光を偽る占い師は夜明けを疑う 第3話「第2章」
炉の音が、村の午前を切り裂く。カイの大きな腕が鉄を受け止めるたびに、震える金床が細かく唸り、火の色が顔を赤く染める。塩と焦げた脂の匂いが混ざった空気の中で、レイナは落ち着かないように指先をこすった。隣に座るユラの指先は、まだ潮の乾いたにおいを残している。彼女の胸には、薄い紙片を包んだ小さな符(しるし)が紐で留められていた。昼間でもうっすらと光るその符は、村人が「救済」を受けた証だと、聖印官(せいいんかん)たちは言った。
炉の音が、村の午前を切り裂く。カイの大きな腕が鉄を受け止めるたびに、震える金床が細かく唸り、火の色が顔を赤く染める。塩と焦げた脂の匂いが混ざった空気の中で、レイナは落ち着かないように指先をこすった。隣に座るユラの指先は、まだ潮の乾いたにおいを残している。彼女の胸には、薄い紙片を包んだ小さな符(しるし)が紐で留められていた。昼間でもうっすらと光るその符は、村人が「救済」を受けた証だと、聖印官(せいいんかん)たちは言った。
「紐、緩いな」カイがふいに言い、火吹管を引く。炉の中で鉄が赤みを帯びた。淡い光と赤い炎が視界でぶつかる。光は冷たく、炎は正直に熱い。どちらも嘘はつかないとカイは信じているようだった。
ユラは小さく笑って見せた。笑い方がまだ震えている。レイナはその笑顔を確かめようとした瞬間、胸の奥にぽっかり穴が開いたように、ある一つの音楽が遠ざかるのを感じた。幼いころに母が歌ってくれた唄。メロディは確かに頭の端にあったはずなのに、指でつまもうとすると掠れていく。
「また思い出 lost したのか?」カイがからかうように言ったが、レイナは首を横に振った。言葉にならない不安が喉の奥で渦巻く。
――証綴りは、本当に救済なのか。あのとき私は、何を切り取った?
彼女は思い出すためではなく、本当の姿を再び確認するために、再び手を伸ばした。能力は暴露でも占いでもない。複数の当事者の声を糸にして結び、記憶の交差点に光の網を掛ける。単独の幻視では見えない「共同の証言」を、眼前に皺寄せてくる力だ。だがその副作用は、切実である。繋ぐたびに、自分の何かを置いてこなければならない。過ぎ去った時間、忘却の一部──それらが、やがて奪われる。
「行くよ」レイナは静かに立ち上がり、ユラの手を取った。肌はまだ冷たい。カイはハンマーを置き、鉄屑を掃きながら眉を寄せた。
小さな広場に出ると、村人たちが遠巻きに集まっていた。先に出ていた数名が、怯え混じりに視線を送る。レイナは息を深く吸い、両手を差し出した。まずはユラ、その隣の二人、漁師の老人アイダと、櫛で髪を梳かす女のミヤ。四人の手が触れ合う。触れ合った掌から、塩と魚と潮風の匂いが混ざった。
声が来る。個々の断片が、重なり合って波紋を作る。ユラの声は震え、アイダの声は低く、ミヤの声は喉に棘がある。レイナの能力は、それらを縒(よ)り合わせ、透明な帯にして引き出した。帯は空中で震え、白い紙細工のように光を放つ。そこに映るのは、網が切られる手のひら、夜に灯される偽りの灯明、聖印官が証綴りを配るときに呟く訓辞の文節。共同の証言は、断片の欠片を補い合い、綺麗に整列して真実を示した。
だが帯が太くなる瞬間、レイナは胸の奥がひりつくのを感じた。掴もうとした唄の最後の音が消え、替わりに子供時代の裏庭の土の匂いが薄れていく。彼女は目を閉じ、必死に記憶を繋ぎ止めようとしたが、指先から何かが滑り落ちるのは救えなかった。
「……見えた」彼女は絞り出すように言った。「聖印官は、証綴りを配ってる。その紐で村の人々を留めてる。『保護』の名目で、移動も結社への忠誠も制限させている。ユラさんは――『救われた』けれど、選ぶ自由は残されてない。決められた生活を与えられる代わりに、過去の選択を奪われている」
ユラの目が瞬間、濡れた。それは怒りでも悲しみでもなく、空洞のような表情だった。
「それでも、あの光は希望だったって言ってたじゃないか」カイの声が割り込む。彼は唇を噛み、拳を握る。「光が偽りだと分かったところで、それで人が消えるのを見るのが嫌なんだ。壊せるなら壊すべきだ。彼らが証綴りを作ってる場所を潰そう。鉄で、火で、力で」
炉の火を背景にするカイの姿は、凛々しくも見えた。彼の提案は単純で、正確で、危険なほど直接的だった。カイの過去の影が、言葉に濃淡を付けている。彼は軍での経験がある。押し込む、押し潰す、敵の拠点を崩すという訓いを身に着けていた。
「暴力は、また別の呪いを産む」レイナが言葉を紡ぐ。口調は柔らかいが、そこに含まれる緊張は鋭かった。「私は強制的な救済が呪いを拡大させるのを見た。聖印官があの証綴りを持ち帰った後、隣村では『保護』という名の拘束が増えた。『救う』ために強制したら、もっと多くの人々が選べなくなる。力で潰せば、被害は――」
「だからどうするんだ、レイナ?」ユラが差し込む。声は小さいが、真っ直ぐだった。「私の意思を取り戻してほしい。あなたの光で、私が本当に何を選んだか、町の人間全員に、『私が選んだ』という証を見せてくれ。出来るだろう?」
その言葉は、刃のように響いた。願いであり、命令でもある。レイナは自分の力の枷を知っている。多くの証言を束ねれば束ねるほど、失うものは大きい。しかも強く求められるほど、彼女の能力は「救済」を命令するような形に歪み、結果として制度側の焦りを誘発する。焦った相手はより多くの手を打つ。より多くの証綴りを配る。連鎖は止まらない。
「あなたはそれでも、私が望むならやってくれる?」ユラの瞳は、頼りないが熱を含んでいる。
レイナは手を止め、深く息を吐いた。胸の奥で、また一つの景色が薄れていくのを感じたが、なぜか辣(すっぱ)い涙は出なかった。彼女は自分の胸にある、小さな箱の蓋をそっと開けた。蓋の中には、消えかけた紙片が一枚――母の字で書かれた「気をつけてね」という短い文。今はその文の一文字が、読み取れない。
「私が見せる代わりに、あなたは何を捨ててもいいの?」カイが低く尋ねる。息が白い。彼の背後で鉄が冷え、日が傾いている。
レイナは答えを持たなかった。言葉を探す代わりに、再び手を差し出した。ユラ、アイダ、ミヤ、そしてカイ。四つの手が重なった瞬間、今度は村の外れで誰かが騒ぐ声が聞こえた。足音。鉄靴の音。遠くで、役人の馬の蹄が小さく響く。
「聖印官だ」ミヤが囁いた。「運び屋を連れてきたわ。どうやら、お墨付きをもらった人間を連れてくるらしい」
その言葉は、地図のしみのように広がった。ユラの符が一層光を増す。だがその光は、祝祭の輝きではなかった。冷たく、境界線を示す光だった。
カイの瞳が鋭く光る。「今夜いく。証綴りを作る工房を潰す。でも一人じゃ無理だ。レイナ、君はどうする?力で行くのか、それともその光をもう一度編んで、みんなの選択を見せるのか?」
レイナは掌の中に、冷たい紙の切れ端を感じた。それは聖印官が落としたらしい、小さな金属片──刻印の一部だ。そこに刻まれている模様は、今彼女が空中に編む光の帯に、微かに重なって見えた。二つの図案が重なった瞬間、レイナの胃が落ちるような感覚を覚えた。偶然ではない。彼女の力と、証綴りの模様とが、同じ根を持っているかのような予感。
「選択」カイが言葉を落とす。「俺は決めた。今夜、行く。君が来るなら来い。来ないなら、それも選択だ。だが、待っている時間はない」
夜の空が、村の端で少し暗くなる。レイナは記憶の欠片がまた一つ、こぼれ落ちるのを感じた。母の唄の一節はもう完全には思い出せない。代わりに、金属片の模様だけが、やけに鮮明だった。
彼女は息を整え、静かに言った。「――私には、もう一度見せることができる。だが