万華鏡砲の補給士と箱舟財団

万華鏡砲の補給士と箱舟財団 第20話「第18章」

風が裂ける音。鉄板と布が寄せ合うようなざわめきが、避難区の薄暮に溶けていった。焦げ臭い匂いと硝子の匂いが混ざり、遠くで自動監視機が低く唸る。桟橋代わりの壊れた貨車の上、紺野廉は握った拳の中で小さな金具を確かめた。それは万華鏡砲の鍵――砲身外側に嵌める小さな芯だ。回すと薄紫の光が一瞬走る。

風が裂ける音。鉄板と布が寄せ合うようなざわめきが、避難区の薄暮に溶けていった。焦げ臭い匂いと硝子の匂いが混ざり、遠くで自動監視機が低く唸る。桟橋代わりの壊れた貨車の上、紺野廉は握った拳の中で小さな金具を確かめた。それは万華鏡砲の鍵――砲身外側に嵌める小さな芯だ。回すと薄紫の光が一瞬走る。

「れん、時間がない。高梨班が三分で遮断ラインに入る。ここから動かないでくれ」
ハヤトが喉を震わせ、タブレットの画面を押し付けながら言った。画面の地図は赤い弧を描いて、箱舟財団の包囲が確実に狭まっていることを示していた。避難民の列は薄い毛布の山になり、子どもは母親の背中に小さな頭を押し付けて震えている。ライトは消え、群青と灰色だけが世界を支配していた。

「合意は?」ユリカの声が低く響く。医療用の粗布を肩にかけた彼女は、れんの横に来て目を泳がせた。夜明けと同じくらい白く光る彼女の目は、いつもより冷たかった。

れんは口を開く前に、ふと別の時間の記憶に触れた。前世で彼が握っていたのは、砲身ではなく、泥まみれの箱と補給表だった。燃える屋根の下で手渡した缶詰の冷たさ、雨に濡れた配達道の匂い、命の綱を結び直すための微細な判断。そこにあったのは、押し出された役目を受け止めろという静かな必然だった――そして、同じ手が今、万華鏡砲の鍵を回していた。

「全員、手を重ねて合図してから起動」それが廉の誓いだった。万華鏡砲は、仲間と合意して一度だけ共有作戦を実現するための媒体だ。仲間の合意なく単独で使えば、反動で感覚の一部を失う。合意を踏みにじれば、能力は味方のみに留まらず、敵にも作用する。廉自身が決めたルールだ。だから彼は、いつでも皆の顔を見てから起動しようとしてきた。

しかし、今、合図は揃っていない。サラは偵察に出ていて戻らない。避難民の列にいる若い父親が子供を抱き締め、動けなくなっている。遠方から、箱舟財団の無人歩哨が接近してくる低い金属音が聴こえた。子どもの泣き声が一回、空気を裂いた。

「子どもが──!」一瞬、全員の動きが止まる。誰かが叫び、別の誰かが走り出す。ユリカは走り出す代わりに、廉の手を掴んだ。その手は小刻みに震えていた。「れん、ダメ。みんなの同意なしに使ったら──」

「分かってる。分かってる!」廉の声は震えた。だが、咄嗟に抑えられたのは恐れではない。前世の感覚が、命を繋いだ瞬間を反芻していた。味方の合意が揃わなければ機能が限定される――だが、合意が揃わなければ誰かを見捨てることにもなる。彼の胸は、二つの痛みに引き裂かれていた。

金属音が近づく。箱舟の歩哨が網目状の拘束光を放ち、子どもを囲もうとしていた。母親が叫び、父親が手を伸ばす。時間はもうない。

廉は、深く息を吸った。手の中の鍵を押し込む。砲身が低い振動を始め、側面の万華鏡板が螺旋のように回りだす。光が断片的に散り、微細な虹が夜の暗を切り裂くようだった。手を重ねる儀式は誰ともできない。だが彼は自分の胸に浮かんだ前世の約束を思い出した――危険現場で最後に渡した一つの包み。それは、一度だけでも誰かを助ける術となるのだ、と。

「行く」廉は吐き出すように言って、扳機に指をかけた。砲の振動が指先から骨まで響き、口内に鉄とミントの混ざった味が広がった。視界の端で、色が急速に剥がれていく感触があった。万華鏡の光が網目の拘束線に触れ、反射が何層にも重なる。世界は破片となり、裂け目から別の世界が覗いた。

発射の反動は鋭かった。身体の中に冷たい衝撃が走り、目の奥に小さな花火が散る。耳が遠くなり、そこから高い金属音だけが残った。左目の視界が──一瞬のあいだ、色をすべて失った。夕闇は灰色となり、赤い毛布も青い服も同じ灰色の布のように溶け合った。手に持った鍵の金具すら、光を失って石のように見えた。

「れん!」ユリカが叫ぶ。彼女の声は遠く、波打ちながら届いた。廉は力を振り絞って立ちすくむ。一瞬の光景の後、拘束線がまるで仕組まれた幻のようにほどけ、子どもは母親の腕に滑り込んだ。避難民たちは混乱に乗じて横へ流れ、貨車の裏手へと駆けていく。万華鏡の反射が作り出したのは、十の幻影、千の影、そして一つの隙間だった。

しかし効果は、別のところにも現れた。箱舟財団の無人歩哨の群れの一機が、小刻みに震え、動作プログラムが撹乱されたように停止する。さらに遠く、彼らの指揮系統に繋がる有人装甲車の砲手が、急に顔を歪めて膝をついた。高梨の通信回線から、短い断続音が返ってくる。誰かが無意識のうちに受け取ってしまったのだ――廉の発射が、仲間の合意を無視したために、敵にも作用した。

その瞬間、廉の目の奥に別人の記憶が割り込んだ。白い手袋に包まれた手が、装甲車のコクピットのボタンを押す。誰かが冷たく計算して作業をしている。だがその直後、同じ光景が彼の頭の中で再帰し、別の映像――泥だらけの箱を開ける小さな子の顔が重なった。混ざり合う記憶が痛い。廉は両側から引き裂かれるような吐き気を感じ、膝をついた。

「どういうことだ……」ハヤトがタブレットを投げ出して現物を覗き込み、眉を寄せた。「砲の出力、反射パターン、そして──このログ。なんだ、この符号は。万華鏡の共鳴で誰かの行動パターンが外部に伝達されてる。しかも──僕らの合意がなくても、相手もスロットに噛み合ってる。つまりれんの発射は、敵の挙動にも干渉している」

「それって、僕がやったことは敵を操ったってことか?」廉は声を絞り出す。口の中の金属味が強くなり、耳鳴りが高くなる。自分の片目が色を失ったことに気づいていた。目を閉じると、暗闇の中に歪んだ万華鏡の花模様が残像となって回り続けた。

ユリカが膝に置いた手をどけ、廉の頬に触れた。冷たい。彼女の指先から、生活の匂い(薬の匂いと消毒の匂い)がして、それが彼を現実に引き戻した。「れん、あなたは子供を守った。だけど……ここからが問題よ。敵にも作用したということは、箱舟がこのパターンを解析して、次に使うときにはこちらを捕捉するために利用できるってこと」

「そうだ」ハヤトが短く言う。「ログの一部が残ってる。断片的だが、発射の共鳴符号はネットワーク上に刻まれた。箱舟はそれを解析し、システムとして反復する。つまり、僕たちの'奇跡'は、彼らにとっての設計図になるかもしれない」

言葉は冷たく、夜風のように体を冷やす。廉の胸の中で、前世の補給の感覚がもう一度押し上げて来た。危険地帯では、一度の補給ミスが何人もの命を差し出すことになる。今、彼は一つの命を救った代償に、数多の未来を箱舟財団に与えてしまうかもしれない。選択の重さが、彼を押し潰しそうになった。

「俺がやった」廉は小さく、しかしはっきりと言った。「選んでしまった。合意を取れなかった。だけど──子どもを守りたかった。これが代償だ。誰かを操ったかもしれない。俺はそれを赦さないでくれ」

サラがようやく現場に戻ってきた。彼女の服は泥と埃で汚れ、呼吸は乱れていた。彼女は廉の顔を見て、黙って顎を引く。言葉はなかった。仲間の決断は、言葉以上に重い。彼女は手首に巻かれた布の端を外し、小さな虹色の紙片を廉に渡した。子どもが落としていったらしい。紙には、粗雑な色鉛筆で描か