疾風杭の法医学者と雨の王女

疾風杭の法医学者と雨の王女 第24話「第22章」

テントの天幕が、雨に叩かれて低いうなりを立てている。あらゆる音が白く溶けるような夜だった。消毒薬の匂いと血の鉄の匂いが混ざり、合羽越しに誰かの低い嗚咽が伝わる。葵は麻布と糸を握ったまま、隣に横たわる隼人の瞼を見下ろした。彼の胸は浅く、時折苦しげに震える。脚の周囲は焼け爛れていて、止血のための包帯が暗く滲んでいた。

テントの天幕が、雨に叩かれて低いうなりを立てている。あらゆる音が白く溶けるような夜だった。消毒薬の匂いと血の鉄の匂いが混ざり、合羽越しに誰かの低い嗚咽が伝わる。葵は麻布と糸を握ったまま、隣に横たわる隼人の瞼を見下ろした。彼の胸は浅く、時折苦しげに震える。脚の周囲は焼け爛れていて、止血のための包帯が暗く滲んでいた。

「意識はあるみたいだ。血圧は落ち着いてるけど……膝から先はやばい。外科隊の到着が遅れれば――」瑞希が小声で言う。瑞希の声は、テントの反射でこもって届く。外からは怒声とガラスを割る音、そして時折、木片が壁に当たる乾いた打撃音が紛れ込んできた。

「保守連の連中が、さっきの非常呼集を利用して突入したんだ。『秩序を守る』って名目で、避難民のテントを押しつぶしている」慧は外套のフードを深く被りながら言った。彼の指先は震えていたが、顔は引き締まっている。テントの入口からは、炎の赤い反射が見えた。雨が炎をなでるたびに、炎は狼の眼差しのように光を揺らした。

葵は隼人の手を取り、その温度を確かめる。まだ温かい。隼人がかすかに口を開き、血にまじった言葉を絞り出した。

「葵……やるなら、やれ。待ってる余裕はない」

彼の指が、握る力を示すように葵の掌を締めた。葵は言葉を失った。疾風杭は膝の影に胴体を突き刺して置かれている。冷たい鉄が布越しにも指先に伝わる。杭には使者の刻印のような彫り跡があり、そこに触れると微かな振動が掌に伝わったことが過去にはあったが、今はその振動が鋭利に感じられた。

「全員の合意が必要だ、葵」瑞希が続ける。「それが――あの能力のルールだ。独断で打ったら、代償は酷い。君の聴力がどうなるか、前の事例で示されてるじゃないか」

「前の事例って……今それどころじゃない」葵は答えた。だが言葉に自信がない。合意。合意を取るためには時間がいる。だが子供たちの怯えた顔、老女の痩せた腕が寒さで震えるのを思うと、時間は残されていないように思えた。

「外の奴らが――もうバリケードを突破した。テント群の中央、炊き出しの方角に向かっている」慧の声の震えは抑えきれず、テントがぴくりと揺れる。外の足音が近づき、短い叫び声が混ざった。鉄の匂いが増し、誰かが床に嘔吐する音が小さく響いた。

隼人が唾を切るように息を吐いた。「俺はさっき、あいつらの顔をそろえたんだ。名前だって覚えた。あの中に――高丘ってやつがいた。官服の紋章を隠して、連中を煽っていた」

葵は目を見張る。高丘。彼女が持つ小さな知識の端で、どこかで聞いたような姓が震える。だが今それを掘る時間はない。高丘という名が何かを示しているなら、それは後でつなぐべき手がかりだ。今は避難を優先するべきだ。

「合意、合意って……!」誰かがテントの入口で叫んだ。外の群衆が手榴弾ほどのものを投げたという衝撃が遥かに伝わる。火花と悲鳴の混ざる一瞬が、全員の緊張を頂点に押し上げた。

葵の手は自然と疾風杭に伸びた。冷えている。金属の継ぎ目で指先が痺れる。杭を引き抜くと、地面に小さな渦が生まれる気配がするのを、彼女は直感で理解した。ルールがある。共有された作戦を一度だけ実現する。合意がなければ、敵にも作用する。単独で使えば――感覚の一部を失う。

「葵、やめて!」瑞希が握りしめた手を離して、彼女の腕を掴む。「君が独断でやれば、あの杭はあの連中の運命も握る。彼らが――」

「それでも、待てない!」葵は突き放すように言った。声が、右耳の隆起した鼓膜を通っても鮮明に届くのが皮肉だ。周囲の目が葵に集まる。合意は取れない。子どもを抱える母親は泣いている。老人はじっと石のように黙っている。誰もが決断の瞬間を外側から見ているだけだった。

隼人が薄く笑った。「葵……俺はもう、選んだ。子供たちを逃がしてくれ。お前だけは、責めるなよ」

手が震え、杭の柄が汗で滑る。葵は短く息を吸い込んだ。心臓が耳の奥で跳ねるのがわかる。合意がない。だが誰も動かないのはもう耐えられなかった。彼女は杭を引き抜いた。

金属が唇に擦れるような冷気が掌を通り抜け、雨の匂いが混じる。杭の先端を地面に突き刺すと、土は微かに震え、空気がぐっと引かれた。風はないはずの方向から音を伴わずに流れ込み、テントの中の帆布が吸い上げられるように勢いを持った。葵の胸の中で、何かが落ちると同時に世界が重力を失った。

次の瞬間、耳鳴りが爆発した。高音の金属を擦るような叫びが左から右へ波を打って過ぎ、左耳の周辺が冷たい突き刺しに満たされた。葵は呻いた。左側の世界がまるで布で覆われたかのように遠のき、雨の音は薄く、遠い鼓動になった。指先がしびれ、視界の端で光が裂けた。何か大事なものが逸れていくのを感じた。

同時に、空気が押し寄せた。テントの天幕が蛇の鱗のように跳ね、数十人の体を一気に抱え上げて隣の広場へと運んだ。風の通路ができ、そこに押し込まれる形で避難民は泥と雨の上を滑るように移動していった。子どもたちの叫び声が一瞬高く上がり、次いで沈んだ。葵は杭を握る手に力を込める。これは、共有された作戦の一部を「一度だけ」実現する感触だ――だが、合意はなかった。

外で籠もる怒号が、風に引かれるように変容した。葵の視界の端に、保守連の一塊が風のトンネルに巻き込まれるのが見えた。男たちの足がもつれ、あっけなく膝をつく者、転んで顔を泥に埋める者、武器を放り投げる者もいた。だがその直後、別の光景が葵の視界に突き刺さる。何人かの者は、風に導かれる形で一斉に敵意をぶつけるように突進してきた。風が彼らの動作を「強制」したかのように、攻撃の向きが一致してしまっていた。病的な単一性、選択が剥奪された集団の動き。

「――やったのか?」瑞希の声が遠くから聞こえた。葵は応えることができず、左耳は虚無で、右耳だけがかろうじて音を届けている。杭を押し込み続ける腕が痛む。隣で隼人が薄い声を上げた。

「葵……敵も、操られている。お前の――杭は、意志を繋いでしまったのか?」

葵は恐ろしくなった。ルールは言っていた。合意を無視すれば、能力は敵にも作用すると。だが彼女が恐れていたのは、敵に害を与えることではなく、誰かの選択を奪うことだった。避難民を無理に一つの行動に縛りつけるのとは違う、相手側にも同じ単一行動が突き付けられる構図。人々の目が虚ろに向く。葵の胸は締め付けられた。

風の力は一瞬で収まり、テントが床にべたっと戻る。避難民たちは泥に座り込み、しかめっ面をする者、何が起きたかを掴めない者、泣き出す者がいた。外の混乱は小康を得たように見える。だがあちこちで人が痛みで呻き、武器を落とした男がわめきながらもまた立ち上がろうとする怪しい気配が残った。

葵は杭を抜き、膝に戻した。掌から杭を離すと、掌には小さな血の斑点が付いていた。左耳の鼓膜が割れたような鈍い痛みが広がる。彼女は指で耳を押さえたが、そこから戻る音はなく、世界は左右不均衡なまま揺れている。吐き気がした。味覚がわずかに金属を拾った。

隼人が額に手を当て、血だらけの唇で言った。「救えたんだろ? それでいいじゃないか。俺は――それで満足だ」

彼の目には覚悟が滲んでいる。瑞希は葵を睨んだまま、だが怒りより先