骨に歌う孤児は最後の村を守る

骨に歌う孤児は最後の村を守る 第7話「第6章」

雨上がりの朝、広場は洗濯物の匂いと泥の匂いが混じり合っていた。小さな家々の屋根からはまだ滴が垂れ、木製の手すりは冷たく、指先に吸いつくように湿っている。レンは、裂け口のような古い水桶の中に骨片を並べていた。粒子のように細かい黒い粉をほんの一振り――粉は、指先の温度でほの白く光る。指の腹に伝わる震えは、使うたびに増す代償の予感だった。

雨上がりの朝、広場は洗濯物の匂いと泥の匂いが混じり合っていた。小さな家々の屋根からはまだ滴が垂れ、木製の手すりは冷たく、指先に吸いつくように湿っている。レンは、裂け口のような古い水桶の中に骨片を並べていた。粒子のように細かい黒い粉をほんの一振り――粉は、指先の温度でほの白く光る。指の腹に伝わる震えは、使うたびに増す代償の予感だった。

「やめてくれ、レン。今日はやめてくれよ」

アイリの声が震えを含んで出る。肩を上下に震わせながら、彼女はうすく焦げたパンの端をかじっていた。アイリの父親は昨夜、統御院の執行隊に連れて行かれた。広場の端で、統御院の吊るし札が風に揺れている。白地に黒い印、それは「救済」という言葉と同じ形をしていた。

レンは骨片を一つずつ見つめた。白い骨肌に爪で刻まれた、誰かの指紋のような溝。骨の表面に沿って、かすかな節回しがあった――降りて来る歌。レンの掌に触れた瞬間、その歌は周囲の空気を震わせる。骨は声を持たないはずなのに、歌は確かに存在した。

「救済が強制される。取り消すには、証を示すしかないんだ」レンの声は、いつもより低く、無理に抑えられているように聞えた。「あの儀式を止めれば、連れて行かれる人たちを戻せる。目の前で虐げられている事実を、皆の前で歌わせる。そうすれば執行官たちの意志も揺らぐはずだ」

「それで、お前の記憶が一点ずつ減っていくと?」アイリが言葉の端を噛む。だが、言葉は続かなかった。問いの先にある痛みを確かめたくない。レンはそれを知っていた。彼女が骨を歌わせるたび、何かが消える。いつもは小さなことから始まった。最初は夜に見た星の名前、次は幼い頃に聞いた母の咳の音。だが最近――代償は大きくなっていた。

「最悪の場合、忘れるんだ」レンは骨片を抱え込むようにして、声を落とした。「誰かの顔。私が守ろうと思った人の顔さえ、忘れる。だから、使い方を選ばなきゃいけない。安易に救済を強いると、呪いが……増幅する」

言葉を聞いて、アイリの瞳が揺れる。ユウジがその背後で唇をかみ、拳を硬くした。ユウジは年長で、村の狩人だった。彼の手はいつも血と泥で荒れていて、レンの話を聞くと、拳が少し緩んだ。村の若者たちはひそひそと集まり始めていた。統御院の執行官が到着する時間が迫っている。

広場の遠くで、馬の蹄が小石を弾く音がした。隊列は整然としてやって来た。白と黒の制服、帯に刺繍された印。執行官の前に立っていたのは、梶原という名の男だった。年は四十前後。整った顔つきと冷たい笑みを持つ。彼の目は、秩序を熟知したものだけが持つ余裕を含んでいる。

「村長は不在か」梶原の声は石のように硬い。「監査に従わないわけにはいかない。救済のためには、必要な人数の供出が求められる。これは命を守る行為だ。皆さんのためだ」

「父さんを返してくれ!」アイリの叫びが広場に響く。彼女は前に飛び出し、泣き笑いを混ぜた顔で梶原を睨みつけた。だが梶原は指先でその言葉をなぞるようにし、視線を逸らさなかった。

レンは骨を膝の上に置き、ゆっくりと立ち上がった。雨で濡れた服が肌に貼りつき、冷たさが胸に食い込む。彼女は骨を空に掲げる。骨の白が曇り空を切り裂き、そこに小さな旋律が生まれた。鳥の羽擦れるような高音に、石が滴るような低い響き。誰にも届かないはずの音が、広場の中央で層をなして広がっていく。

最初に答えが出たのは、梶原の側近、細身の男だった。彼は息を止め、手を口に当てて跪いた。その顔は、醜い驚きと子どものような恐怖が混ざり合っていた。レンの歌は彼の中の声を引き出している。彼が聞いたもの、見たもの、押し込めた理由が、骨の旋律となって露出していく。

「……俺は、救済と言えば、父を思い出す。飢えた冬、誰かが寄越したパン。あれがあったから、思考を売れば助かるって学んだんだ」男の声は空中に残る。だがそれは彼自身の言葉だけではない。レンの能力は、当事者の証言を象る。彼女は相手の内側にある断片を拾い、共鳴させることで、それを「証」として立ち上げる。

すると、周囲の空気が変わった。隊列にいた兵士たちの表情がゆらぎ、印の力を信じていた村人たちの視線も揺らいだ。梶原は冷たく笑いながら手を伸ばし、レンを割って入ろうとした。しかし、そのときレンの手のひらに鋭い痛みが走った。骨が熱を帯び、指先から記憶が引き抜かれるような感覚があった。

レンはふらつき、一瞬視界が霞む。頭の隅に、小さな音が飛んだ。子守唄の最後の一節だ。彼女はそれが誰のものかを思い出そうとしたが、海の底に沈むようにして言葉が消えた。胸の奥にぽっかりと空いた穴。そこに居たのは、ただの空白だった。

「レン!」アイリが駆け寄って来る。「どうしたの!」

レンは首を振り、何かを確かめるように自分の指を見つめた。記憶の欠落は、痛みと同時に来る。彼女がそのたびに払う代償は、単なる感傷ではない。時間の層が削られる。直近の一枚の思い出から絵が抜け落ち、代わりに冷たい空洞が現れる。

だが歌は止まらなかった。証骨は次々と人々の中の事実を拾う。子ども時代の虐待、強制労働の記録、執行官たちの下手な言い訳。レンはそれを束ね、声の列を作り上げていく。骨片は白く光り、連鎖して曲が伸びるにつれて形を変えた。白い骨が、微細な黒い文様を浮かべるように見えた。文様は音符でも文字でもない。まるで図面のように、規則正しく繰り返す模様だった。

「そ、そんな……!」梶原の顔が青ざめる。彼は袖の中から小さな刻印札を取り出し、それを握り締めた。しかし、レンの歌はその札を飛び越え、村人たちの記憶を束ねて証に変えた。群衆はざわめき、執行隊の隊列はためらった。勝ち目が見えた瞬間だった。

だが勝利の代償は、すぐに顔を出した。広場の端で、女が倒れた。土と泥の匂いの中、彼女の腕には黒い脈のような模様が浮かんでいた。細い線が、皮膚の下で走り、まるで根のように広がっている。小さな子どもたちが泣き声を上げ、手を引かれて逃げ惑う。レンはその模様を見て、凍りついた。

「呪いが……増幅している」ユウジの声は砕けていた。彼は女の手を取ろうとするが、その模様は瞬く間に肌を覆っていく。触れた場所から、雨水が黒く濁るように粒子が立ち上る。更に数人の顔や手に同じ文様が走り、広場全体に広がる気配があった。

レンの胸が締め付けられる。救済を強制した結果、目の前にいる人々に呪いの反応が出た。彼女の歌は、無垢な証を引き出したが、それは同時に何らかの引き金を引いたらしい。骨の表面に浮かんだ黒い文様は、ただの装飾ではなかった。組織的な設計図にも見える。レンは、その模様を見るたびに、知らず知らずに思い当たるものがあった。統御院の儀礼の構成、物差しのように用いられる刻印、誰かが言っていた「方法」という言葉。それらが骨の模様と重なる。骨が示す真実は、突如として制度の設計図の断片に変わりつつあった。

「どうする、レン!」アイリの呼び声が届く。骨を歌い続ければ、もっと多くの事実を晒せる。梶原の足元は揺れている。だが歌えば同時に呪いは拡散するかもしれない。彼女の記憶はさらに削られるだろう。レンは手の震えを押さえ、骨を空に掲げたまま考えた。空に広がる雲は分厚く、曇