光を偽る占い師は夜明けを疑う 第20話「第18章」
倉庫の影は深く、雨は止んでいたのに路面から立ち上る湿気が冷たく肌を這った。鉄扉の向こうからは、鉄床を踏む靴音と、時折交わされる短い命令が断片的に漏れてくる。灯のない空間で、光は外套の中に仕舞っておいた小さな「偽り」を際立たせた──レイナの胸の奥で微かに震える証綴りだ。革表紙に縫い込まれた糸は、今夜の数でかすかにほつれている。
倉庫の影は深く、雨は止んでいたのに路面から立ち上る湿気が冷たく肌を這った。鉄扉の向こうからは、鉄床を踏む靴音と、時折交わされる短い命令が断片的に漏れてくる。灯のない空間で、光は外套の中に仕舞っておいた小さな「偽り」を際立たせた──レイナの胸の奥で微かに震える証綴りだ。革表紙に縫い込まれた糸は、今夜の数でかすかにほつれている。
「ここだって、言っただろ。扉は二枚、右が監視。左は空調だが、非常時には内側から閉じる」カエデが低く囁く。彼女は赤い帽子を深く被り、息は白く短かった。指先が鋼の扉に触れ、冷たさが腕まで伝わる。
「ユウマは?」レイナが訊く。声に無理して平静を織り込むが、喉の奥が波打った。ユウマは拘束された仲間の一人だ。先刻、治安隊の急襲で分断され、監禁場所に送られたと無線で聞いた。彼の名前は、レイナの中でここ数章、指でなぞれるほどの温度で存在していた。
「左翼の檻にいる。三人一組で寝かされてるって。重症は別室だ」カエデは旗竿の先に付けた小さな鏡で扉の隙間を探るようにして言った。「計画通りに行くなら、ここで合図を待つ。だが…」声が止まる。
向こう側から、金属がきしむ音と、何かが突っ込まれたような呻きが聞こえた。短い叫び。扉の隙間から射し込む光が、倉庫内部を一瞬白々と照らす。光は神々しくはない。綺麗に仕立てられた偽りだ。治安隊は夜を裂くように強い光を放ち、人々の目を奪い、身体を動かせなくする──そのやり方で、抵抗の痕跡を制度ごと削る。
レイナの手が証綴りの革表紙を叩いた。糸が震え、彼女は次の一手を確かめるように深呼吸する。能力はいつもそうだ。人の中に埋まった「見てきたこと」を紡ぎ、一つの声に重ねて「証」を作る。だがそれは代償を要求する――紡ぐたび、彼女自身の記憶から何かが削られていく。名前、匂い、手の感触。さらに救いを強制すれば呪いは増幅し、被救済者の中に新しい呪いの芽を植えかねない。
「私が入れるかもしれない」レイナは、そう呟いて立ち上がる。暗がりで、彼女の瞳がかすかに光を映した。「でも全部は無理。証を多く綴れば綴るほど、戻れなくなる。あの日の声だって、もう…」
カエデが顔を上げる。「全部なんか望んでない。ユウマを連れて帰るの。ほかは──我々がやる。分散させるのが一番だ。君の力は、決定的な一部に使ってくれ」
その時、背後で小さな金属音。ミオだ。ミオは腕を組んで、まなざしは固かった。「もしこれで失っても、後悔しない?」彼女の声は鋭かった。ミオはレイナの幼い頃からの知り合いで、牽制と信頼を同時に投げてくる。
レイナは証綴りを掌に取る。革の匂いがした。温かいはずの匂いが、どこか彼女の記憶の縁をなぞる。父親の手、あるいは誰かの笑い声――それが、すでに霧のように薄い。綴りに触れるとき、まるでそれらの輪郭が糸を通して抜き取られていくのがわかる。思い出の端が、鍵を回すように音を立てて外れていった。
「いいか、本当に一人だけだ。ユウマと、向こう側で命に関わる者を一人だけ救う。手短に、証は三声まで。私が綴る。君たちは突入して、残りを確保して」レイナの声は穏やかだったが、決意が含まれていた。
カエデはうなずいた。「秒でやる。信じるよ、レイナ」
合図なしに、カエデが跳んだ。鉄扉に張られていた監視網に飛びかかり、二人の隊士を絡め取る。音が増幅する。ミオは外側の監視機器を叩き潰し、無線の妨害を放った。レイナは倉庫の縁に片膝をつき、証綴りを開く。開くと、頁の端が光を帯びた。中には白紙が数枚だけ残っている。糸の穴が、かぎ裂きのように彼女の指先に食い込む。
「証一、ユウマ。彼は檻に、刃を握りしめていた。当事者は彼自身。彼の目が見たものを、全て、ここに綴る」レイナは声をひそめ、囁くように語り始める。彼女の術は相手の証言を借りて成る。だが今、ユウマは檻の中にいる。彼の声は近くから聞こえるはずだ。レイナは耳を澄ませ、彼の思いを受け取ろうとする。
倉庫の中、断片的な叫びと鉄の鳴る音。ユウマの呼吸が金属越しに震え、彼の恐怖と怒りが言葉にならぬままに押し寄せる。レイナはそれを手繰る。糸がひと撚りされるように、ページに墨のようなものが泡立ち、形になっていった。光が消えかける瞬間、頭に突き刺すような冷たさが走る。何かが、引き抜かれていく。
「ユウマの手の感触。冷たい鉄、血の味、そして――」彼女はそこで言葉を止める。胸の中の一つの温度が消えたのを感じた。思い出の一片が、指の隙間から零れ落ちるように抜け落ちた。彼の笑いの旋律が、二度と取り出せないと告げるように消えた。
ページが光を放ち、そこから薄絹のような光線が走った。光は真昼のように眩しくない。朝のようにも見えるが、それは誰かが作った朝だ。監視の灯りがちらつく中、光は監房の鉄格子をすり抜け、囚われの者たちの目に入る。視線の中で、過去と現実の境が薄れる。彼らの中の「見てきたもの」が一瞬にして鮮やかになり、抑圧の理由が皮膚に貼り付いて剥がれる。隊士たちは動きを止め、目を伏せる。嘔吐の音、嗚咽。制度が彼らに刻み込んだ理由が、その光に照らされて露呈するのだ。
だがその光はまた、別の反応を呼ぶ。拘束の紐が一つ緩んだ瞬間、その穴に何か黒いものが入り込んだ。救済の強制によって生まれる余波だ。解放されかけた者のひとりが、突然ざわつき、面持ちがすっと硬くなる。呪いの残滓がその胸に刺さったように、呼吸が浅くなる。ミオが咄嗟にその者を支える。彼女の手の中で、救われたはずの者の瞳がひどく遠い場所を見ていた。
「もう一つは?」カエデが冷や汗を流しながら訊く。外では治安隊の増援の足音が近付いていた。成功させなければ全員を失う。
レイナは躊躇した。ここでさらに綴れば、彼女はもっと多くを失う。何を失うかはわからない。だが、進む以外に道はない。救うために失う――彼女の価値判断がいつもそう嵌められてきた。
「救う。重傷の女術師を」レイナは決める。拘束された中に、治安隊が特に目を付けていた老練の術師、イツキがいた。彼女は情報を持っている。イツキが外に出れば、今夜の情報で我々は次の一手を打てる可能性がある。だがその代償は、大きい。
証二――イツキの証言を綴り始める。文字が頁に這うとき、レイナの視界が一瞬グレーに染まり、目の端にあったある像が消えた。小さな子どもの手。誰の手かと探しても、輪郭がぼやけ、感触だけが残る。糸が再び引かれ、彼女は痛みを覚えた。記憶が消えるたび、胸の中に空洞ができる。空洞は冷たいが、行為は確実に人を自由にした。
光が二度、三度と波紋のように広がり、監房の中では静寂が何度か繰り返された。隊士の一人が膝をつき、涙を拭く。イツキが呻き声を上げて、拘束が甘くなった手を擦る。カエデとミオが素早く駆け込み、鉄格子をこじ開ける。ユウマは迷いを見せず、その場で殴りかかる隊士を押しのけ、外へと引かれた。
救出は速やかだった。闇と光が交互に襲い、歓声すら上がらぬ静かな混乱が倉庫を満たしていく。だが出口で、ミオが顔をしかめた。支えた囚人の一人が、感情の接着を失ったかのように止まってしまっている。目の奥に、光に侵された痕が残っていた。カエデがそれに気づき、顔を強ばらせる。
外へ出