市民プールで完璧主義の生徒会長は本音を言う練習をする 第8話「第7章」
プールの水面が、午後の光を細かく刻んでいた。潮の匂いではない、消毒の匂いが鼻を刺す。澄は硬くなった膝を抱えて、屋外プールの観覧席の端に座っていた。目の前のレーンは誰も泳いでいない。青いラインが水中でゆらゆらと踊り、プールサイドに置かれた白いプラスチック椅子の影が長く伸びている。足元のタイルはまだ湿っていて、濡れたサンダルの革底が小さく音を立てた。
プールの水面が、午後の光を細かく刻んでいた。潮の匂いではない、消毒の匂いが鼻を刺す。澄は硬くなった膝を抱えて、屋外プールの観覧席の端に座っていた。目の前のレーンは誰も泳いでいない。青いラインが水中でゆらゆらと踊り、プールサイドに置かれた白いプラスチック椅子の影が長く伸びている。足元のタイルはまだ湿っていて、濡れたサンダルの革底が小さく音を立てた。
澄が机の引き出しから取り出してきたのは、少し色褪せた布の袋だった。中には前に皆で作った布の小片が入っている――真ん中に、村上祐里が走り書きした赤い文字があった。澄は指先でその文字をなぞろうとしたが、指先はすべり、代わりにその下に薄く乗った別の色が目に入った。自分が上から塗りつぶした青だ。澄は息を止めた。指先に湿り気が伝わる。自覚はあった。自分が「きれいにしよう」と言って、仲間の線を消してしまったこと。彼女を守るつもりでやったことが、守るべき主体の声を消していたこと。
後ろから砂利を踏む音がして、田端蓮が帽子を深く被って現れた。蓮はプールの柵にもたれ、遠くのビル群をぼんやり眺めながら「静かだな」と言った。声は低く、それでいて強さを含んでいた。
「やり直すには時間が必要だ」蓮は言葉を続ける。風が水面を掠めるたびに、言葉が小さく震えた。「今、全部を取り戻そうとすると、余計に壊れる。信用は一夜にして作れない」
澄は顔を上げ、蓮を見た。蓮の目には責める色はなかった。ただ、疲れた学校の教務室の空気のような、冷静な諦めと静かな意志が混ざっている。澄は何か言いかけて喉で飲み込んだ。彼の言葉は理屈だ。だが理屈を越えるものに彼女は縛られていた。完璧でなければ、壊れてしまう。完璧に仕立てることで、失敗の可能性を減らす――そう考えていた。
「それでも、私たちで守れるものは私たちで決めたい」村上祐里が笑いながら水際に走り寄ってきた。彼女は濡れた髪の毛を気にせず、トートバッグから色とりどりの細いリボンと小さな浮き玉を取り出した。バケツには絵の具の小さなチューブと筆が混ざっている。祐里の手つきは早く、ためらいがない。目がきらきらしていて、澄の中に痛みを走らせた。
「自分たちで決めるって、どういうこと?」澄は問いかけた。声がまだ震えていた。
祐里は肩をすくめて、にっと笑った。「実験だよ。ここで。誰にも見せない。私たちだけのやつを作る。共同制作。あなたの力だって、確かめたい」
澄はその言葉に、胸の奥を小さく突かれた。彼女の能力はいつも「共同で作った物だけ」に痕跡を残すという条件を持っていた。それは盾にも槍にもなる。だが、共同の定義を誰が決めるのか。澄は以前、共同の「形」を自分で定めていた。誰が何をして、どの瞬間に筆を置くか――細かくルールを作り、そこでしか痕跡が現れないようにしていた。ルール通りに皆が従うことで、見えるものはきれいに整えられた。だけどそれは、仲間の選択を奪うことでもあった。
祐里が手招きする。澄は立ち上がり、サンダルの底に残った水滴を振って、ゆっくりと水際に歩いた。タイルはまだ熱を持っていて、太陽の反射が目に刺さる。祐里は小さな浮き玉を二つ出し、ひとつは澄に渡した。澄が包みを開くと、中には白いプラスチック製の小さな球体と、透明な紐、そして小さな防水ステッカーが入っていた。単純なものだった。共同のための余地が残されている。
「どう塗る?」祐里が訊いた。蓮も近くに来て、腕を組んで見ている。澄は言葉を選んだ。言葉を決めると、能力は曇る。彼女はそのことを知っている――「痕跡を決めつけるほど見えなくなる」――しかし、どうしても白紙のままにはできなかった。形にしたい欲求が、古い癖が、手を動かさせる。
「赤と青を半分ずつに……」澄は言いかけて、止まった。自分がルールを作り出すこと、その行為が他者の意志を無効にすることを思い出したのだ。澄の右手がわずかに震え、筆の毛先が震える。祐里の瞳がじっと澄を見た。
「あんた、またやるの?」祐里の口調は柔らかいが、そこには怒りも含まれていた。「今度も『こうでなきゃ意味がない』ってやるんでしょ。それじゃ共同じゃないよ。澄、あなたが全部決めたら、何も残らない」
その声に、澄の胸の中で何かが崩れた。指先が硬く紙の球を掴む。自分が何度もやったこと――上から塗り潰すこと、余白を埋めること、他人の手の跡を消して「整える」こと。あれは本当に守ることだったのか。それとも、ただ怖れの裏返しだったのか。
「決めつけないって、どうするの?」澄は小さく訊いた。答えは簡単そうで、澄には恐ろしかった。選択を放棄することは、自分が手放されることに似ていた。
祐里はにっこり笑って、澄の手から浮き球を受け取った。「順番に筆を回そう。言葉を決めずに、思ったまま塗る。誰かが塗りたくなったら塗る。やり直しはしない。ただ、それだけ。痕跡が出るか出ないかは、後で見ればいい」
蓮が唇を歪める。「急ぐなよ。二人でも三人でも、時間をかけろ。関係を急いで固めるな。壊れる」
三人は言葉を交わしながら、小さな作業を始めた。澄は筆を受け取り、ぎこちない線を引く。手が震える。色が水に広がるように、澄の心も波紋を描いた。誰かが笑い、誰かが舌打ちをし、誰かが黙っている。互いの呼吸が近づき、遠ざかる。
最初の浮き球は、祐里の無邪気な赤い斑点と、蓮の几帳面な薄い青い縁取りで形を成した。澄は自分でも驚くほど手を抜いて、淡い緑の線を一本入れただけにした。完成したものを三人で見つめ、祐里がニヤリとした。
「じゃあ、見てみようか」祐里が言う。彼女は小さなスマートフォンのような器具を取り出した。澄は習性で胸がざわついた。いつでも「見えるか見えないか」を確かめたがる自分がいる。だが祐里は澄と目を合わせ、小さく首を振った。「今日は、見る前に一回だけ約束して。結果を決めつけないってこと」
澄はその目を見て、うなずいた。指先が温かい。小さな誓いだったが、それを口にすることで、体のどこかに溜まっていた緊張が緩むようだった。
祐里が器具に触れる。表示は一瞬光り、そして淡い模様が浮かび上がる。澄の胸が跳ねた。だが模様は記号ではない。色のレイヤーが交差して、微かに震えるような線が見えるだけだった。それは確かに「痕跡」ではある。しかし、澄が以前に求めたような、明確な感情の文字や判定のようなものではない。円や斑点、時折、指先の温度のような影が映るだけだった。
澄は安堵と失望が混ざった複雑な気持ちに襲われた。安堵は――誰かの色が消されずに残ったこと。失望は――自分が期待していた「答え」がそこにはないこと。だが、そのとき澄は小さな異変に気づいた。視界の端がスッと白くなり、瞬間的に何かを忘れた気配。短い、柔らかな記憶のかけらが消えた。自分が一回だけ歌ったはずの歌の一行の音程が思い出せない。誰かと笑い合ったはずの、あのときの澄の声がどんなものだったか、ふっと消えた。
「どうした?」蓮が訊く。澄は舌で喉を湿らせ、頭を振った。「大丈夫」
だが胸の奥はざわついている。祐里は気づいていないように笑って、もう一つの浮き球に色を置いた。次の球は、慌てて描かれた線のためか、絵の具が水滴になって垂れていく。誰かが