雪鎖の巫女と百鬼城

雪鎖の巫女と百鬼城 第7話「第六章 母が焼いた頁」

雪が止んでからも、白城家の旧宅の周囲は白い息が固まったままだった。屋根の軒は重く垂れ、風にさらわれた雪の縁がぎざぎざの歯のように家を囲んでいる。ユキネは指先で手甲を確かめ、凍った扉の鉄の輪を押し開いた。木の枠は冷たく、古い家の匂い――煤と乾いた紙の匂いが混じった、懐かしくも酸っぱい匂いが鼻をついた。

雪が止んでからも、白城家の旧宅の周囲は白い息が固まったままだった。屋根の軒は重く垂れ、風にさらわれた雪の縁がぎざぎざの歯のように家を囲んでいる。ユキネは指先で手甲を確かめ、凍った扉の鉄の輪を押し開いた。木の枠は冷たく、古い家の匂い――煤と乾いた紙の匂いが混じった、懐かしくも酸っぱい匂いが鼻をついた。

「ここが……本当に母さんの家なのか」

トウマが黙って後ろに立つ。彼の鉄輪は外套の中で冷たく震えていた。アサギは融けかけの雪を踏んで板の間へ飛び込み、室内の様子を素早く確かめる。スズは壁の隙間に鼻を寄せ、目を閉じて匂いを追った。彼女の頬には薄く雪の粉が張りついているように見えたが、息遣いは人間とは違うリズムで震えている。

室内は半分が崩れ、煤で黒く焦げた梁が見える。畳は湿り、書き物をしまった棚の扉は開きっぱなしだ。ユキネは母の筆跡を探すように、棚の中の箱を一つずつ開けていった。灰に埋もれた文書の端が見える。燃えさしらしい黒い紙片が指に触れ、細かな炭の粒が掌へ落ちる。

「焼けてる……」ユキネの声は思ったより小さかった。胸の奥がきしんで、声が漏れたことに驚いた。

スズが、低く呟いた。「これは……焼け残り。だが――」

彼女は一枚の紙片をすっと掴むと、その縁を嗅いだ。鼻先に濡れた紙の匂いがあり、昔彼女が噛んで飲み込んだ契文を思い起こさせる。それは生の粘りのある香りで、燃やした紙とは違う。

「誰かが食べた痕がある」スズの声は平静を装っているが、どこか震えていた。「焦げは後から。古い火の跡を作って、そこに“焼いた”と見せかけた。だが繊維の噛み跡、唾液の匂い、芯の場所が消されてる。これは――誰かが喰らった後で、外形だけを焼いたということだ」

ユキネの手から、黒い紙片が滑り落ちた。その断面はまるで齧り取られたように不揃いで、墨の黒さがところどころ欠けていた。そこに走る筆跡は、間違いなく母のものだった。細く、少しだけ力を入れると揺れる筆致。ユキネは胸が締めつけられるようだった。

「あの日付だ」トウマが言った。紙片に記された年月日は、雪祭りの日と同じ日付だった。ユキネはその数字を何度も見返した。彼女の手が震え、左手の凍えた感覚がまた波打つ──その跡は、いつもより冷たく、無言の筋となって腕に沿っている。

ユキネは棚の奥を手探りして小さな箱を引き出した。中には布にくるまれた物がある。包みを開くと、煤に汚れた小さな指貫が現れた。銀色の小さな輪に、母が刺繍で縁取った細かな模様がはいっている。掌に乗せると、指貫は冷たく、どこか温もりを忘れた金属の匂いを放った。

「これ、母さんの形見だ」ユキネが言う。言葉は宙に吸い込まれ、部屋の隅の埃と混ざった。

スズがその指貫の内側を覗き込んで、いきなり声を落とした。「匂いが……この匂いは、契喰いの体内に残るものだ。誰かがこの金属に触れ、紙を喰わせた。更に――これは偶然じゃない。仕掛けられた匂い。記録を渡すための目印だ」

ユキネの心は、音も立てずに崩れていった。母が焼いたのではなく、母が何かを誰かに渡した――その“誰か”は、紙を食べる者たちだという。思考が、身体の奥で冷たく爆ぜるように形を取る。

「母さん……なんで?」ユキネの問いには答えがない。彼女はここまで走ってきた。母を無実だと信じたい心があった。だが今、信じたかったものは分裂し、痛みに変わっていた。母が記録を“隠した”としたら、それは何を守るためだったのか。母は誰から隠そうとしたのか。

古い机の引き出しの奥に、焼け焦げた紙切れが重なっていた。そこには母の筆致で、短い文が残っている。炭化しているが、かろうじて字は読める。

「――此処へ置くこと。燃やしたと見せよ。第五杭の名は与えぬ。それが町を守る鍵なら、娘の手なるべきでない。嘘を見よ、ユキネ。お前の目が、名を呼ばせぬ」

指の震えで文字を追う。読み終えた瞬間、ユキネの胃の底が冷たく引き結ばれた。母の言葉が、彼女を守るための指南であることがはっきりした。だが同時に、母はユキネを欺いていた——自分に巫女の資格がないと偽ったのだ。母は何十もの小さな嘘で、娘を押し伏せていた。

「母さんは……なぜ隠したんだ?」ユキネの声は途切れそうだった。怒りと裏切りが新しい火を生み、胸の中で広がる。自分を守るための嘘。守るために奪われた選択。そして、母の手がユキネの左手に、何かを移したという一行。ユキネは掌を見つめる。凍えの紋はいつの間にか、暗い渦のように見えた。

スズは静かに、しかし確信を込めて言った。「サヨは焼いたわけじゃない。誰の目にも『燃やした』と見せるために燃やした。だが本当の記録は、喰わせた。契喰いは記録を食べ、記憶を核に織り込む。紙は消えず、別の場所に残る。私たちの仲間に入れて、物証を守ったのだ」

「守った?」ユキネは反射的にトウマの顔を見た。トウマの瞳には、いつもの従順さよりも迷いがあった。城のものとして動き、城の正義を守るはずの彼が、今その真偽を確かめなければならない。ユキネは自分の心のなかの小さな希望を捨てきれないでいるのを感じた。

「母さんは私を守ろうとした」ユキネが言った。言葉には怒りが滲んでいた。「でも、どうして隠す必要があったの? 隠して逃げれば、私たちが知らないうちに何をされるか分からないじゃないか」

スズは首を振った。「隠すことで時間を稼いだのよ。時間さえあれば、契を分断する術を探せるかもしれない。だが喰わせたということは、それを見られてはいけない者がいる、ということだ。誰が見られては困るのか、誰がそういう契を欲するのか――それを考えれば、城の動きと繋がる」

床に落ちた紙の焦げ跡の中に、薄く指紋の跡が残っている。煤の下にあるそのへこみは、誰かがページを口に当てたときについた唾の痕に似ていた。ユキネはそれに指を触れた。冷たく、粘り気が僅かに残る。スズがその指紋を見て、かすかに肩を震わせた。

「北峰の者の匂いがする」スズは低く言った。「あの子たちの匂い。誰かが意図的に口にした。そして、その後で燃やした。見せるための灰を残して。サヨは知っていた。ユキネの目が第五杭を呼ぶ鍵になると」

ユキネは読み返した母の走り書きを再び手に取り、指貫と照らし合わせる。母が残した言葉は薄く、しかしはっきりとした決意に満ちていた。「お前の目が、名を呼ばせぬ」——母は、自分の娘の不可視の力を隠し、町にその扱いを見せまいとしていたのだ。母の行為は保護であり、束縛でもあった。

怒りがこみ上げる。ユキネは紙片を掴み、力任せに握りしめた。炭が指の間で砕け、黒い粉が掌に付く。母が娘を守るために選んだ道が、娘の選択を奪っていた。怒りは熱く、眼の奥で燃えた。

「母さんは私を利用したのか、それとも本当に守ろうとしたのか」ユキネは吐き捨てるように言った。声に揺れがある。感情の矛盾が波紋のように広がり、どう繕っても戻らない時間の裂け目を思わせた。

そのとき、外から金属の音が響き、雪の重みを引きずるような大きな振動が家を揺らした。トウマは反射的に扉へ走り、窓から外を見る。視界の向こうに、数列の影が列を成して動いていた。城の軍勢だ。

「兵が来る」アサギが低く言った。雨垂れのよ