黒潮砲の潜水士と錆びた王国

黒潮砲の潜水士と錆びた王国 第13話「第12章」

潮風が低く唸る。夕陽が錆に引っかかり、黒潮砲の表面に斑点のようなオレンジの光を落としていた。周囲のコンクリートは湿り、足裏に塩のざらつきが残る。海緒は、爆発音の代わりに胸の中で何かが鳴るような違和感を抱えながら、砲の基部に立っていた。右手は冷たい金属に触れ、指先からは鉛のような重量が伝わる。視界の左端に、投票箱と同心円に並んだ住民の列が見える。沙羅が声を張ると、拍手ではなく不安なざわめきが返るだけだった。

潮風が低く唸る。夕陽が錆に引っかかり、黒潮砲の表面に斑点のようなオレンジの光を落としていた。周囲のコンクリートは湿り、足裏に塩のざらつきが残る。海緒は、爆発音の代わりに胸の中で何かが鳴るような違和感を抱えながら、砲の基部に立っていた。右手は冷たい金属に触れ、指先からは鉛のような重量が伝わる。視界の左端に、投票箱と同心円に並んだ住民の列が見える。沙羅が声を張ると、拍手ではなく不安なざわめきが返るだけだった。

「ここで、決めるんだ」沙羅の指が投票箱を示す。彼女の目は疲れているが、決意に縁取られていた。「黒潮砲は、もはや私たちのための道具だ。使われるなら──使う側も、守られる側も、選べる形にする。海緒、説明を」

海緒は喉を鳴らし、口を開いた。声は波間に吸われそうになったが、彼女はそれに構わず続ける。彼女の言葉は、強い訓練で鍛えられた潜水士の物言いだった。

「黒潮砲は、私が媒介になって、合意した人々の『作戦』を一度だけ現実に変える装置です。私が単独で起動すれば、反動で感覚の一部を失う。合意のない強制起動は、効果が逆流し、狙われた対象にすら作用する。つまり、押し付ければ救いはならない。選ぶ人がいること、その同意があること──それが条件です」

古い漁師がひとり前に出て、握りしめた拳を伸ばした。顔の皺の間にある瞳が光る。「みんなで決める──それがわしらのやり方じゃ。だが監督官は、それを『秩序の乱れ』と言う。ぼけた顔で鉄槌を振るだけじゃないか」

そのとき、遠くの道路で金属が擦れる摩擦音が増し、砂利を踏む音が速くなった。錆びた兵団の装甲車が湾曲する道を曲がって現れ、車体に残る斑点が夕陽に浮かぶ。車上の長い角灯が赤く点滅する。監督官の車両だ。白河監督官は、木枠の箱に入った小型スピーカーを立て、指揮の輪郭を作っていた。

「ここでの決起は認められない」白河の合成音が広場を貫く。「投票は混乱を生む。非常秩序の維持を命ずる。解散せよ。黒潮砲の管理権は中央に帰属する。抵抗すれば公権力を行使する」

沙羅が唇を噛む。陽斗が額に汗を浮かべ、司が手元の通信器を何度もいじった。涼真は砲の寝台に上り、その軸に手を掛けている。ほかの仲間の表情が、それぞれに濁った海のように変わっていった。

「彼らは、銃口を向けてまで我々の選択を奪おうとしている」涼真が低く言った。「奴らがやることは決まってる。『秩序』の名で全てを預け、戻ってこない」

「でも──」沙羅が投票箱に触れ、指の震えを見せた。「今日、ここで決める。合意があるなら黒潮砲を使って避難を助ける。合意がなければ、撤退するための時間だけを稼ぐ。海緒、あなたが介在してくれるなら、私たちはそれに従う。だけどね、一部の仲間が『もう一度だけ』と言って、あなたに全てを託すのは違う」

仲間の一人、真殿が前へ出た。彼の瞳は血走り、声が強い。「我慢はもうたくさんだ。俺たちはあの装甲車を吹き飛ばして、みんなを守れる。誰かが犠牲になるのは構わない。海緒、頼む──一度でいい、全部やってくれ」

海緒は真殿の顔を見る。彼は若い。怒りが先に立ち、重みを計る術を忘れている。海緒はゆっくりと首を振った。

「それは違う。私が単独でやれば、代償は私の感覚だけじゃ済まないかもしれない。それに、合意なしに動かせば、効果は逆流してしまう。敵まで助けることになるかもしれない。私は、誰かの代わりに決められない」

真殿の唇が震える。空気の張りが一瞬で高まり、銃声のような静けさが広がる。そこへ、白河の兵団が二列で広場へと足を踏み入れた。兵士たちの足元にある鉄板が光を反射し、砂を蹴るたびに小さな火花のように見える。人々が小さく後ずさる。老女が小さな声で泣いた。

「時間がない」司が短く切った。「彼らはこの場を押さえに来る。投票が終わるまで粘れるかは──」

その瞬間、兵士の一人が猛然と前に出て、砲の近くまで走り出した。彼の拳には拘束具が光り、指令書を掲げる。白河の声が急に鋭くなった。

「監督官命令だ。黒潮砲を直ちに押収する!」

その兵士が砲の起動パネルに手を伸ばした。金属同士が擦れる音が、小さな崩壊の始まりのように空気を裂く。海緒の体が反応する。砲と彼女、触れている仲間の心が一瞬だけ接続する感覚が来る。遠い潮騒の中に、無数の声が同時に響いた。だが、それは合意ではない。力づくの命令だ。

海緒は必死に踏みとどまる。監督官の兵が起動レバーに触れると、砲が低く唸り、黒い泡立ちが砲口から湧き出した。だがそれは盾を作るための穏やかな動きではなかった。水流は螺旋を描き、狙いを定めたように空中へと伸びた。その先にいるのは人群れだ──強制起動は、対象に関係なく作用する。兵士の表情が一瞬驚愕に変わり、彼らの装甲車が水の壁に押し戻される。だが糸のような黒潮の糸は、住民の足元にも巻き付き、倒れ込む者が出る。

「やめろっ!」沙羅が叫び、海緒の手を引くつもりで走った。だが既に砲の反応は始まっている。海緒の胸を、濡れた冷たさが這った。耳の奥で、何かが裂けるような断絶音があった。彼女は崩れ落ちるように膝をつき、視界の端に白い点が踊る。

そのとき、真殿が兵士の横へ飛び出した。彼は無防備だった。が、その行動は単なる暴走ではなかった。真殿は奴を抱えるようにして兵士の腕を掴み、冷たい水流の流れを調整する作業を始めた。司がラジオを叩き、涼真が砲の側面に附属する古い式のセレクタを手で回す。彼らは、力づくの起動を合意へと変えようとしたのだ。だが、それは危うい橋渡しだった。真殿の顔に汗が滲む。彼の手は震えている。彼は自分の意志で、その兵士を抱え込み、砲と人々、双方の意思を繋ごうとした。

「合意は生むんだ!」陽斗が叫んだ。「この場にいるやつ全員!触れて、手を差し出せ!自分の意志でここにいるって示せ!」

老若男女が互いの手を取り、触れ合う。指先が、汗ばんだ手が、震える拳が、砲の冷たい輪郭に触れる。海緒はそれを赦すように感じた。強制から、一つの輪が生まれつつあった。投票箱のフタが開かれ、一つまた一つと紙片が入る。声は囁きに変わったが、その声の波が砲の基部に満ちていくように感じた。

そして、誰かの掌がぎゅっと海緒の手を握った。沙羅の手だ。彼女の目は濡れているが、その瞳には確かな確信がある。

「一度だけ、みんなでやるのよ」

合意は出来上がった。砲は、それを媒介するために設計されたように低く応える。起動の回路が整う音が、波の音と混ざって全身を振るわせる。海緒は深く息を吸った。塩の匂いが喉を通る。仲間たちの心拍が、彼女の鼓動と一つになる。彼らの計画は単純だった:砲撃ではなく、黒潮の盾を張り、押し寄せる装甲車の前に安全区域を作る。強制起動のときのように対象を問わない粗暴さはない。ここにいる、同意した者だけがその保護の内側に入る──そのラインを守ることが意図だ。

砲は吐息のように低く唸り、海のように深い音を立てた。黒い光の帯が砲口から現れ、空気を引き裂きながら楕円形の壁となって広がる。水は黒く、油のように動いた。鉄粉が光を浴びてきらめき、そこに虹のような斑点が散る。波紋が地面を撫でては跳ね返る。装甲車の砲塔は黒潮の壁に押し戻され、人々の足元に立っていた靴