眠りを失う王子は神を告発する

眠りを失う王子は神を告発する 第3話「第2章」

夜が薄く裂ける路地の端で、ユリウスは息を吐いた。石畳に積もった湿りが靴底に吸いつき、遠くの鐘がぎこちなく三度鳴る。鼓膜の奥に残る低音は、眠りにあらがう者たちのざわめきといつのまにか同化していた。

夜が薄く裂ける路地の端で、ユリウスは息を吐いた。石畳に積もった湿りが靴底に吸いつき、遠くの鐘がぎこちなく三度鳴る。鼓膜の奥に残る低音は、眠りにあらがう者たちのざわめきといつのまにか同化していた。

「ここだ、マル。」かすれた声で呼んだ。マルは庇の影から体を現し、小さな箱を抱えていた。箱には古いレンズと針金、紙片が差し込んであって、彼女はそれを「証録器」と呼んだ。箱から漏れる淡い灯りが、彼女の頬を青白く照らす。

最初の証人は縫い屋の女、ミカだった。指先に裁ちばさみの瘢痕が縦に走り、まぶたは赤く腫れていた。ユリウスは彼女の手に触れた。冷たさが直に伝わる。触れると、彼の視界は薄い膜のように割れて、ミカの夜が差し込んだ。

市場の明かりが消えた瞬間、また別の夜が入ってくる。ミカの記憶が集まるとき、音も匂いも混ざってくる――赤いカーテンの下で息をこらえた子供の匂い、眠れずに磨いた窓ガラスのささやき。ユリウスはそれらを拾い上げ、指先で細い光の糸に編み付けていった。糸は手の中で透明な帯になり、閉じた口が少し開くようにして、ミカの声が立ち上がる。

「神父さまが言ったの。夜は贈り物、目を開けているひとは祝福されるって。子どもたちがじっとしてると、油を舐めるように眠りを奪われるのよ」

声は、証束(あかしだばり)の中で頓挫せずに、重なり合いながらも独立したまま、形を成していく。ユリウスはそれを一つに束ねた。束ねるという行為は、彼にとって神聖であり、危険でもあった。記憶が合わさったとき――自分の中の何かが薄れる。いつもはほんの一点、幼い日の風景か、父の言葉の端切れが消えるのだ。

ミカの証言を収め終えたその瞬間、ユリウスの胸にぽっかりと穴が空いた。幼い頃、父の片腕に抱かれて聞いた歌の冒頭の一節が、紙の上のにじみにように薄れていた。彼は手を振って頭を振り、思い出そうとしたが、歌の続きをつかめない。舌先に残る暖かさも、匂いも、消えていった。

「どうした、殿下?」マルがすぐ近くで覗き込む。彼女の指先が証録器の蓋を探る。ユリウスはわずかに顔をしかめ、やっと言葉を取り戻した。

「忘れた。歌の一節を、父と――」言葉はそこで切れた。どの父かさえ、まるで手のひらから粒がこぼれるように遠ざかった。

マルは厳しい目をした。「使いすぎだよ、ユリウス。『束ね』は便利だけど、君の中にあるものを引き抜く。覚悟はしてたって、違ったか?」

「覚悟はしている。だが……」ユリウスは息を吐き、すぐに顔を上げた。「止めるわけにはいかない。これがなければ、誰も私たちの言葉を信じない」

次に向かったのは露店の一角。ここには数人の若者が群れ、目をしばらずに夜を過ごしていた。ぎこちない動き、眠りを奪われた身体は震え、皮膚の色が悪い。少女の名はセラ。彼女の言葉は短く、しかし鮮烈だった。

「夜灯の塔、そこで焼く。祈りじゃない。粉を焚いて、滴を撒くんだ。眠りが薄くなる。それから、眠らないことを条件に救済を与える。それが──」

セラの声を束ねたとき、ユリウスの視界は再び揺れた。珠玉のような記憶のかけらが一つ、消えた。今度は母の名前が、どうしても出てこない。ユリウスの喉が締めつけられた。

「やめよう、ユリウス。今夜はやめて、証録を保存して……」マルが声を低くした。箱から出してきた紙片に、彼女は素早く鉛筆で走り書きを始めた。だがユリウスの手は勝手に動き、証束を高く掲げた。その場に居合わせた人々の心の震えが、空気を震わせるのがわかった。

彼は決定を下したのだ。証言だけではなく、それによって救われる者がいるなら、今すぐそれを行わせる。――救済を強制する行為は、彼の能力でも可能だった。証束を広げ、彼は声を張り上げた。

「ここから、助けを! 傷の手当てと薬を! 夜灯の塔の影響を遮断するために、浄化布を配れ!」

声は路地に張り付き、やがて近隣の小さな家々から手が差し伸べられた。古びた布が束になって配られ、乾いた野菜の煮汁がこどもたちの口に押し込まれる。ひとときの静けさが来たように見えた。泣き止んだ者、まぶたを閉じ始める者もいた。喜びが、薄汚れた掌の間でこぼれそうになる。

だが、その瞬間、遠くの方で鈍い振動が伝わった。窓のガラスが微かに震え、空気が焦げ臭くなった。救済の波紋は、誰かの監視網に引っかかったのだ。夜灯の塔を守る者たちは、制度としての睡眠の秩序を脅かされることを最も恐れていた。救済は、制度にとっては反乱の前触れである。

「見ろ!」マルが指差す。路地の入口、薄暗い角に巡査が立っていた。制服の肩章は黒と赤の縞で、胸には王の印が光る。彼は携帯する端末に何かを打ち込み、すぐに歩を早めた。背後からはより大勢の足音が近づいてきた。低い命令の声が路地に落ちて、救済の動きは一斉に停止した。

ユリウスは手を下ろした。身体の奥で、何か冷たいものが固まる。救済を強制したことで、救われたはずの人々に新たな目を向けさせてしまった。制度は、補助ではなく管理で応える。管理はさらに呪いを制度化するだろう。

「彼らが来る。証録は隠せ」マルが箱を抱える。だが端末の赤い光は、箱の摺動部にまで反応したらしい。紙片に押された小さな印影が、マルの顔に跳ね返る。王の眼だ。監視官の手先が、街のどこで何が行われているかを片端から紐づけている。ユリウスの胸に、また一つ記憶が落ちる。父の最後の言葉の輪郭が、砂の城のように崩れていく。

巡査が路地に入ってきて、ユリウスを見据えた。稜線のように固い視線だった。彼は王子だとすぐに悟らなかった。ユリウスは胸を張り、裸の正直で向き合った。

「ここで何をしている、若者よ」

「尋ね人を助けているだけだ」ユリウスは答えた。声音は震えていたが、嘘はなかった。記録を作るために集めた事実を、彼はそのまま述べるつもりだった。しかし、彼の中にあった父の助言――王家としての作法、沈黙の選び方――それを告げるはずの言葉がもう見つからない。

巡査の目が冷たく光る。「記録は国のものだ。私的な保存は禁じられている。君たちには許可がない」

「私的な……」ユリウスの言葉を遮るように、路地の向こうに低い歌が聞こえた。夜灯の塔の礼拝歌とは違う、古い市井の唄だ。誰かが遠くで歌っている。歌には力があり、人の意識を触れる。マルはそれを聞いて顔をしかめた。

「彼らが来るのは記録そのものじゃない。『束ね』の痕跡だよ。君が受け取ったもの、そこから外へ出た情報の波形が検出されたんだ。王は――」マルは言葉を切った。「王は眠らない者の波形を、いまや監視技術で追える」

巡査はユリウスに一歩近づく。その圧が厳然としたとき、ユリウスは決断を迫られた。彼は力を使い続ければ、もっと多くの声を束ねることができる。だがその代償として、自分の過去がどんどん薄れる。救済を強制すれば、制度は報復的に呪いの配り方を変え、より多くの人々を眠らないままに管理するだろう。

ユリウスの視線は、群れの中の一人、小さな手を握る母親に落ちた。彼女は怯えた表情で息をした。ユリウスは拳を握りしめた。瞬間、忘却の波にまた一片の記憶を奪われる感触があったが、彼はそれを耐え抜いた。

「ここで手を引く」マルが言った。「私が一つだけ