骨笛剣の配達員と硝子騎兵団 第15話「第13章」
硝子の雨は、街を覆う布のように薄く、容赦なく降り注いでいた。光を受けて四方に千の凶器をばらまく破片が、歩道や瓦礫の上でチリチリと鳴る。雪のように白い粉のように見えたそれは、皮膚をなぞるだけで赤い線を残した。
硝子の雨は、街を覆う布のように薄く、容赦なく降り注いでいた。光を受けて四方に千の凶器をばらまく破片が、歩道や瓦礫の上でチリチリと鳴る。雪のように白い粉のように見えたそれは、皮膚をなぞるだけで赤い線を残した。
「ここじゃ耐えきれない!」
春斗が叫び、手にした鉄製の棒で割れたガラスを蹴飛ばす。響きは薄く、どこか遠い。防護ゴーグルにも侵入する微細な粒子があり、呼吸器のフィルターがすぐに目詰まりを始めた。ミオは担架にしがみつく婦人の肩を抱え、震えた声で命令を続ける。
「移送ルートを確保する。子どもたちは屋根裏へ。負傷者は私が先に出す。風真——」
雪は、骨笛剣を抱えたまま拳を固める。柄の近くに仕込まれた骨の管が、薄い白光を帯びていた。普段は冷たく、骨の材質特有のざらつきを指先に残すだけのそれが、今は彼女の掌の温度に反応して小さく震えている。
「……分かった」
雪の声は低かった。耳鳴りがする。たぶん緊張のせいだ、と思おうとしたが、確かに何かが遠くなっている。右耳の奥を、まるで綿を詰めたように埋められた感覚。普段は賑やかな市場だったこの路地の音が、薄い布越しの会話のように聞こえた。彼女はそれを気にしないふりをして、周囲を見回した。
向こうから、硝子騎兵団の先遣隊がやって来る。群れは全員が透明な兜を被り、装甲は磨かれた硝子の鱗のようだった。馬の蹄が地面に触れるたび、割れたガラスが振動して別の高音を生む。旗にはひび割れた鏡の紋があった。指揮する者は短く光る剣を振り、応えた隊が一斉に前に出る。彼らは機能的ではなく、儀式的だった。畏怖を生む美しさが、同時に冷徹な破壊力を示していた。
「聞いてくれ」ハルが肩越しに雪を見た。「ここで持ち堪えて、避難路をつくるんだ。君の──その剣で、盾を作れないか?」
骨笛剣は、ただの剣ではない。骨の管を吹き鳴らすと、剣が媒介となって"作戦の形"を現実に縫い合わせる能力がある。だが条件が厳しい。共有された作戦、つまり参加者全員がその意志を合わせる瞬間にだけ働く。合意なき使用は、効果が周囲に波及し、敵対者にも等しく作用する。単独で吹けば、雪は感覚の一部を失う──それはいつも現実を削る引き換えだった。
「全員の合意、だよね」ミオが言った。「ここにいる人たち、全員に聞くしかない」
雪は、視線を動かしながら人々を探した。炭のようにすすけた顔の老女、膝に寄り添う子ども、抱えられたガラスの破片で血を流す男。彼らの目に、自分の頼りない表情が映るのを、雪は見たくなかった。だが時間は残酷に短い。騎兵団の隊列が角を曲がると、音は一瞬で濁流になった。
「私、ここに残る」アンナが決然と言った。彼女は元は情報屋だが、今は雪たちの側に立っている。肩に担いだ紙袋の中に、避難ルートの地図と、いくつかのラジオがあるはずだ。「か弱い人から逃がすのが先。それを守るための連携なら、私は合意する」
「僕は戦う」リクが頷いた。少年の目は硝子の光を映して、怒りに燃えている。「家族を連れて行かせない奴らには痛い目を見せたくて」
そのとき、最奥の群れの中から小さな声が上がる。若い母親が、布の中で眠る赤子を抱きしめながら、顔をあげた。
「私は……行かない。祖父がここにいるの。動けないのよ。あなたたちが守ってくれるなら、残る」
残る、という選択。ここで分かれることは、ただの戦術ではない。避難する者、守る者、その意思が現場でぶつかる瞬間だった。骨笛剣は、参加者の同意を必要とする。だが"参加者"とは誰を指すのか。雪はそれを決めかねた。
「全員の合意が取れないなら」春斗の口調が低くなる。「強行しても、敵にも作用する。やられる側にもやり返す機会を与えちまうってことだ」
雪は骨笛剣の柄に手をかけた。骨の冷たさが掌の表面を震わせる。吹くのは一瞬の音。管の中で骨が鳴ると、空気が変わる。だが、もし――と彼女は想像してしまう。もしここで合意を待っている間に、硝子がこの路地を一掃してしまったら。子どもたちの小さな体が、ガラスでばらばらになることを考えると、指先が震えた。
「雪、頼む!」ミオが喉をつかむように叫ぶ。「押し通してくれ。少なくとも私たちが先に負傷者を出す時間を稼げば——」
雪は目を閉じた。鼓動が、右耳の奥へと震わせる。合意と、無作為の暴走。どちらの恐怖も同じくらい生臭い。彼女の中で、配達をしていた頃の感覚が蘇る。荷物を確実に届けるために、屋根を渡り、雨に濡れ、危険を数えた日々。あの時も、選択はいつも瞬間的だった。誰かを優先することは、別の誰かを諦めることだった。
「一度だけなら……」雪は骨笛の唇に剣の管を押し当てた。呼吸を整えると、浅い音をひとつ、ふたつと鳴らす。管の中から出る音は、笛というよりも、皮膚の裏側を響かせるような低い唸りだった。周囲の人間が思わず息を呑むのを、雪は感じた。だが彼女は次のノートを押し込み、全体を震わせる。
「合意できる人だけ、手を伸ばして」
目に見える命令ではない。けれど空気は束ねられ、何かが輪のように浮き上がる。ハル、ミオ、リク、そしてアンナが同時に手を伸ばし、骨笛剣の柄に触れた。老人も一人、顔をしかめながら手を出す。子どもたちは、ミオに連れられている。雪はその光景を、無言の合図のように理解した。
しかし、母親と抱き合う老父は目をそらし、手を伸ばさなかった。彼のしわだらけの指は、ただ膝の上で固まっている。合意が完全ではない。雪は、それを見逃したまま吹き続けることにも躊躇した。だが風が、硝子の刃の列を運んでくる。
「やるなら今だ」春斗の声は、もはや命令ではなく祈りだった。
雪は最後の音を吐き出した。骨の中を通り抜けた振動が、彼女の胸を貫き、そして指先から全身へ広がった。視界の端で、世界が織り直されるのを感じた。仲間たちの思考が、一瞬だけ綺麗な縫い目のようにかみ合う。ミオの手は担架を滑らかに動かし、リクの拳は敵の進路を読むようにタイミングを計る。ハルは壁役に回り、老女の背を守った。雪は、動く壁の中心で剣を掲げる。
だが、波紋は思わぬ方向へも広がった。老父が合意をしなかったことで、骨笛の共鳴は境界を曖昧にし、近くにいた一群の騎兵の一部にも届いてしまった。彼らは短い間、奇妙な調和を見せた。盾代わりになった住民の動きと鈍い反響で、数騎の隊が同期してしまい、列の中で標準の動きを外し始める。合意の輪に入らなかったはずの敵が、まるで見えない糸に操られたかのように、こちらの計画と同じパターンで動く。
結果は両刃だ。予定通りに動いた雪たちの列は、裂け目から避難路を生み出した。ミオは負傷者を引き出し、人々の列は軋むようにして前へ進む。だが同時に、同期してしまった騎兵の一部が、本来の前衛を離れて別方向へと押し出す――その流れが、避難路の端にいた老父を直撃した。金属と硝子が乾いた音でぶつかり、老父の体が弾かれる。遠目に見えたのは、細く光る破片が、彼の顔に降った瞬間だった。
「いやあっ!」ミオが叫び、雪はその叫びの方向を目で追った。老父が倒れ、血が白い襟を赤く染める。母親の顔が崩れ、赤子がすすぎ泣く。避難路の先で、確かに人々は流れるように動いていた。だが代償はここにも重く残った。
雪の