声を奪う魔導士は明日を選び直す 第5話「第4章」
石畳の小路に、声の色が落ちていた。かつて通りの中央で笑っていた子どもたちの声は、今は縒り合わせられたリボンのように低く、端がほころびている。その端を触ると音はなく、指先に冷たい絹の感触が残っただけだった。
石畳の小路に、声の色が落ちていた。かつて通りの中央で笑っていた子どもたちの声は、今は縒り合わせられたリボンのように低く、端がほころびている。その端を触ると音はなく、指先に冷たい絹の感触が残っただけだった。
ユウルは息を吐いて、コートの襟に顔を埋めた。夜の湿った空気の中で、遠くの街灯が淡く光り、声のリボンは行き交う人の足元で淡い残像のように震えている。彼の掌はまだ、先ほどまで縛っていた証言の痕を覚えていた。小さな輪郭、誰かの涙声、そして消えかけた自分の一つの記憶──母の名前。指で額を押さえると、そこに穴が空いているのが分かった。考えようとしても、名前が指の間からするりと抜け落ちる。温かい紅茶の匂い、織られた赤いスカーフ、そうした断片が、モノクロのフラッシュバックとして短く顔を出しては消えた。
「ユウル?」
声はか細い。振り向くと、エリナが縁石に座っていた。彼らが先週、村の集落から連れ出した一人だ。エリナの眼は夜の光を反射していなかった。唇が動くたびに、色の薄い声のリボンがくるりと巻かれるのが見える。ユウルはそのリボンの端をそっと摘まんだ。びくりとエリナの肩が震えた。
「……話せるか?」ユウルは低く言った。記録が必要だった。証言を束ねれば、ただの噂から、制度を裂く刃に変わるはずだった。
エリナは小さく首を振る。唇の動きは細かいが、声は真っ直ぐには出ない。彼女の内側で、何本もの色の薄いリボンが絡み合っていて、ユウルの前ではいつも一部しか解けない。彼は掌を差し出した。指先に魔力の膜が張られ、声の糸を拾うために温度が上がる。
「いいか、名前は、事件のことは、思い出せる範囲でいい」ユウルが促す。
エリナは息を吐いた。小さな音。それがリボンを震わせ、薄い声が一本だけ引き出された。幼い声のかけら。ユウルはその断片を慎重に受け止め、内部で編むように結びつけ始めた。すると、彼の頭の奥で冷たい爪が引っ掻いた。視界の端に、モノクロの波が広がる。母の笑顔の輪郭がまた滲む。次の瞬間、ユウルの舌先にかすかな空白が生まれた。母が歌っていたはずの子守唄の一節を思い出せない。
「ユウル?」エリナの声は、かすれていた。
「──大丈夫」彼は約束するように言った。だがその声には、揺らぎが含まれていた。自分の代償が増すほど、何かを取り戻せなくなる感覚が、身体の隅々に届いている。
そのとき、背後から足音が近づいた。静かな、しかし早歩きのステップ。ミラが角を曲がって現れた。彼女はユウルを見るなり、小さく舌打ちした。
「またやったのね。無断で。エリナ、あなたはいいの? 同意はあったの?」
エリナは目を伏せる。ユウルは矢継ぎ早に事情を説明しようとしたが、ミラの顔には怒りだけでなく疲労が張りついていた。彼女は肩に掛けた小さな箱を下ろし、中から薄い紙束を取り出す。それは折り畳まれた帳面で、縁に黒いインクの斑点が広がっていた。
「これを見つけたの。役人の書庫の、落ちていた箱の底に。運がよかっただけじゃない。読み方もわかるから――だって、あなたは魔導士として証言を集めるのを優先するけど、私は支える方法で動いたの。避難先の手配、仕事の世話、匿名の保護申請。人は、声だけで決まらない。」ミラの声は冷たかったが、その瞳は揺れていた。「ユウル、あなたのやり方だと、人の生活が壊れることがある。あの人たち、告発で家族を失ったって話、知ってるでしょ?」
ユウルは拳を握った。エリナが小さく吐息を漏らす。確かに、先週の救済は波紋を生んだ。証言が公になると、ある者の最愛が犯罪者と見なされ、家族は離散した。ユウルはそれを止めるために、より多くの真実を広げようとしただけだ。だが代償は、自分の記憶を差し出すことだった。そこまでして救う価値があるのか。彼の胸の中で、問いが重く沈む。
ミラは慎重に帳面を差し出した。ページをめくると、整然とした筆致で名前と日付、注釈が並んでいる。そこには「剥声執行」──声を剥ぐ執行の記録。対象者、執行日、執行の根拠となる呪章の番号。行には赤い丸が引かれていた。次の欄には、小さく日付が書かれている。
「十日後だ」ミラの指が一つの行を押さえた。「ラント・グレイシア。あなたの知り合いの、ラント。公開執行予定。彼は──」
ユウルの視界がざわつく。ラント。彼はユウルの幼馴染で、旅の仲間で、夜に酒を分け合った男だ。ユウルはラントの笑い声、腕の太い筋、寒い夜に呑んだ熱いスープを思い浮かべようとした。しかし、その輪郭がまた薄くなる。母の顔と同じように、ラントの左耳の小さな痣が消えかかる。ユウルは舌を噛む思いで、その欠落をなぞった。痣の痕跡だけが、まだ身体のどこかに残っている。
「じゃあ、どうするの?」エリナの声が震えた。「逃げてって言うの? 私たちに何かできるの?」
ミラは固く息を吸い、帳面を畳みながら言った。「できるよ。証拠があれば、執行を遅らせることもできる。だが証拠だけじゃ足りない。役人の上層に動かせる人間、情報の範囲、公開の場で声を奪われない場所――それらを準備しないと、あなたがやるような真実の突きつけは、ただの触媒になるだけ。触媒は反応を起こすけど、制御しなければ爆発する。」
ユウルは振り返り、石畳に落ちていた小さな紙切れを拾った。紙切れには、幼い子どもの落書きのように丸い太陽が描かれていた。自分の家で、幼いラントが描いたものかもしれない。指先をそこに当てると、また別の記憶が薄れていくような予感がした。彼は一度だけ深呼吸をしてから、言葉を紡いだ。
「僕は――」言葉が出ない。空白を埋めるべき記憶が、すぐに消える。ユウルは苦笑するしかなかった。「僕は、明日を取り戻したいんだ。ラントの明日を、エリナの明日を。声がなくなることを前提に、誰かをただ暴露して終わらせたくない。」
ミラは少しだけ表情を和らげ、ユウルの目をまっすぐに見た。「なら、一緒にやる。証言を武器にするのがあなたの方法なら、その刃が向く先を守るのが私の仕事。だが、約束して。無理やり救済を強制しないこと。強制すれば呪いは拡がる。あなたの代償が僕らの代償になる前に、他の道を探す。」
ユウルは頷いた。約束は、自分の代償を最小にするための盾でもあった。だがその盾は薄く、風で裂けそうだった。
「それともう一つ」ミラが帳面を再び開き、別のページを指した。「これを見て。剥声の儀式には決まった形がある。呪章に刻まれた文言、使う石の碧い光、音を切る刃物の在り方。これ、全部公式の手順書よ。彼らは制度として声を奪っている。偶発的な暴力じゃない。法で、儀式で、計画して奪っているの。」
紙面の文字を追ったユウルは、頭の中でその一行一行が冷たく脈打つのを感じた。制度というものがあれば、人は名もなき歯車のように運ばれる。ユウルは自らの能力で一人ひとりの証言を束ねることでその鎖を切ろうとした。しかし、その鎖はもっと深い鉛で繋がれている。
「どういうことだ?」ユウルは問い返す。
「つまり」ミラが顔をそむける。「私たちが個々を救うだけじゃ、制度は動かない。役人は帳面を回して、執行を予約表に載せる。予約があれば、呪章課の手が動く。あなたの証言は有効だけど、その前に執行を止めるには、