天文台で未来を怖がる恋人たちは同じ夢を選び直す 第9話「第8章」
夜の美術室は、白熱灯の黄がかった匂いと、乾いた石膏の粉の匂いで満ちていた。窓の外には遠く、街灯の点が砂粒のように散り、校舎の屋根を越えて三日月が薄く欠けている。ミナトは作業台に突っ伏し、右手の平で額を押さえていた。机の上には、まだ半分形のままに割れた小像。指先に伝わるのは、紙やすりのざらつきと、どこか焦げたような匂い――彼が無理に接着した場所から立つ臭いだった。
夜の美術室は、白熱灯の黄がかった匂いと、乾いた石膏の粉の匂いで満ちていた。窓の外には遠く、街灯の点が砂粒のように散り、校舎の屋根を越えて三日月が薄く欠けている。ミナトは作業台に突っ伏し、右手の平で額を押さえていた。机の上には、まだ半分形のままに割れた小像。指先に伝わるのは、紙やすりのざらつきと、どこか焦げたような匂い――彼が無理に接着した場所から立つ臭いだった。
「……ミナト?」
声。アヤの声が廊下の鍵の音を鳴らして入ってきた。彼女のスニーカーが床に小さく当たる。アヤは薄暗さの中でもすぐに分かった。黒い髪が肩に落ち、頬には昨日の疲れが残っている。眉が寄っていた。
「これ、なにをしたの。どうして一人で……」
アヤは小像を掴み、割れ目を覗き込む。白い粉が爪の間に付く。ミナトは自分でやったことを思い出そうと目を細めたが、映像が細切れで踊るだけだった。彼女と一緒に彫った日、粘土の冷たさ、アヤの笑い声。そこまでは来る。だが、いつ、どうして粘土が割れ、どうして彼が一人で補修しようとしたのか――輪郭がない。
「わたし、聞いてるのよ」とアヤの声が震える。「なんで勝手にやったの。あなたが言ってたでしょ? 同じものを一緒に作らないと、痕跡は残らないって。約束だったはずよ」
ミナトは喉を鳴らして言葉を探した。頭の中で何かが鳴る。低いブザーのような不協和音。手のひらが冷たくなるのを感じる。
「ごめん、アヤ。覚えてなくて――」
謝罪の言葉は喉で止まった。そこから先がつかめない。彼の目の前に浮かぶのは、ただ壊れた小像の断面だけだ。アヤの目が大きく見開かれ、怒りと失望が交ざっている。
「覚えてないで済むことじゃない。あなたは私たちの約束を壊したのよ」
アヤは小像を机に強く置き、手の甲で顔を覆う。指の隙間から彼女の目が潤んでいた。ガラス窓の外、三日月はもう半分隠れていた。
ドアの外で人影がかすかに動いた。リン、と名札を付けたリナが顔を覗かせる。続いてコウタの肩越しに、ソウマが腕組みして入ってくる。三人は互いに目配せをして、無言で状況を把握した。
「何があったの?」リナがそっとテーブルに近づき、小像を手に取る。彼女の指先が粘土の断面に触れたとき、空気が一瞬固まったような気がした。リナの顔に淡い光景が走る――昨夜の放課後にアヤとミナトが並んで粘土を捏ねていた小さな記憶。それははっきりしているが、リナだけに見えるものではない。そうでなければ彼女の指の動きが自然に補正されるはずはない。
リナは軽く息を吐いて顔を上げた。「これは、共同で作った痕じゃないわ。接着は新しいし、押し付けられた形跡がある。ミナト、聞かせて」
ミナトは首を振る。言葉がまた出ない。コウタがテーブルに肘をつき、実直な声を落とした。
「俺たちでちょっと試してみよう。規則を確かめないと先に進めない。ここにある材料で、二人で小さなものを作って痕跡が残るか確かめる。それから、ミナトがひとりで作ったらどうなるかも比較する」
ソウマはぐっと唇を噛んだまま頷いた。彼は生徒会の資料の山を抱えるように、制度の話をする。今夜の目的は単純だった:能力の仕組みを全員で理解すること。だが、誰もが知っているのは、仕組みを誤れば代償が即座に来るということだった。
リナとコウタは、紙と糸と小さな薄い折り紙を取り出した。リナが糸を折り紙に結び、コウタが糊で端を固める。その手さばきは呼吸のように揃っている。二人の指が重なる瞬間、折り紙の表面に微かな波紋のような輝きが広がった。リナの眉がほんの少し跳ね、満足げに笑う。
「見える?」リナがミナトに差し出す。表にはふたりの名前の首文字が繊細に押され、触れると温度の差のようなものを感じる――感情の痕跡だ。ミナトが慎重に折り紙を触ると、胸の奥に小さな景色が灯る。二人で笑い合った午後の光、互いの掌が触れた瞬間の静かな確信。だがその景色は断片的で、完全な言葉にはならない。
「これは、共同だから出る。やっぱり合意と共同性が必要なんだ」とコウタが言った。その声に、部屋の空気が少しだけ軽くなる。
次にリナは同じ折り紙にミナトの名前だけを書き、コウタは一歩離れて作業した。ミナトがその折り紙を触る。何も起きない。表面はただの紙で、温度差も、光景もない。リナは眉をひそめた。
「共同していないと、痕跡は空白になる。代償は……」リナの言葉をコウタが引き継ぐ。「単独で痕跡を得ようとすると、代償が来る。前にミナトがやったときと同じだ」
ミナトの胸が締め付けられる。記憶の切れ目が、また爪で引っ掻かれたように疼く。頭の中に針が入り込み、音が遠ざかる。汗が首筋を伝う。手の震えが止まらない。
「ああ、やっぱり」ソウマの声が低く響く。「代償は短期記憶の欠落と、強い倦怠感。物理的な痛み――頭痛、視界のチカチカ。だから仕方なく一人でやる奴が出ると、関係を急いだり、勝手に決めたりしてしまう。でもそれは逆効果だ」
ミナトは唇を噛んで自分を抑える。思い出せない記憶の隙間に、恥と恐れが流れ込む。アヤが近づいてきて、彼の肩に手を置いた。冷たく、確かな重み。彼女の指先が震えているのが分かる。
「あなたは本当に、自分の恐れで私たちを壊す気なの?」アヤの声は紙一重で震えた。「私たち、同じ夢を選び直すって話でしょ? 一人で選んだ夢なんて、意味がないのよ」
ミナトは目を閉じ、ゆっくりと吐く。言葉を出す前に、背後のドアが開き、自販機の光に照らされた人物が入ってきた。生徒会の書類を抱えたカズヒコで、彼の顔は夜の疲れで硬い。
「明日、天文台で『未来評価フェア』ってのをやるらしいよ」カズヒコはそれを言葉として吐き出すが、その目は訴えるようにこちらを見ている。「学校側主催。カップルで将来性を可視化して、外部の推薦企業や進学相談が参考にするんだって。つまり、恋愛を評価して点数にする。噂と評価で消費するための入り口だ」
その言葉が部屋の中を冷たく走った。誰かが机に肘をつき、椅子がきしむ音がする。アヤの手がミナトから離れ、彼女は床を見つめた。
「天文台で……か」リナが小さく言う。天文台。三層伏線の一つに刻まれた場所が、彼女たちの話題になった瞬間だった。天文台は校外の大きな施設で、星を観る場所であると同時に、地域のイベントが開かれる舞台でもある。視覚のフックだったが、これまでは個人的な場所としてしか見ていなかった。
「これは利用できるかもしれない」ソウマの目が光る。「表向きは評価のイベントだけど、俺たちが参加して、共同制作の場にしてしまえばいい。公の場で、参加の概念を見せつける。噂と評価で消費することの無意味さを、実際の経験で塗り替えるんだ」
コウタは腕を組んで考える。「でも、アヤが言ったように、ミナトがまだ信用を失ってる。彼が一人で何かやるとまた代償が来る。もし公開の場でミナトがまた勝手に動いたら、あいつはもっと傷つくし、アヤも引くかもしれない」
アヤはその言葉を聞いて、ほんの少しだけ首を振った。「私は……公の場で私たちを晒し物にされたくない。けど、同時に、私たちのやり方を見せることには賛成。条件がある。ミナトが私と一緒に、ここで、みんなの前で一つのものを一緒に作る