の奥で低い鳴動のようなものが生まれ、目の前の色がわずかに薄くなる。息を整えようとして、リオは自分の声が遠くで聞こえるのを感じた。

「大丈夫?」佐倉が手早く店の救急箱を持ってきて、消毒薬と絆創膏を渡す。彼の動きには慣れがあって、二人を見つめる時の目は少しだけ柔らかい。だが、その顔にも店主としてのルールがあった。「急ぐとモノは壊れる」と言わんばかりの静かな諦観が。

「これ、直るか?」リオはメトロノームの底を覗き込み、割れた歯車を指で探る。小さな部品が欠けている。修理は可能だが、時間と材料がいる。しかも、修理の最中に第三者が触れれば、そこに残っている痕跡は外の世界へ流れる。リオはそれが怖かった。誰かの不安が、他人の手によって晒されること――それは敵の望む形だ。周囲がそれをネタに評価し、噂し、消費する。リオはそれを拒んでいた。

「直せないことはない。ただ、時間と――」佐倉は言葉を切った。彼は二人を見て、判断をする。「店は閉めよう。今日は修理してやる。だが外に持っていくな。学校で何かやるなら、別の策