群青鋏の格納庫長と潮汐王

群青鋏の格納庫長と潮汐王 第25話「第23章」

潮の音が格納庫の鋼鉄壁を叩いた。塩の匂いが鼻腔を刺し、断続的なアラーム音が薄く震える。エトは群青鋏を握りしめた手のひらに力を入れる。刃先の群青は、いつもより冷たく、重い密度を帯びて光を吸っているように見えた。

潮の音が格納庫の鋼鉄壁を叩いた。塩の匂いが鼻腔を刺し、断続的なアラーム音が薄く震える。エトは群青鋏を握りしめた手のひらに力を入れる。刃先の群青は、いつもより冷たく、重い密度を帯びて光を吸っているように見えた。

「ここからはもう、時間との戦いだ」マリが低くつぶやく。真顔の瞳に焦りが走る。彼女の声は、波にかき消されそうになっていた。

格納庫の奥、金網越しに明かりが漏れる。そこに閉じ込められた避難民たちの影が揺れている。子どものすすり泣き、年寄りの息づかい、金属と水がこすれる音が混ざって、どれが合図か判別できないほどに雑多だ。潮汐王の仕掛けた「穏やかな増水」は、数時間で内部の空間を飽和させつつあった。

「エト、どうする?」セラが問いかける。彼女の手は白い包帯に覆われ、指先が震えていた。救助機材は限られている。外側のゲートは潮流で塞がれている。通常の手段では、ここにいる全員を一度に外へ出すことは不可能だ。

エトは群青鋏の柄を指先で確かめた。格納庫長として、刀のような実用性を想像してしまうのは癖だが、群青鋏はそうしたものではない。彼に与えられた能力――仲間と「共有」した作戦だけを、現実に一度だけ成立させる能力。何度も考えてきた条件と代償が、今目の前の選択を押し広げている。

「協議を取る時間はない。俺が単独で――」エトが言葉を切る。彼の肩が一度硬直した。孤独な瞬発力は、過去に何度も誘惑し、同時に代償を突きつけた。単独使用の反動で、感覚の一部を失う。以前の小さな使用で、彼は一週間ほど嗅覚の鈍りを経験した。今回はそれより大きいかもしれない。

「ダメよ、エト!」レンが叫んだ。レンは汗で濡れた顔を歪め、機械のハンドルをぎゅっと握っている。「あんた一人で責任を取るな。仲間の合意を無視したら、あの能力がどう働くか、忘れたのか!」

「忘れてない」エトは小さく笑ったような、苦い声を出した。「だから言ってるんだ。時間がない。選択肢を分けてる余裕がないんだよ」

「時間がないってのは、いつも言い訳になる!」マリの声が割れる。彼女はエトの腕を掴もうとしたが、エトは柄を引き寄せて身を引いた。合意を取るための物理的な触れ合いを、エトはいつもどおりの儀式のように扱ってきた。あの刃は、ただの金属ではなく、同意の媒体でもある。

格納庫内の照明が一瞬暗くなった。遠くで何かが引き裂かれる音。水位が一段と上がったのだ。網の向こうの人たちのざわめきが一斉に高くなる。

「協議してる暇なんてない」と、誰かが冷たく言った。その声は施設の管理端末から流れてきた。潮汐王のネットワークから流されたメッセージ。選択の余地を奪う「穏やかな勧告」。その声に合わせるかのように、避難民たちの動揺が拍車をかける。

エトの手は震えた。群青鋏の背を親指でなぞる。刃の冷たさが骨まで伝う。彼は刃先を人差し指で軽くつまむようにして、口を開いた。

「なら――俺がやる」

言葉が出ると同時に、彼は躊躇なく刃を立てるように空に向けて振った。群青の光が握り手から広がり、空気が一瞬引き裂かれる感じがした。耳鳴りが頭蓋を満たす。血の音と海の音が混じり合い、世界が濃密な静寂へと沈んだように思えた。

その瞬間、格納庫の中で時空の狭間のような現象が起きた。網の向こうとこちらの動きが、まるで映像のフレームを一コマだけ飛ばすように整列する。避難民たちの足取りとレンの工具の運動、マリの指示する声の振幅が、何か不可視の糸でそろい、同じ瞬間に最適化されていく。

だが――代償は即座に襲ってきた。耳が遠くなった。世界の音が斜めに削がれ、低周波だけがくっきりと残る。セラの声は唇の動きとつながらず、遠くの足音は重低音のうねりとして胸に響くだけになった。エトは自分が呼吸しているのを、振動としてしか感知できない。

「エト!」マリが叫ぶ。だが叫び声は届かない。あるいは、届いてもそこに意味を持たないように思えた。彼は自分の頭の中で、世界を聴くことを失ったのだ。

そして同時に、彼が避けたかったことが起こる。能力は、仲間の合意を得ていないまま実行されたため、対象の「共有」を強制するような作用を伴って顕在化した。網の向こうの一群の人影が、一瞬、ぴたりと動きを止める。次の瞬間、その顔に変化が走った。眉が固まり、肩に力が入る。まるで外から何者かが決めた台本に従わされるかのようだった。

攻撃者のスピーカーが、無機質な音声で命令を投げる。「退避しろ」「指示に従え」。だが同じ命令が、避難民の中のある者の動きにも浸透していく。エトは視界の端で、頑なに抵抗しようとしていた老人が、なぜか顔を揃えて歩き始めるのを見た。行為の主体が、何かに引っ張られている。

レンの顔は歪んだ。彼はエトに飛びかかろうとした。だがその瞬間、レンの手の動きもなんとなくたどたどしく、外側から押されるような不自然な同期がかかっている。エトは自分のやったことが、人の選択をねじ曲げるように働いたことを理解した。

「やめろ、やめろ!」セラは必死で誰かの腕を掴むが、その手がすり抜けるようだった。エトは聞けない。彼の世界は音の海から切り離され、視覚と触覚だけが残っている。心臓の鼓動だけが、彼の中で唯一のタイムキーパーだった。

その効果は確かに、短期的には機能した。波の流れの断絶が、外の装置によって一瞬生まれ、レンの修理が間に合い、網が外側に引かれる。避難民たちはその隙に押し出され、数メートルの空間を確保して外へ逃げ出す。しかし、それは代償を伴う勝利だった。強制により身体が動いた人たちの顔に残る空虚さ、そして自分の耳を失った感覚を抱えたエトの目に、救われた者たちの安堵は半分の色しかなかった。

救出が一段落すると、マリはエトの元へ駆け寄った。彼女の眼差しには怒りが混ざるが、それ以上に恐れがあった。

「なにをしたの、エト? あんた……何を基準に決めたんだ」マリの声は震えていた。エトは口を開けるが、彼の声はほとんど聞こえない。セラが彼の耳元で指を鳴らし、コミュニケーションの合図を送る。エトは肩で返事をした。聴覚の喪失が完全でないことだけが、彼を救った。低い振動として感じる声に合わせ、彼は紙切れのように短く息を吐いた。

「選択のない救命は、支配だ」ユウが呟く。彼は以前、潮汐王側の記録管理を担っていた。彼の視線は群青鋏に釘付けだった。「あの力が、無断で人の意志に干渉するように働いた。潮汐王が求めたのは、まさにこれだ。効率的で、でも主体を奪う――そういう秩序だ」

言葉が冷たく、部屋の空気に鋭く刺さる。エトは自分の行為が、潮汐王の手口を借りて、人々の選択を短絡させたことをようやく認めざるをえなかった。救えた命と引き換えに、彼は人の意思をいじった。

マリは群青鋏を取り上げようとした。刃の冷たさが彼女の掌を震わせる。彼女は短く息をつき、そして決断を下した。

「これ以上、あんた一人の判断で物事を決めさせない。もう二度と、誰かの選択をすり替えるような使い方はさせない」

セラが静かに頷き、レンは拳を握りしめる。避難民の中から、一人の女性が近づいてきた。濡れた髪が顔に貼りつき、喉を通る息遣いが荒い。彼女はエトを見つめ、口を開いた。

「あなたがやったこ