骨笛剣の配達員と硝子騎兵団 第16話「第14章」
瓦礫の匂いが鼻腔を刺した。焼けた紙と硝子の粉、そして誰かの血の渋い匂いが混じる。早瀬リクは肩で息をしながら、骨笛剣を抱えたまま、崩れた石段の縁に座り込んだ。剣の柄に巻かれた革はまだ冷たく、骨でできた笛の穴は黒い煤で埋まっていた。指先に残る震えは、使ったときの余韻だ。
瓦礫の匂いが鼻腔を刺した。焼けた紙と硝子の粉、そして誰かの血の渋い匂いが混じる。早瀬リクは肩で息をしながら、骨笛剣を抱えたまま、崩れた石段の縁に座り込んだ。剣の柄に巻かれた革はまだ冷たく、骨でできた笛の穴は黒い煤で埋まっていた。指先に残る震えは、使ったときの余韻だ。
「リク!」
槙真央の声が近づいた。白い包帯が頬に縛られ、額には浅い切り傷。彼女は周囲を見回しながら、伏せている避難民の一人に水を手渡す。高城鉄二は、厚い腕で倒れた門扉を何度も押していた。イネは路地の向こうで、銃口を硝子騎兵団の流線形の甲冑に向けている。甲冑は光を断つほど黒く、薄いガラスの薄膜が幾重にも重なり、独特の高い音を微かに鳴らしていた。
「どうする、リク。まだ動けるのか?」真央が近づく。彼女の目は冷やかではなく、計算のある不安で揺れていた。
リクは剣の先を地面に突き、囁くように返した。「あの隊列を一気に分断する。ここを抜けて、子どもたちを裏通りに誘導するんだ。でも…皆の合意がいる」
「合意って、あの場でどうやって?」鉄二が低く笑った。だが、その笑いには脆さが混じっていた。「時間はない。騎兵団が再編してる。君の笛で、今すぐまとまらないと――」
リクは骨笛剣を握る左手を見た。指の付け根にはまだ冷たい振動が残っている。骨笛剣の力は一度に一つの作戦だけを、媒介として現実に「実現」させる。だが、そのためには、関わる者すべての「合意」が必要だ。合意がなければ、術は暴走する。単独使用の代償は、感覚の喪失。合意のない相手にも作用すれば、敵にも同じ計画を与えてしまう——彼の頭にその戒めが鳴っていた。
イネが息を詰めて戻ってきた。「彼らが中央から回り込んでくる。時間がない。子どもたちの列はここを通すしか…リク、あなたがやるしかない」
真央の手がリクの肩に乗った。押すように、励ますように。「でも、説明して。何を代償にするか、私たちにできることは…」
リクは目を細め、深く息を吐いた。風が瓦礫の上を走り、ガラス片が微かな鈴のように鳴る。その音が、骨笛剣の骨質と共鳴するように響いた。――そのとき、遠方から高く澄んだ金属音が返ってきた。硝子騎兵団の隊列の中心で、彼らの甲冑が一斉に振動している。
「来た!」
イネが叫ぶ。騎兵団の先頭に立つ一隊が、黒い馬型の素体を操り、静かに波を作って近づいてくる。その波間に立つのは、団長らしき女の人影だった。腰には透明な鞘があり、そこに嵌った小さな板が光を食っていた。彼女の瞳は冷たく光り、口元に薄い笑みをたたえている。
「……ルキアだ」真央の声が震えた。
ルキアは短剣を掲げ、小さく手を振った。その動きは合図だった。騎兵たちが同じ動きで小さく首を傾け、そのたびに頭上で薄く共鳴が走る。音は骨笛の低弦に似ていた。リクの心臓が凍るように収縮する。
「それを出すな、リク」真央の声は静かだが、強かった。「もし単独で使ったら…」
「わかってる」リクは剣を抜き、柄の骨の穴に唇を当てた。笛を吹くように、しかし声は出さない。骨が共鳴し、細い音が歯茎を伝って脳に刺さる。音は割れ、刃の先から波となって広がった。瓦礫の粒子が揺れ、空気が震え、近くの避難民たちの顔に一瞬の空白が走る。
最初に奪われたのは、音だ。世界は沈黙した。笑い声も、銃声の反響も、鉄二の荒い呼吸さえも吸い込まれて消える。次に、色が薄れていった。瓦礫の赤が、血の赤が、瓦の黒が、灰色に浸された紙のように抜け落ちる。視界の端から世界が溶ける感覚。次第に、時間の流れも鋭く薄くなっていった。リクは舌先に塩の味と、古い骨の味を感じた。鮮やかな痛みがからだを走ると同時に、どこか大切な記憶が指の間から滑り落ちていくのを感じた——幼い日の風の匂い、母の笑い声の高低。代償は確かに来た。感覚の一部を失う冷たさが、体に刻まれる。
だが、同時に起きたことは――予期しなかった。
騎兵団の列が、一斉に、彼の内で構築した「計画」をなぞり始めたのだ。だがそこにあったのは、同じ動きだ。彼らはリクが描いた逃避経路をそのまま、見事に閉じるように動いた。彼らはまるで、今目の前で起きた「合意」を読んだかのように、予測的に防御網を張った。さらに悪いことに、周辺にいた一部の避難民や仲間たちも、彼の意図に沿って無意識に動き出した。だが彼らに選択の自覚はない――合意がない者には、能力は「命令」として降りかかるのだ。鉄二が、子どもたちを押し出して守ろうと前に出た瞬間、彼の筋肉が勝手に別の動きを始めた。真央は手を伸ばして止めようとするが、足が自分の意思を拒んだように動く。叫び声は出ない。沈黙の中で、肉体が「計画」に縫い付けられていく。
「何を——」イネの目が白目をむいた。彼女は銃を握ったまま、スローモーションのように体をひねる。向こう側、騎兵団の列はそのスローモーションを見越したように、正確な角度で斬り込んできた。一瞬の隙、瓦礫の中で子どもが泣き出し、それが合図のように連鎖して崩れた。鉄二の膝が砕け、血が白い石の上に濡れた紙のように広がった。真央は腕を切られ、肩口から熱い色が溢れる。
――リクは骨笛剣を握り締めたまま、世界が段々と遠ざかっていくのを見た。代償の影だ。聞こえない。色がない。そして、罪。彼の片側の耳にだけ、かすかに現れる丁寧な声が刺さった。
「それが、お前の笛の音か」
声は彼の後ろからだった。振り向くと、ルキアが一歩踏み出していた。黒い甲冑の板の隙間から、細い飾りが光り、一個の小さな鏡片が弾かれてリクの方へ転がってきた。鏡片には骨笛剣と同じ刻印が、逆さに彫られていた。刻印は波線と骨の交差——見覚えのある紋様。
「共鳴律の印だ。おまえのような者が使う――我らの技術を知らぬわけではない。むしろ、我らがそれを供給したのだ」ルキアの言葉に、リクの中の何かがはじけた。彼は聞こえない耳で、唇の動きだけを追った。口の形で、彼女は続けた。「合意だの自由だの——草の根でうたう理想。だが現実は、選び得ぬ人々がいる。統率は彼らのためだ。お前の笛は、ただの古い欠片。だが、この欠片と我らの技術は同じ根から来ている」
その言葉は針のように冷たかった。リクは骨笛剣を握る力を強める。手の中で、刃が微かに震えた。彼は断片的に思い出した。古い話、配達先で聞いた工房の噂、そこで作られていた「合奏基盤」。合意と共鳴を媒介するために作られた骨の欠片。だがその記憶の味はぼやけていた。代償の影が、知識の端を削っていく。
「あなたたちがやってきたのは、同じ力を使って、選択を奪うことだ」真央の声がやっと届いた。彼女は血を滴らせながら、必死にリクを見た。瞳に怒りが混じる。だが同時に、強い意思が燃えている。「でも、私たちは奪われたくない。だから――」
真央はゆっくりと自分の包帯を解き、小さな布を取り出した。そこには古ぼけた刺繍が施されていた。彼女はそれをリクに差し出す。イネがぐっと腕を伸ばして、その布を引き寄せた。鉄二は苦しげに顔を歪めながら、静かに腕を伸ばしてリクの刃を掴もうとした。その動きは、外から見れば無茶だったかもしれない。だがその手には、確かな決意があった。誰もが自らの意思で動いている。だが今、意思は言葉になる