影走糸の研究員と緋色局

影走糸の研究員と緋色局 第16話「第14章」

大型LEDの白光が一斉に広場を切り裂き、熱を含んだ風が埃を巻き上げた。壇上では緋色局の司会者が敬礼めいた笑みを浮かべ、マイク越しに「これは市民の同意の実演です」と声を張る。綾乃はその声を耳に届く遠い振動として捉えながら、群衆の波の中で身体を固めた。息は塩のように乾き、手の甲に冷たい汗が滲む。壇上の四方から伸びるのは、見る者の目を黒く縁取るような、赤黒い糸だった——影走糸。光を受けて微かに揺れるそれは、人の首元にゆっくりと巻き付いていく。

大型LEDの白光が一斉に広場を切り裂き、熱を含んだ風が埃を巻き上げた。壇上では緋色局の司会者が敬礼めいた笑みを浮かべ、マイク越しに「これは市民の同意の実演です」と声を張る。綾乃はその声を耳に届く遠い振動として捉えながら、群衆の波の中で身体を固めた。息は塩のように乾き、手の甲に冷たい汗が滲む。壇上の四方から伸びるのは、見る者の目を黒く縁取るような、赤黒い糸だった——影走糸。光を受けて微かに揺れるそれは、人の首元にゆっくりと巻き付いていく。

「真琴!」 三輪光(みわ・ひかる)が叫んで、群衆を割くように走った。彼は消防士のような肩幅と、短く切った髪が汗で貼り付いた若者だ。壇上の柵を越えようとする彼に、ステージ奥の職員が挟み込むように体を入れた。だがそのとき、空気を裂くように一本の糸が伸び、職員の腕を縛るように絡みついた。職員は驚愕のあまり腕を振るうしかできず、光はその間に跳んで壇上へとよじ登った。

綾乃は目を凝らした。糸は人の動きに合わせてしなやかに反応し、締め付けるのではなく、誘導するように首筋を滑っていた。いいように見えれば、人の頸にそっと寄り添う細工。しかしその裏で、壇上の中央、拘束された小野寺真琴(おのでら・まこと)の首元に、糸はゆっくりと巻きついていく。真琴はマイクを握りしめて唇を震わせた。カメラが彼女の顔に寄る。直播送信のフレームが綾乃の胸を締めつけた。

「やめろ、光!」坂城玲(さかき・れい)が怒鳴る。玲は腕を伸ばして光を止めようとするが、人の壁が邪魔をして届かない。光は柵を乗り越え、真琴まであと一歩というところで体勢を崩した。糸が一瞬光の脚を絡め取り、彼は地面に倒れ込む。糸は光の胸元に絡まり、腕が動かない。光はそこで初めて、糸が単なる道具ではなく、意思を伴っているかのように作用していることに気づいた。

「綾乃、届く?」玲が携帯を押し付けるようにしてささやく。彼女の声は粗く、しかしどこか確信があった。綾乃の胸の中で、古い警告が鳴った。影走糸は彼女自身の媒介だ。彼女が媒介として意図を乗せた「共有された作戦」だけを実現する。だが――単独で行使すれば、感覚の一部を失う。仲間の合意を無視すれば、能力は敵にも及ぶ。これが、自分が背負っている代償のすべてだ。

光が呻く。顎を上げると、血が口の端ににじんでいた。彼の目がこちらを見て、何かを叫ぼうとする。綾乃は世界が一瞬、薄膜越しになったように感じた。前に単独で能力を使ったとき、彼女は右耳の聴覚を半分失った。あの夜の雨の匂いが消えたことを、まだ知らない。指先の触覚は戻らず、皿の縁を確かめる癖が残っている。あの代償が、今ここでまた来るとわかっている。

「綾乃、頼む!」光の声が喉から絞り出る。時間はない。壇上の職員がマイクを握り、演出と称して照明を強めた。赤い糸が群衆の首筋に波紋のように広がる。人々の顔に恐怖と混乱が交差した。ある年配の女性が手を伸ばして、胸の前で糸を撫でるようにして同意の仕草をする。カメラがその手を映し、コメント欄が沸騰する。世界が監視の目で作られた「同意」の瞬間を欲しているようだった。

「やれるか?」玲がもう一度言う。彼女の指は震えているが、目は冷静だ。周囲の仲間たちは、綾乃を見る。合意はない。計画の共有もない。だが光の命が危ない。綾乃の胸の奥で、研究者としての習性がひび割れた理性と喧嘩を始める——計算された最小被害で救えるはずだ、という声と、これをやれば局と同じになる、という声。

綾乃は唇を噛む。思考はすべて、指先へと集中した。影走糸を触媒にするには、自分の手で糸を引き、合図を与える必要がある。彼女の手が振動する。もし今ここで単独で作動させれば、糸は彼女の意図どおりに光と真琴のいる範囲に作用するだろう。だが、その瞬間、能力は「敵にも作用する」規則を発動させる。壇上の執行者たちにまで力が及び、彼らは強制的に同意したように見えるだろう。緋色局の演出と、彼女の一手が重なれば、ある意味で同じ構造を再現してしまう。

光の顔が真っ青になり、呼吸が浅くなる。彼は最後の力を振り絞って、真琴のシャツを掴んだ。糸が締まる。「綾乃!」と叫んだその声が、綾乃の胸を割った。判断は瞬間に迫る。

綾乃は膝をつき、掌を地面に押し当てた。砂のざらつきが伝わる。内側から、影走糸の感触が脈として現れる——自分の意思を運ぶ血管のように。彼女は一度、深く息を吸う。左耳の奥で、過去の逸失感が針のように疼いた。だがもう戻れない。彼女は隣で叫ぶ玲を見た。彼女の目に、合図の光が宿る。合意はない。だが玲が頷いた。その頷きは短く、しかし確かだった。玲の頷きは彼女にとって、合意の代わりになったのかもしれない——仲間の自律的な選択が、綾乃に許可を与えた。

綾乃は息を止め、指先で空気を撫でるようにして、影走糸へと触れた。赤黒い光が指先から流れ込む。糸は瞬時に生き物のように動き、綾乃の意図をくみ取った。彼女が描いた作戦は単純だった——光と真琴の周囲にある糸をゆるめ、二人を解放する。対象は仲間だけ。壇上の執行者には手を出さない。だが、それは「仲間と共有した作戦」でなければならなかった。玲の瞬間的な承認を、綾乃はそれとして受け取った。

糸は躍動した。綾乃の脳裏に、かつて自分が設計した模型の回路が一瞬フラッシュする。糸は光の体を包み、絡まった部分をほどいていく。冷たい金属の匂いと、体温の差が混ざった匂いが綾乃の鼻腔を突く。光はねじれながら解放され、真琴の腕も同時に自由になる。歓声が湧くかと思った瞬間、綾乃の左目の視界が一瞬チラついた。指先が痺れ、舌先が金属のように味を失った。過去の代償が再び訪れたのだ。

だがその代償以上に、綾乃はすぐに別の震えを感じ取った。壇上の側で、緋色局の執行者たちの身体に連動して糸が伸び、彼らの手首や首筋を優しく押さえつけるように絡みついていた。彼らは驚いた表情のまま、さも自らが同意したかのように微笑む仕草を見せる。観衆の目はそこへ吸い寄せられ、画面はその瞬間をアップで捉えた。コメント欄は歓声と罵声で同時に爆発する。

「影走糸だ……紺原の手跡だ」——誰かの声が遠くで囁かれた。背後のスクリーンに、解析画像が流れる。影走糸の経路を示す波形の中に、見覚えのある設計符号が現れた。綾乃はその符号を見て、凍り付く。かつて、彼女が研究室で調整した微細パターンの残滓だ。あれは単なる偶然ではない。映像解析が、公の放送の中で彼女の「手跡」を示していた。

綾乃の左耳は、遠くで誰かが怒鳴るのを拾うことができない。触れていた砂の感覚はほとんど失われ、掌の温度を確かめることすらままならなかった。だが視界の端で、光がふらつきながら立ち上がるのが見えた。真琴は肩を震わせ、息を確保した。不謹慎なほどの安堵が胸を過る。しかし歓喜はすぐに影に覆われた。局側の司会者が高笑いを漏らし、カメラは綾乃の背後にいる数人の男を映した——モニターの角に小さく、あるいは巧妙に配置された回路模様。誰かが、その模様を説明する字幕をスクリーンに重ねた。

「綾走の手法を用いて一局が反転の危機を回避した――偶然の一致ではない。協力者がいるはずだ」

観衆はざわめき、スマートフォンのフラッシュが瞬く。綾乃は