骨に歌う孤児は最後の村を守る 第5話「第4章」
大広間の蝋燭は斜めに伸びる影を床に引き、木の梁にぶら下がった古い黒ずんだ獣の皮がその影を揺らしていた。人々の呼吸が一斉に低くなる。レンは掌に、小さな骨片を押し込んだ布を握りしめた。布は湿り気を帯び、内側から鉄のような匂いが立った。蝋の青い光が、その布に入った縫い目を悲しげに照らした。
大広間の蝋燭は斜めに伸びる影を床に引き、木の梁にぶら下がった古い黒ずんだ獣の皮がその影を揺らしていた。人々の呼吸が一斉に低くなる。レンは掌に、小さな骨片を押し込んだ布を握りしめた。布は湿り気を帯び、内側から鉄のような匂いが立った。蝋の青い光が、その布に入った縫い目を悲しげに照らした。
「保護は安全をくれる。それに対価を払うのは国民の務めだ」ハイネが前に立ち、声を詰めて言う。彼の顎の筋がぴくりと動き、蝋燭の光が額の汗を小さな宝石のようにきらめかせた。村を分ける提案は、理屈で語れば慰めと引き換えの合理だった。ハイネは合理を選ぶ男だ。レンはその横顔を見るだけで、前と違う距離があるのを感じた。
「安全って、何の安全だ」レンの声は低かった。骨片が掌の中でひんやりと冷える感触が、彼の手首から胸の奥へと線を描く。証骨――レンの口にあてると、いつもより重い息が喉を通った。使うたびに記憶が薄れる代償を彼は忘れまいとしていたが、今はそれを振り切る必要があった。
「彼らはうちの死者を整理し、疫を抑え、徴発を止めると言う」年寄りのひとりが言う。口の端に土がこびりついていた。誰もがその言葉に、安寧への渇望を読み取っていた。だがレンは違ったものを読み取った。統御院の言葉の裏にあった、数え切れない隠し事を。
「白穂の丘で何があったか、見せる」レンはそう言い、布を口にあてた。最初に骨に触れた冷たさが、まるで浅い井戸の水面を撫でるように彼の頬を這った。声は出さない。骨が歌うとき、歌は人の声として外に出るのではなく、場所の記憶を震わせる。蝋燭の火がちいさく揺れ、空気が収縮するように感じられた。
最初の音は笛のように細く、子供の笑い声を模した。次に、低い合唱が広間を満たす。誰かの歯が食いしばられる音、布が擦れる音、焦げ付く木のはぜる匂い。声はレイヤーとなり、古い石造りの壁からはね返っては混じり合った。レンの中で、それらがひとつに重なり合い、過去の出来事を「真実」として提示してくる。
「運搬」「教育」「再配置」――声は言葉を吐き、幻の絵が人々の前に現れる。白い布に包まれた小さな体が車に積まれ、夜陰に紛れて丘へ向かう。監視役の制服の肩章が光り、指揮を執る男の横顔に当てられた松明の光。子供らの笑いは途中で途切れ、火の匂いが立ち上る。誰かが叫び、誰かが手を伸ばしている。目の前で時間が止まったように、惨事が再生された。
大広間の中で小石が転がるような音がした。老女が膝をつき、顔を覆った。隣の若者は、突然顔を歪めて吐き出すように平手を口元へ当てた。ハイネの表情は変わらなかったが、肩の震えが見て取れる。蝋燭の影が彼の目蓋の上にくっきりと落ちる。セドリク――統御院の巡察官の顔は、音の中で少しだけ硬くなった。唇の端にうっすらと汗が滲んでいた。
歌い終わると、締め付けるような沈黙が訪れた。レンは膝を支えにして体を起こすのがやっとで、胸の中にぽっかりと穴が開いたような感覚があった。次に来たのは冷たい喪失。レンはふと、自分の左手の中にある感覚を確かめた。あの時の母の掌の匂い、夜に聞いたラッカの歌の最初の一節。指先が何かを探して空を切るように固まった。歌の代価が、柔らかな記憶を削り取っていた。
「あの……おまえ、ラッカの子守唄、歌えたか?」隣にいた子が怯えた声で訊ねる。レンは口を開けようとしたが、音は出てこない。喉の奥で、言葉がすり抜ける。曲名、歌詞、一節目の調子が、まるで遠い岸へ流されて行ってしまったように消えていた。舌先に、ほんの一瞬、鉄の味だけが残る。
セドリクは掌の中にある小さな箱を開け、そこから細長い骨管を取り出した。彼の骨管は官服に合うように磨かれ、ところどころ金属の継ぎ目が施されていた。彼はレンを見て、ゆっくりと微笑んだ。「真実は、多くの形で歌われる。あなたの歌は切り取る。しかし我々は繋ぎ直す」
彼が吹いた音は違った。低く、平らで、周囲の怒りをなだめるような波動を作り出した。最初は誰も気づかなかったが、次第に肩の震えが止まり、ぴりついた口論が小さな溜息に変わっていく。骨管は、訓練された手にかかれば、人の記憶の疼きを押さえ、怒りを秩序に折り畳む道具にすらなる。
「我々は、必要な調整をしてきた。白穂の丘――あれは疫の拡大を抑えるための措置だった。動かせなかった者たちに対しては、安楽という名の処置を施した。すべて記録にある。保護を受け入れれば、被害の詳細を村史から抹消するかもしれないが、それが病の拡散を止める」セドリクの声は冷静で、計算されていた。だがその口調の中に、どこか疲れた眼差しが混じる。彼の手の震えを、僅かに誰かが見た。
「記録にある、だと?」レンは立ち上がり、まだ手の中の空虚を確かめながら、少しずつ言葉を紡いだ。「あなたが持ってきた記録を見せろ。白く包んだ子供の列、丘の焼け跡、その写真を。証言は証言だ。だが、帳票と署名があれば、隠せる真実もある」
セドリクは箱の中にある一巻の羊皮紙を広げ、ゆっくりと村人たちの方へと差し出した。烏色のインクが行列と日付を示し、役職の印章が重ねられていた。そこに記された言葉は、整然としすぎていた。秩序はいつだって暴力を包む布であり、整えられた文字は暴力を隠す。
「三日後に正式な登録が始まる。拒否すれば、我々は戻る。だが自治の名目で放置すれば、疫は再び動き出す。あなたたちの選択だ」彼はそう言い残し、周囲に伏せた目を向けた。誰もが三日の重みを感じ取った。刻は稼げない。蝋燭の炎が映す顔が揺れ、呼吸が速まる。
ハイネが前に出て、握られた拳を床へ押し付けた。「我々は生き延びなければならない。あなたの歌も、それも……俺たちが選べることのひとつだ」
レンは自分の胸の奥で、ふと空白になった場所を確かめた。父の手のひら、母の声の調べ。どちらも指に触れているはずなのに、手に取れない。証骨を使うたびに、救われる者の数が増える代わりに、レン自身の過去が消えていく。だが消えていく代償さえも、村を守る燃料になるのなら。
セドリクの瞳に、短い瞬間だけ、かすかな問いかけが宿った。彼の口角が揺れ、言葉は囁いた。「会ってほしい。屋外で、列車がここを過ぎる前に。私の言葉を聞いてほしい。君の持つ——その骨のことについても、話したい」
会うか、拒むか。レンの周りで村人たちが小さく動き、誰かが決まりかけた意志を奪い取るようにじっと見つめる。ハイネは振り返り、レンの肩を掴んだ。「公にするべきだ。隠されたものは晒す。だが、三日という猶予を与えられた今、我々は考える時間も必要だ」
レンは骨を唇に当てたまま、最後に一度だけ自分の残された記憶を探った。幼い日の丘、母の笑い、夜の台所。手の中で、そのどれもが指先から抜け落ちていく。胸には冷たい痛みが残った。彼は目を閉じ、低く頷いた。
「……会おう。外で。夜明け前だ」声は砂を噛むように乾いていた。レンは自分の名前を呼ぶ声が薄れていくのを感じながらも、決意を固める。彼の中で何かが消え、何かが燃え上がった。
蝋燭の火は揺れ、会合は終了の合図のようにバラバラと散り始める。だが同じ瞬間、誰かが広間の隅で何かを呟いた。「登録の記録には、他にも名がある。遠い都市の『目録』。そこに