雪鎖の巫女と百鬼城

雪鎖の巫女と百鬼城 第9話「第八章 百鬼城の門」

城壁は雪をまとい、夜の風がその縁を白い櫛のように掃っていた。月は薄い硝子の欠片で、堀と屋根のあいだに冷たい光を滲ませる。白綱郷の人々が眠り、軒先の縁台に忘れられた炭火が赤く残るころ、四人は城の影に紛れて歩を詰めていた。

城壁は雪をまとい、夜の風がその縁を白い櫛のように掃っていた。月は薄い硝子の欠片で、堀と屋根のあいだに冷たい光を滲ませる。白綱郷の人々が眠り、軒先の縁台に忘れられた炭火が赤く残るころ、四人は城の影に紛れて歩を詰めていた。

「ここが、門か」アサギが低く言って、鉄格子の脇を指差す。格子は外側にだけ開けられる古びた仕掛けで、城主の目が回る日にも滅多に動かない。雪が堆く積もる坂道を見下ろすと、人影がぽつりぽつりと散り、城内の暖をあてにした者たちの生活音が薄く漏れていた。

トウマは肩に掛けた鉄輪の一端を指先で撫でた。男の顔は夜の輪郭に溶け、兵の制服の織り目が月光を翳した。城主家の息子であり、隊士として育てられた彼は今、城の内側をよく知る者だ。囁くように言う。

「俺の仲間に声をかける。皆が目を覚ませば、門はそれだけで薄くなる。表向きは巡視だと言って通せるはずだ」

スズは壁にもたれ、鼻先で雪の匂いを確かめる。彼女の目は人間のものに似ていたが、瞳の奥で契喰いの嗅ぎ分ける光が微かに揺れた。雪と墨と古い紙の匂いが混ざっている。彼女は小さく笑ったように見えた。

「壁に刻まれた約束の匂いが濃い。ここは……たくさんの『同意』が集められている」

ユキネは左手を拳にして懐へ押し込んだ。冷たさはいつもより鮮烈で、自分の血がそこから少しずつ溶け出すように感じられる。だが凍えは同時に決意の鋭利さでもあって、短刀の柄を確かめる指先は、まだ震えていなかった。

トウマが小走りで近づき、門番風情に囁いてから数分。古い連絡口をこじ開けるような音がした。内側で、若い兵の声が低く反応し、重い格子が軋んで横に動く。月光に浮かぶ小さな割れ目から、四人は城内へ滑り込んだ。

中庭は石畳の上に雪が薄く被り、ところどころに赤い契文が塗り重ねられていた。赤は夜の黒さに一層深く見え、契文の縁が雪に滲む様は、血の跡が水で広がるようだった。城兵たちは監視塔で丸く集まり、火を囲んでいた。トウマの通った道に顔なじみが一人、二人と立っていて、その顔は彼を見ると眉をひそめた。だが彼の話す言葉は短く、真剣で、言葉の後には黙礼が続いた。仲間の一人が、肩に手をかけて合図を送る。合図は数人へと伝播し、灯りが双方でずらりと暗くなった。城の巡視――という口実は、密やかに仲間を引き寄せるための餌だった。

「急ぐぞ」トウマは息を呑むように言い、壁沿いの通路へ四人を導いた。城の内側は、外観以上に人間の手の温度が漂っていた。紙に書かれた記録が保管される書庫、夜ごとの巡行の帳面、配給の目録、そして鍵のかかった木箱。どれもが、城が何を抱え、何を隠しているかを語る小さな器だった。

アサギはなんの躊躇もなく配給蔵の扉に手をかけた。鎖は厳重で、男の力がないと開かぬ代物だが、彼女は小さな鉄棒と力を合わせ、黒ずんだ錠を破るようにして扉を開いた。中は乾いた木の香りと、密封された袋、箱に詰められた穀物の匂いが混ざる。灯りを擦ると、積み上げられた袋の上に一冊の帳面が転がり出た。アサギがそれを拾い上げ、ざっとページをめくる。

「これだよ」彼女の声は驚きよりも、怒りで震えていた。帳面には家名と数字がびっしりと並び、配給日、配給量、そして不自然な欄があった。欄には「代償」「同意印」「領印」と赤で記され、そこに押されている印は城主の紋。だが横に小さな丸印が付され、注記が添えられている。「不足時、領主補填により同意を代行」。

アサギは帳面をユキネに突きつけた。ページの隅に、幾人かの住民の名前が二重線で塗り潰され、代わりに別の名が書かれている。年端もいかぬ子の名が、他人の名前に書き換えられていた。ユキネはそれを見て胸の内側がきしむのを感じた。人の「同意」が、紙の上で書き換えられている。

「飢えに差し出させたのか」トウマが短く呟いた。言葉の裏に、城で聞いた理屈が蘇る。『統合すれば失われるものは最小になる』という計算。それがどれだけ冷たいか、数字の列の向こうにある顔を想像すれば分かった。アサギは唇を噛み、次の引き出しを開けた。そこには、小さな札が幾十枚と入っている。札には住民の声、夢、故人の名を示す短い標示があり、城の印が押され、その裏に『現物移管済』と煤けたインクで書かれていた。

「城は物を配って守っていた。だがその代わりに、何かを回収していた」スズが壁に寄り、指で石の溝を辿る。彼女の指先に墨の痕が付いた。そこに刻まれた小さな文字は、契文の断片だ。城壁の内側には、無数の細い線で『同意』『帰属』『守』と繰り返し刻まれていた。だがそれはただの刻印ではなく、切り抜かれた意志のように見える。スズは嗅ぎ分けるように目を閉じた。

「ここは、契約を燃料にしてる。守りを与える代わりに、意思を一点に凝縮している。百鬼鎖は鎖ではなく炉だ。住民の『守ってほしい』という同意を燃やして、眷属を焼き固める。つまり――」スズの声が絞り出すように細くなる。「眷属は神に仕えるのではない。城に仕える意志である」

ユキネはその言葉を噛みしめる。視界の端で、赤い契文が雪の床に落ちて黒く滲んでいる。住民が差し出したはずの声や夢が、誰かの都合で黒い燃え殻へと変じる。彼女の左手がひりひりと痛んだ。そこに刻まれた小さな凍瘍の紋が、何かに反応する気配がした。

「ここまでやるのか」アサギが吐き捨てるように言った。「飢えを止めるために記録をすり替える。誰かの名前を消して、誰かの同意を代行する」

「そうしてできたのが、百鬼鎖だ」トウマは低く言った。「4本の杭を一つに繋ぐ。四つの『守り』は、城の都合で書き換えられて──住民の意志を一本に束ね、鎧のように纏わせる。それが城を守るのではない。城が住民を守る仮面を被るための外殻だ」

ユキネはふいに、城の紙箱の底に落ちていた一枚の紙を見つけた。紙は薄く、何度も折りたたまれ、焦げ跡がある。彼女がそれを拾うと、指先に既視感が走った。文字は慣れ親しんだ筆跡だ。黒い墨がにじんでいる。ユキネの胸の鼓動が跳ねる。母サヨの筆跡だった。

だが紙の内容は短い告知のようで、誰かが焼き捨てる前に密やかに残したものらしかった。「第五を名付けさせぬよう、紙を与えよ。名は呼ばれると生まれる」とだけ走り書きがあり、署名はない。ユキネは指を震わせて、紙を懐に押し込んだ。心臓の奥で、幼い頃の母の姿がちらつく。母は何を恐れていたのか。何を食べさせ、何を守ろうとしていたのか。

「お前の母さんの文字だ」トウマの声がそばでした。彼の目はじっとユキネを見ていた。そこには非難も驚きもなく、ただ確かめるような温度があった。ユキネは一度息を吐き、言葉を探す。

「母さんは……何かを隠していた。だけど焼いたんじゃない。誰かが――食べさせた、ってスズが言ってた」

スズは小さく、しかし確信に満ちた頷きをした。「紙は焼かれたように見せかけることができる。だが消えた記録はどこかに行く。契喰いの腹に入れられることだってある。サヨさんは自分の記録を守るため、誰かに渡したのかもしれない」

トウマは黙り、そして決意のように歯を噛んだ。「だとしても、今は時間がない。鎖の中枢は城の天守だ。百鬼鎖の装置がそこにある。俺はここで仲間をまとめられるだけだ。ユキネ、お