火薬花の教官と擬態兵団 第21話「第19章」
煙と砂埃の匂いが、まだらの光の下で渦巻いていた。瓦礫の山と化した路地を、避難する人々の列がゆっくりと伸びている。誰かの服が引っかかる音、子どものすすり泣き。ルカはその音の一本一本を、指揮のために紡いでいた──はずだった。
煙と砂埃の匂いが、まだらの光の下で渦巻いていた。瓦礫の山と化した路地を、避難する人々の列がゆっくりと伸びている。誰かの服が引っかかる音、子どものすすり泣き。ルカはその音の一本一本を、指揮のために紡いでいた──はずだった。
「ここを右、三歩。そこの柱の裏を通って、斜めに抜ける。プランBに切り替える、アンナ、頼む」 ルカは口を動かす。だが耳に届くのは、焚かれた合図のぱちぱちという高い破裂だけで、仲間の声が肥大したり、逆に遠くへ行ったりした。硝煙のせいではない。彼の聴界が、既に歪み始めていた。
「ルカ、聞こえるか?」 カイが前に出て、顔を近づけて問いかける。カイの眉が食い込む。ルカは咄嗟に手を挙げ、二回だけ押し返すようにぶんぶんと振った。合図だ。耳に入らない分、むしろ確かな身振りを選んだ。
斜面の向こうで、擬態兵団の一群が低く這うように近づいてくる。彼らは人の形をしているが、目がない。皮膚に貼られた模様が、周囲の服装や顔色を滑らかに模倣している。模倣とは、ただのコピーではない。人の「選択」を剥ぎ取り、代わりに与えられた行動を強いるように見えた。
「ここで止める、全員が合意しない限り、私は――」 ルカは言いかけて、自分の言葉を切った。火薬花を点火するための言葉は、いつも短い。だが今回、それに乗せる重さが違った。彼が手にした火薬花は、ただの術具ではない。味方と共有した作戦だけを一回だけ実現する媒介であり、合意を優先しなければ敵まで巻き込む危険がある。単独で使えば、ルカ自身の感覚を代償に失う。
「もし使うなら、全員の意思を確認する。いいか?」 ルカは声を張った。聞き取りにくい自分の声を確かめるため、思わず手で喉を押さえた。血管が震えるような熱が掌に伝わる。火薬花の管は、冷たく金属のような手触りだった。
人垣の中、老人が咳き込みながら顔を上げた。彼の目は澄んでいた。老人は口を開き、はっきりとした線で言った。「ここにいる者たちは、自分で決められる。あなたがそうするなら、私はあなたを信じる。私の娘をお願いする」 その声は弱く、だが揺るがない。
「私も。お願いします、教官」 若い母親が続いた。子どもを抱えた腕は震えていたが、目は逃げていない。次々と、同意の声が積み重なる。ルカはそれを数え、胸に刺さる痛みを確かめた。合意があった──ならば、彼はその代償を受け入れる。
「ミト、アンナ、行けるか」 ルカが小さな合図で仲間を集める。ミトは短く頷いた。アンナはルカの腕を掴んでから離れ、目を伏せて小さく言った。「気をつけてね……無理しないで」 彼女の声が、ルカの胸に刺さる。聞こえたつもりでいた。それは錯覚かもしれない。
手順は速い。ルカは火薬花の先端に指をかけ、点火用の小さな火花を送り込む。火花が花弁のような灰色の粒子に触れると、そこから光が零れた。最初の閃光は白に近い。粒子が空中で、花吹雪のように散る。散る度に、匂いが鼻腔を突いた。硝煙、硫黄、焦げた金属の匂い。触れるたびに、小さな電流が掌を這う。
スローモーションのように世界が遅くなる。火薬花の粒子が仲間の手の甲に着地し、そして避難民の肩に、子どもの髪に、老人の襟元に、慎ましく落ちていった。粒子はまるで糸を紡ぐように、人と人を細い光の線で結びつけた。線は網を作る。ルカの頭の中に、作戦の青図が浮かぶ。移動ルート、待機地点、緊急回避のタイミング。彼の見ている世界と、仲間の見ている世界が重なり合った。
だがその瞬間、世界の音がしぼんだ。最初は遠くでぱちんとおもちゃが鳴るような感触だけが残り、次第に、ルカの耳は冬の湖の静けさに沈む。仲間の声は、空気の端で震える膜のように薄くなった。カイが何か叫んで手を振っているのが見える。口元が動く。だがその言葉はルカの耳に届かない。その代償の嵐が、いま彼の内部を削っていった。
「ルカ!」 アンナが近づく。彼女は言葉を選んで、一つ一つをルカの目の前で示すように口の形を作る。合意のサイン、作戦の三点、緊急停止の合図。ルカは視覚と言葉の形だけで仲間を導くことになる。彼の舌が乾いた。耳の空洞に、冷たい空気が入り込むような気がした。
火薬花の網が展開した瞬間、擬態兵団の一体が群れの中で立ち止まった。模様が「人」の顔を完璧に真似て、避難民の一人として混じっている。だが火薬花の線は、その者を通り過ぎて行った。合意とは、接触を成した者だけに作用する。模倣者は同意しなかった──当然だ。ルカは自分の選択が、そこまで徹底していることを望んだのだ。
しかしそれは同時に、暗い穴を生んだ。模倣者はルカの網の外にいて、自由に動ける。急に、瓦礫の一部が崩れ落ち、古い電柱が斜めに傾いた。カイが割り込むように駆け、伸ばした腕で子どもを庇った。金属の歯が骨に当たる音は、ルカの耳には届かない。彼は視界でしか、カイが床に崩れるのを確認できず、体が先に動いた。ルカは走り寄る。手で押さえた腕から熱が伝わる。カイの顔は苦痛で歪んでいる。血が、ポケットの縁を濡らしていた。
「カイ!」 ルカは叫んでみる。空洞に投げた声は、ただの動作になった。アンナがすぐに指示を送る。彼女は一語ごとにルカに合図を送り、治療のための位置を指示した。傷は応急処置で止血できたが、カイは片腕を押さえて顔を曇らせた。ルカの胸に、冷たい石が落ちた。
「俺が先に言うべきだった」 カイは唸るように笑った。血のせいで声が震えているのが、唇の動きでわかる。彼は頷き、短い言葉を何度も繰り返した。ルカは言葉の一つひとつを読み取って答えを返す。だが、それはルカの得意だった指揮とは違った。微細な声のニュアンスで判断する能力を失った彼は、次第に仲間への信頼をより深く求めるようになった。
現場は整理され、火薬花の網は役割を果たした。多数の住民が運び出され、避難経路は確保された。だが救出の最中、アンナが小さなものを拾い上げて立ち止まった。彼女の指が震え、顔が青ざめる。ルカは彼女の手を見る。そこにあったのは、児童の小さなバッジだった。銀の裏打ちに、奇妙な象徴が刻まれている──火薬花の粒子が残した灰のような紋章。見たことのある模様だ。擬態兵団が使う符号だった。
「これ……」 アンナは口ごもる。彼女の目が、ルカの方へ釘付けになる。「この子は……偽者に触れられていた」
避難してきた子どもの胸元に、こっそりと貼られていたそのバッジは、模倣者の同調装置だった。擬態兵団は、単に外見を真似るだけではなく、被害者の中に自分たちの象徴を忍ばせ、同意を装わせていた。合意の輪に入れるための偽装だ。火薬花の網は、あくまでも「意思」を尊重した。だがその「意思」が外側から作られていたとしたら──。
ルカの瞳に、怒りと寒さが同時に走った。自分が守ろうとした「選択」は、偽物で侵されていたかもしれない。彼は拳を握る。指先に土と粒子のざらつきが残る。聴覚を失った空白を、怒りが満たす。
アンナが息を呑んだ。「どうする? もし模倣者がここに潜んでいるなら、次に同じことをしても意味がない。合意を取っても、それが偽りなら──」
ルカは言葉を探した。声帯は動いている。だがどう発するかが問題だ。彼は小さく首を振り、目で合図する。まずは根本を変える