花を腐らせる画家は偽りの英雄を倒す

花を腐らせる画家は偽りの英雄を倒す 第25話「第23章」

石の扉が押し開かれたとき、空気が音を立てて崩れた。細い光が埃を引き裂き、棚の影に触れるたびに紙片が銀色の粉を散らした。蓮は肩にかけた画袋をぎゅっと抱え、指先で筆箱の縁を確かめる。冷たい石壁に触れた掌に、何か古いものが沁み出しているような感触があった――鉄と花びらを焦がしたような臭い。

石の扉が押し開かれたとき、空気が音を立てて崩れた。細い光が埃を引き裂き、棚の影に触れるたびに紙片が銀色の粉を散らした。蓮は肩にかけた画袋をぎゅっと抱え、指先で筆箱の縁を確かめる。冷たい石壁に触れた掌に、何か古いものが沁み出しているような感触があった――鉄と花びらを焦がしたような臭い。

「書庫の最深部だ。記録はここに集まっている」カイの声は低かった。彼は古い写本に慣れているらしく、慎重に一冊を引き出すと、縁に刻まれた模様に息をのみ込んだ。模様は花弁を重ねたようで、中心に小さな結び目がある。その結び目が、蓮の胸の奥で違和感を呼んだ。どこかで見覚えのある構造だ。だがそれが何かを思い出せない。

ミオが近づき、棚の隙間から白い聖飾〔せいしょく〕の残骸を拾い上げた。瘴気に侵された花輪の断片は黒ずみ、触れると粉になって指の間で崩れた。指先からは冷たさではなく、生の腐りの温度が伝わってくる。

「ここは儀式用の保管室ね」とミオが呟いた。「表に出していたものの、残骸だけを隠しておいた場所。多分、正式な記録は別にある」

蓮はそのとき、自分のスケッチブックが喉元で震えるのを感じた。中に描かれた線は、忘れたくないものたちを縫い留めている。能力はそれを触媒にする――証を束ね、真実をそのまま視覚化する。だがそれはいつも代価を伴った。線を引くたびに、小さな記憶が紙から、そして蓮の頭から消えていく。

「ここでやるしかない」カイが言った。「表向きの英雄の記録は改竄で埋められている。偽りをあぶり出すなら、生の証言を結び直す必要がある」

蓮は筆を取り出した。筆はただの道具ではない。彼の描く花は、現実と証言を結びつける鍵だ。筆先に乗せられた絵具は、彼が夜ごとに集めた色、汚染された花から滲み出た液体、古い血のほどけた色――腐敗を含んだ色だった。彼が描くとき、花弁は紙の上で朽ち、同じ朽ちが実物にも波及する。それは発見を助けると同時に害を呼ぶ。

「無理はしないで」ミオの声が、震え混じりに頼む。「蓮、あなたの——」

言葉はそこで切れた。蓮の耳に、生の声が入り込む。棚の隙間、古い写本のページの間から誰かの息遣いが漏れ出すようだった。証言は既にそこに宿っている。だが読むだけでは足りない。蓮が花を描き、証言を結びつけなければ、真実は散逸してしまう。

彼は筆を動かした。まずは小さな花を、儀式書の表紙に描く。線を引くごとに、空気が重くなる。周囲の花輪が一枚ずつ黒ずんでいき、堅い匂いが蓮の鼻腔を満たす。ペン先から伝わる感覚は、紙の繊維が燃えるような、それでいてひんやりとした感触だった。描き終えた瞬間、壁の陰から細い声が、複数の口から同時に漏れ出した。

「聖王は私たちの子を差し出した。代わりに救いを与えると言った」
「夜に来て、母を連れ去った。祭壇には花が供えられていた」
「私の夫は英雄の証に選ばれ、戻ってこなかった。帰ってきたのは、空虚な称賛と一枚の布だけ」

言葉は重なり合い、空間の輪郭を震わせた。蓮はその一語一語を画布に刺繍するように描き込む。声は薄いガラスに触れるように、届くべき人々の耳に訴えかける。彼の描く花弁に触れた声は、肉声となり、具体的な事件を告げる。証言は結び合わされ、薄い膜のように空間を覆った。

だが代価はすぐに現れた。蓮は自分の指先から柔らかな鈍痛が流れ出すのを感じ、次いで胸の奥にぽっかりと穴が開くのを感じた。今朝まで確かにそこにあった小さな部屋の匂い、母が作ってくれた豆の煮物の匂いが、細くなる。同時に、スケッチブックの一枚が白く抜けたように、鉛筆の線が消えた。彼の妹の笑顔を描いた小さな落書きが、紙から剥がれていく。

「蓮、しっかりして」ミオが言う。だが彼女もまた、声を震わせることを恐れている。彼女は救済の手段を知らないわけではない。だが目の前で蓮が失うのを見たくないのだ。

「締め直すんだ、もっと声を」カイが急かす。「偽りを暴くには、これ以上に多くを繋ぐしかない。ページに残された名前、家系図、儀式の手順――全部引き出せ」

蓮は筆を更に走らせた。声が増すたび、花弁の色は濃く、そして黒い点を帯びた。声の中には、英雄の署名が繰り返し現れた。演説台での言葉。救済の約束。だが並行して出てくるのは、収容所の記録、供出の一覧、人々が「選ぶ」ことを奪われた文書だ。証言は制度の継ぎ目を曝け出した。

そのとき、奥の鉄格子が鳴り、薄暗い廊下を押し分ける足音が近づいてきた。扉の外から、隊列を組んだ役人たちの声がする。どうやら定期的な「祓い」の運搬がここに及んだようだ。扉の向こうには木箱が並び、そこにはまだ息のある者たちが押し込められているらしい。

「時間がない」カイが囁く。「運び出される前に一つでも外に出せ。真相がそっちへ向けば、外の民も目を覚ます」

ミオが鉄格子を見据えた。瞳に決意が灯る。彼女は蓮を見て言った。「蓮、でも約束して。強制はしないと。自分の言葉で出る人だけを助ける。無理に引き出したら、呪いは牙をむくわ」

蓮は固唾を呑んだ。記憶の穴がまた広がる予感と、これ以上見過ごせないという感情がぶつかる。声はもうひとつの手を差し伸べるように、囁き続ける。彼らを救えば、真実は広まる。しかし、もし救いが強制だったならば――彼の能力が呼び覚ますのは真実ではなく、呪いの応酬だ。

扉が開き、役人の一人が首を突っ込んだ。肩鎧には軍の印。彼らは印象的な英雄像の文様が入った布を首から下げている。扉の隙間から見えた木箱の中で、少女の瞳が光った。痩せたが顔にはまだ幼さが残る。彼女の唇は震え、何かを訴えかけようとしたまま固まっている。

「こいつを出せばいい」カイが言う。「一人でも証言者が増えれば、繋がる。だが外で待っている監視がいる。奪い出すしかない」

ミオが首を横に振った。だがその目は揺れている。蓮は息を吸い、筆を決意のまま走らせた。彼は自分の内側に残る小さな記憶を天秤にかけ、重い方を選ぶ。救いの方だ。

花弁を幾重にも描き、少女の木箱へと伸ばしていく。筆先が空気に触れると、鉄格子越しに花びらが舞い、少女の鼻先に触れた。少女は目を見開き、木箱の中で初めて声を出した。「あの……助けてください」と、微かに。声は確かに自分の意志を帯びていた。蓮はそれを確認し、格子の隙間を見切った。

役人たちの注意が近い。ミオが勢いよく格子に手をかけ、鍵をこじ開けた。木箱がひっくり返り、少女は地面に崩れ落ちる。空気は血と湿った藁の匂いで満たされた。少女は震えながらも立ち上がろうとする。

だが瞬間、蓮の描いた花弁が床に触れたとたん、部屋の空気が変わった。蓮の指先を通じて伝わったものは、本当の意味での代償だった。床の花びらが黒々と膨らみ、そこから細い蔓のようなものが伸び、少女の足首を締め上げる。蔓は触れたところの生気を吸い取ると同時に、肉に黒い斑点を刻んだ。

「な、何だ!」ミオが叫ぶ。少女は痛みに顔を歪め、かつての温もりを探すように周りにしがみついた。だがその触れた手は蓮の描いた花弁の残滓に触れていた。蓮は全身に冷たい汗が噴き出し、目の端にまた一枚の記憶が霧散するのを感じた。今度は守るべき誰かの顔が、薄れてゆく。

「強制した……」カイが呟いた。彼は本