星獣牙の救助士と忘却艦隊

星獣牙の救助士と忘却艦隊 第21話「第19章」

雨は小さな無数の針となって、集落の土と布と人の皮膚を同じ速さで叩いていた。夜の湿気が鼻の奥を冷たくする。隊列の列はいつもより静かで、外套のフードに落ちる水滴がポトリ、ポトリと不揃いのリズムを刻んでいる。

雨は小さな無数の針となって、集落の土と布と人の皮膚を同じ速さで叩いていた。夜の湿気が鼻の奥を冷たくする。隊列の列はいつもより静かで、外套のフードに落ちる水滴がポトリ、ポトリと不揃いのリズムを刻んでいる。

「来たか」

来栖レイナは指先で星獣牙を確かめた。冷たい牙の表面——それは骨でも金属でもない、獣の牙を思わせる曲線を持ち、触れると微かに振動する。普段は懐に包んでいるが、今は外套の内側に当て、雨の音と自分の鼓動を聞き比べた。牙の振動は彼女の心拍と同期するように、静かに高まりを見せた。合図でも、予感でもある。

列の先に、シンがいた。肩は前のめり、濡れた髪が額に張り付いている。いつも獰猛なまでに落ち着いていた彼の顔には、濡れた灰色の紙を張り付けたような疲労がある。足取りはぎこちなく、布底の靴が泥を蹴るたびに、ほんの小さな音が響いた。彼は列の間をすり抜けるように進み、端の空間にぽつりと止まった。

「シン」隊長イクミの声が割り込む。声には怒りではなく、氷を抱えた問い掛けがあった。

シンは俯いたまま、首を振るようにして出てきた言葉を拾った。「……やってしまいました。情報を渡しました」

言葉が落ちると同時に、列の間に低いざわめきが広がる。雨音は変わらずだが、誰の肩も一瞬強張った。レイナは牙を握り直した。ほんの少しだが、牙が強く震えた。

「何を言う、シン」イクミが前へ出る。彼女の外套は泥をはね、顔に水の筋を作っている。「何の情報だ?」

シンはゆっくり顔を上げた。その目は赤く、瞳に滲むようなものがある。痩せた声で答えた。「避難路の時間割、補給の積み替え地点、夜間の巡回スケジュール——全部。あの男が、妹の写真を見せて、昔のことを──」

ミナト(住民代表)が拳を固める。誰もが怒りを押し殺すのに必死だ。だが、シンの肩越しに見える、小さく丸い包みが目に入った。布で巻かれたそれを彼は両手で握りしめ、震えながら差し出した。「これを、代わりにもらったんです。……彼らは選ぶ権利を持たない者たちを集めていて」

包みの中身は薄い金属の輪。表面には微かな光の筋が走る。手に取ったハル(医師)は眉をひそめ、指先で触れてすぐに引っ込めた。「これは──合意環境の一部かもしれない。相手は人の意思を消す装置を使っているのか」

その言葉に、列の中で空気が一段と重くなる。レイナの牙がぐっと震え、掌の中で冷たかった牙の先が熱く感じられた。合意──能力を使うための核心だ。彼女の術は、星獣牙を介して仲間と"合意した作戦"を一度だけ現実化できる。不完全で、一度限り。だがそれは、あくまで仲間の「合意」が前提だった。

「合意がなければ、牙は敵にも作用する」そう言ったのは老人のエイコだった。彼女の声は乾いていたが、合点がいったように顔をしかめる。「誰かが強制的な合意を与えるか、合意そのものを奪われてしまえば、牙の成すことは制御不能になる」

話はそこで終わらず、住民たちの間で議論が始まった。誰が許されるのか、どれほどの罰がふさわしいのか。シンの行為は「裏切り」だ。だがそれは、彼が脅されたからなのか、過去の縁からか——単なる悪意か。問いは雨の中で延々と続いた。

「合意に基づいた処罰と再受入れのルールを、我々で作ろう」レイナが口を開いた。彼女の声は低く、周囲の目を引き付けた。「牙は、仲間の自由と判断を守るためにある。私が一人で牙を使って何かを決めることはできない。だが——もしルールを作らないまま、恐れに任せて牙を使えば、彼らにとっての選択肢を我々が奪うことになる」

「話はそれだが、現実は差し迫っている」イクミが前に出る。外套の布が雨に濡れ、暗い影を作っている。「敵はこの情報で動く。次の夜、我々の経路は塞がれるかもしれない。今すぐにでも共有の防壁を張る必要がある」

そこに静寂が落ち、重たい意思表示が必要になった。合意の形成は時間を要する。だが時間はない。住民の一人が手を上げ、反射的に首を横に振った。老女ヤスである。彼女の手は震え、指先に土が入り込んでいる。「私は賛成できない。合意を強制する仕組みは、また別の暴力を生むだけだ」

その一言で会議は揺れた。賛成派と慎重派が割れる。誰もが声を荒げる瞬間、シンが前に出た。全員が顔を向ける。

「俺が全部、話してやる」彼は言った。声はかすれていたが確かだった。「どうせ罰があるなら、罰を受ける。だが、俺が渡した場所へ、もう一度行かせてくれ。奴らの接触点を潰せるなら、それで少しは返せる」

レイナはその言葉を聞いて、牙を軽く握った。彼の言葉は賭けに見えた——いや、賭けではない。彼は自首しようとしている。だが、同時に彼を外出させることにはリスクがある。敵に戻ってしまう可能性だって否めない。合意が必要だ。しかし、合意を取る時間がない。

その瞬間、レイナの中で恐怖が溢れた。情報が敵の手にある以上、次の夜のことを考えれば、即時の措置が必要だ。彼女は牙を顎の下に当て、反射的に殻を破ろうとした——つまり、仲間の同意を待たずに牙を使うことを。

牙に力を込めると、内部から冷たい波が背筋を伝った。牙の縁が淡く青く光り、空気が軋むような小さな音を立てた。だが、使用の代償はすぐに現れた。レイナの耳鳴りがじりじりと始まり、世界の輪郭が音で溶けていく。滑車のような高いヒステリックな金属音が頭の中で増幅され、彼女は片耳に鋭い痛みを感じた。周囲の声が遠のき、雨音が薄い布越しの鼓動のように変わった。

「レイナ!何を――」イクミの声が空洞から届く。

少女は自分の胸の中で牙の振動を止め、反射的に手を離した。牙は冷たいままで、震えは収まらない。耳鳴りはそのまま残り、左耳の感覚がぼんやりと落ちた。感覚の代償。彼女はこれが牙の反動だと認めざるをえなかった——単独使用の代償。だがそれだけでは済まなかった。

遠く、群れの外れで一つの光がちらついた。雨を切るようにして、暗闇の中に機械的な赤い目が光る。忘却艦隊の偵察ドローンだ。牙の発動と同時に、ドローンは動きを変え、目的を彼らの方向へ向けた。軋むような低周波が空気を震わせ、金属の鳴動が列全体の背筋を撫でる。牙のエネルギーは、仲間の合意を無視したためか、彼らにも作用したのだ——レイナの知らぬうちに、周囲のセンサーが自分たちの存在を知らせてしまった。

「くそっ!」ハルが短く吐き捨てる。誰の顔にも、焦りと後悔が混ざっていた。

レイナはむせ返るような耳鳴りの中で、刃のような後悔を噛みしめた。もし合意のもとで牙を使っていれば、その発現は仲間だけを包み、敵に情報は渡らなかったかもしれない。だが今は既に波紋が外に広がり始めている。自分一人の判断で刃を振るった代価は、感覚の一部の喪失と、外部への露見という二重の代償となった。

イクミがレイナに近寄り、肩を掴んだ。「戻れ。まずは列を整える。俺たちで次を決める」

列は素早く動いた。誰かが指示を出し、雨の中で人々は動線を変え、物資の位置をずらす。忘却艦隊の兆候が近づいている。だが同時に、集落内部では別の選択が始まった。シンの自首と、レイナの誤使用が招いた露見──そのどちらもが、住民たちに新しい責任を突きつけた。

会議は翌朝に持ち越されることになった