火薬花の教官と擬態兵団

火薬花の教官と擬態兵団 第20話「第18章」

屋根の傾斜が、逃げる足に呪詛のように絡みついた。瓦は脆く、指先で押せば砂のように崩れる。ルカは風を切るように走りながら、背中越しに銃声と、瓦の割れる高音を交互に聞いた。ミオが前の瓦を蹴り、ユータが子どもを抱えて走る。足跡は軋み、蒼ざめた月光が彼らの影を長く伸ばした。

屋根の傾斜が、逃げる足に呪詛のように絡みついた。瓦は脆く、指先で押せば砂のように崩れる。ルカは風を切るように走りながら、背中越しに銃声と、瓦の割れる高音を交互に聞いた。ミオが前の瓦を蹴り、ユータが子どもを抱えて走る。足跡は軋み、蒼ざめた月光が彼らの影を長く伸ばした。

「ルカ、こっち!」ミオが叫ぶ。声はかすれていた。彼女の肩には包帯が乱れ、顔には黒い粉が散っている。向こう側の暗がりで、擬態兵団の一隊が屋根伝いに迫っている。彼らは人の形をしているが、動きのどこかが不自然だった。呼吸の間隔が揃い、目の光が人の痛みを映していない。

瓦の向こう、屋根と屋根の間に小さな空間があった。そこへ降りられれば、さらに安全な路地に出られる。ユータが確保した簡易ロープが揺れている。だが渡るには順番が必要で、順を間違えば瓦ごと滑落する。ミオはそれを理解していた。振り返ったとき、ルカの手には火薬花の入った小袋が握られていた。金や銀の粉が暗闇で微かに光る。彼女らはその光を見た。

「私たち、あの裏口を開けたの。自分たちでやるって決めた」カエデの声が、ふっと風に乗ってきた。彼女は屋根の突端に座り、瓦の割れ目に手を突っ込んで何かを引き抜いている。彼女の動きは、訓練された教官の流儀そのままだった。ルカは胸の奥が締めつけられた。カエデは仲間の一人だ。だが何よりも、彼女は自ら判断して動いていた。

「了承は取ってない」ルカは叫んだ。言葉は自分でも予想しなかったほど細かった。火薬花を握る掌が震える。火薬花は、こちらが一度だけ使える術式の触媒だった。共同で合意した作戦だけを現実にする。合意があれば、その作戦は一度だけ確実に実行される──それがルカの能力だ。ただし、単独で扱えば感覚の一部を奪われ、合意を無視して使えば、効果は仲間にのみならず敵にも及ぶ。合意という線が、術を限定している。

カエデは振り向いて小さく笑った。「承認なんて必要ない場面ってあるよ、ルカ。誰かを待ってたら、その誰かがここに踏み留まることになる。私たちには時間がないの」

ユータがロープを固定し、子どもをのせる。ミオが子どもに微笑みかけ、背中を押して送り出した。次々と人が渡る。だが屋根の対岸で、擬態兵団が速度を上げる。人の形をした影が、瓦ごとに無表情の足音を刻んだ。

「私は残る」カエデが言い、彼女は腰の小さな筒を手にした。それは爆鎖に見えた。だがルカはその意味を理解した瞬間に凍りついた。あれを使えば、瓦の片側を完全に崩し、追撃を切ることができる。しかし代償は大きい。瓦とともに彼女が落ちる可能性も高い。

「駄目だ――やめて!」ミオが叫び、走り寄った。だがカエデは首を振った。仲間の目がそれを止められないことを、彼女は先に看破していたのだ。

音が切り裂かれ、瓦の縁から火薬の匂いが立ち上った。カエデは火花を投げた。小さな閃光が夜を裂き、刹那、空のように明るくなった。火薬花だ。夜風が一瞬で金色に染まり、瓦の上に立つ彼女のシルエットが、まるで記念碑のように浮かび上がった。ミオはその姿を見て動けなくなった。

光は消え、同時に瓦が崩れた。カエデの体が一瞬、空中に舞う。叫びが屋根を割って広がる。ルカは全身が麻痺したように動けず、手の中の小袋が滑りそうになった。彼女は落下した。瓦が砕け散り、粉と煙が風に乗って流れていった。

「カエデ!」ユータの声が血を握るように割れた。彼はロープを離して叫び、だがロープは制御されず、誰かをすくえない。擬態兵団が瓦の割れた穴に接近する。影が落ちる穴を覗き込み、無表情の顔がそこにあった。追撃は止まらない。屋根の縁に残るのは、喪失と切迫だけだった。

ルカは走った。足が瓦に食われそうになるたびに、仲間の顔が脳裏をよぎった。煙の匂いが鼻腔を満たし、彼はそれを激しく吸い込んだ。小袋の紐を引き、火薬花の中心に指を触れた。そこで、術式の縁が、いつものように冷たい現実として彼に囁いた。

──合意が必要だ。合意があれば、計画は一度だけ確実に実行される。

ルカは思わず声を上げた。「カエデ! ミオ! ユータ! 合意してくれ!」叫んだ声は空に吸われた。ミオは瓦の縁にへたり込み、肩を震わせている。ユータはロープを抱えたまま、泣き叫んでいた。だが彼らの目は動転していて、術式に明確な承認を与える余裕などないように見えた。承認は言葉で、意志で、意思表示で成される。今、彼らにそれをさせることは無理な気がした。

そう判断した瞬間、ルカの脳裏に別の考えが差し込んだ。術式は、合意を無視して強行されれば、敵にも作用するという――過去の失敗で学んだ規則だ。敵に作用することは、一見すると有利でもある。擬態兵団が、同じ効果を受ければ、追撃が止まるかもしれない。だが「敵にも作用する」ことは予測不能を内包していた。彼らが俗にいう「敵」だとしても、術の影響下で何を始めるかはわからない。擬態兵団は模倣する。術の恩恵を受ければ、彼らはそれを模倣してしまう可能性がある。防げるはずの危機が、新たな形で跳ね返ってくるかもしれない。

ルカは小袋をぎりと握りしめた。掌に伝わるのは紙より軽いが、世界を変えるには重すぎる代物だった。火薬花の中心を見つめると、そこに薄い膜のようなものが見えた。彼は知っている。術式が動くとき、時間がほんの少しだけ粘る。思考と行動の間に隙間ができる。その瞬間に、代償が襲う。

「単独だと……」ルカは呟いた。過去、彼が単独で使ったとき、耳鳴りが消えた。味覚が薄れた。匂いは、世界をつなぎ止める感覚だっただけに、その喪失は世界の輪郭を曖昧にした。今回は何を失うかは予測できない。術は反動として、彼の感覚のどれかを奪うのだ。

ミオがルカを見た。目が湿っている。「ルカ、やらないで。私たちが決めたんだ」その声には命令でも頼みでもなく、共に在ることの宣言が含まれていた。彼女は自主的な決定を尊重している。仲間は自律を選んだのだ。ルカはその意思を尊重したいと切実に思った。だがカエデが落ちていったのだ。追撃は止まらない。

瓦の隙間から、カエデの身体が地面に叩きつけられる音がした。それは、何かが壊れるというより、何かが消えた瞬間の音だった。屋根の上の人々は息を呑む。ミオが膝をついて嗚咽した。ユータはロープを肩にかけたまま、震え続けた。音は夜に溶けていった。

ルカは選択を迫られていた。承認を得ないまま術を発動し、本来なら守るはずの仲間を守るという名目で敵にも影響を及ぼすか。一瞬で感覚の一部を奪われる代償を払ってでも、追撃を止めることを優先するか。あるいは、仲間の自律を尊重して何もしないか。どれもが失うものを伴う。

彼は小袋を唇に寄せ、火薬花の匂いを嗅ごうとした。だがその前に、遠くから金属がこすれる音がした。擬態兵団の一つが、瓦の割れた穴の縁に手をかけた。そこで、意外なことが起きた。穴の中で一瞬、彼らの動きが止まったのだ。まるで誰かが指を立てて「待て」と言ったように、無表情の顔が宙にとどまった。

ルカはその違和感を捉えた。術式の説明書きはないが、彼は経験で学んだ。合意のない強行は「無差別の影響」を与えるはずだと。だが今起きたのは、影響の一部が敵を「停止」させたようにも見えた。言葉にするに