王女騎士 第23話「第21章 盟誓の重責」
霧と火薬と金属の匂いが混じり合い、王都の朝は血のように赤く染まっていた。瓦礫と倒れた幟の間を、同盟の旗を掲げた兵士たちが前へ進む。ミアは短く息を吸い込み、前世で培った習慣のように周囲を確かめた。視界の端ではカエルが重い楯を構え、サイムが地図を見比べながら指示を出している。エリナは胸に王家の徽章を付け、周囲の民を鼓舞するように歩いていた——だが、王都の守備は厚く、聖締側の迎撃部隊が既に幾重にも配置されている。
霧と火薬と金属の匂いが混じり合い、王都の朝は血のように赤く染まっていた。瓦礫と倒れた幟の間を、同盟の旗を掲げた兵士たちが前へ進む。ミアは短く息を吸い込み、前世で培った習慣のように周囲を確かめた。視界の端ではカエルが重い楯を構え、サイムが地図を見比べながら指示を出している。エリナは胸に王家の徽章を付け、周囲の民を鼓舞するように歩いていた——だが、王都の守備は厚く、聖締側の迎撃部隊が既に幾重にも配置されている。
「二手に分かれます。カエル、北の橋を抑えて。サイム、偽装文書で補給を誘導。リサは後方で傷病の受け取りを。ミロ、入口の目くらましを頼む」
命令は短く、具体的に。ミアは現場で鍛えられた口調で仲間を割り振り、すぐに自分の役割を確認した。目標はただ一つ——王都地下に眠る「位環」へ辿り着き、装置の制御を断つこと。そのためにはここでできるだけ多くの味方を死なせられない。だが、彼女自身にも限界があった。盟誓の盾は強力だが、使うたびに身体は老い、記憶を奪い、そして盟痕という弱点を残す。己の血肉と引き換えに人を守ることはできるが、それは無限ではない。
突如、聖締の一隊が側道から斬り込んできた。黒い装束に白い紋が浮かび上がる。先頭の剣士がエリナへ向かって勢いよく突進する——その刃が民衆の一角を裂こうとする瞬間、ミアは動いた。
「守る、エリナ・ヴェル!」
声を張り上げると同時に、ミアはエリナの腕を掴んだ。触れたのは確かな実体。誓印の銀帯が二人の手中で互いに微かに震え、触覚の交差が盟誓を認証する。触れた距離はおよそ十歩。条件が満たされた瞬間、膜のような光が二人を結んだ。エリナの胸の痛みが鋭く伝わり、その先に温度と味、心拍の乱れまでが波紋のように広がる。刃はミアの体に――というよりミアの代わりに引き受けられた負荷に突き刺さった。血と鉄の味が口の中にして、頭の中で昔行った傷の手当ての手順が鮮烈に蘇る。
痛みは実体を伴った。ミアの膝裏で何かが裂け、彼女は息をつめるが、声は出さなかった。盟誓が機能している──傷はエリナからミアへ移り、その間、エリナの体はおぼろげに軽くなった。彼女はその瞬間笑った。恐怖と安堵の混ざった短い笑顔だった。
しかし代償は即座に現れた。ミアは手首に刺すような、古い傷を引き剥がすような痛みを感じ、ふと自分の左手の甲に新しい痕が浮かび上がっているのを見た。盟痕だ。濃い色の刻印が皮膚に残り、そこから熱のような嫌な気配が漏れている。隣で見ていたリサが小さく息を呑んだ。
「ミア、顔が…少し…」カエルの声が震えた。ミアはその言葉の意味を瞬間的に理解する前に、もう一つの異変を感じた。彼女の頭の片隅にあった数字が消えた。前世で夜間パトロールをしていた時に重宝していた、通りの照明の数の暗算がスッと抜け落ちる。今さっきまで確かに覚えていたはずの番地番号が、指先からすり抜けたように消えた。
「どうした、ミア?」エリナの声はまだ強かった。ミアは口元で小さく笑い、かすれた声で答えた。
「大丈夫。……私が守る」
堪えるように息を吐いて、ミアは再び前へ走る。城壁の間を縫って進むと、前方で仲間の一団が重機を守りながら装置のある制御区画へ向かっていた。そこには制御盤と、円形の基台があった。徽章の欠片が示していた位置――装置へと繋がる小さな入口だ。サイムとリサがその入口のロックを解こうとしている。必要なのは時間だ。必要なのは守り手であるミアの肉体だった。
敵は味方の盟痕を見逃さなかった。聖締のある術式師が薄く微笑うと、手にした小さな器具が盟痕を感知するように光った。彼らは盟痕を「目印」として学んでいたのだ。敵の矢が次々と盟痕に向けられる。ミロが叫んで敵の視線を逸らし、煙を焚いて隙を作る。だが矢や矯正された槍先は、標的が盟痕であると特定すればより致命的な角度で突き刺さる。
「ここは私が抑える。リサ、サイム、急いで!」
ミアは近くにいた若い兵士の名を呼び、手を差し伸べた。彼は痛みに顔を歪めながらも笑って前へ出た。ミアは彼の肩に手を置く。誓印は持っていない彼だったが、彼の胸にある血が熱を帯び、ミアの中で小さな違和感が走った。盟誓は成立しなかった。誓いは相手の名を宣言し、双方の接触・認証がある時にしか生きない。ミアは瞬間的に計算した。彼は誓印を持たない。だが彼のすぐ傍に、エリナがそれを持っている。選択は冷たい。だが戦場は冷たく残酷だ。
「守る、兵士マルク!」ミアは叫び、エリナの肩越しに手を伸ばしてそっとマルクの腕に触れさせた。小さな接触と、エリナの誓印が微かに触れ合わせられる。盟誓は波紋となってマルクを包んだ。矢が斜めに飛び、マルクの身体は一瞬震えたが、傷はミアの右腕に集中した。ミアは短く呻いた。右腕の皮膚が焦げるように熱を帯び、筋肉のしこりができる感覚があった。
使用ごとに年輪が一つ刻まれるように、ミアの身体が変化していくのを彼女は感じた。髪の束に白い線が増え、皮膚の弾力が薄れる。顔に小さな筋が走り、瞳の周りに影が濃くなる。仲間はそれを見て顔をひきつらせる。リサは手を伸ばしたが、声を殺して涙をこらえた。
「ミア、やめてくれ…」サイムの声が震えた。だが作業は止まらない。装置のロックは複雑で、徽章の欠片を合わせるためには時間が必要だ。ミロがまた呪詠をこぼす。彼の声は震え、古い節が空気を切って落ちる。彼の顔には覚悟があり、同時に深い疲労があった。ミロの手は徽章の欠片に触れ、暗号の輪を照合している。微細な歯車が嵌るべき位置を探している。
敵側の幹部がそれに気づき、制御区画へ強襲部隊を放った。彼の目は冷たく、盟痕を狙う兵を次々と指示する。ミアは中央に立ち、次々と仲間の名を呼ぶ。距離は三十歩を超えたり下回ったりする。誓いの成立条件は厳格だが、戦場のなかで距離の管理は可能だった。ミアはその管理を続ける。盾としての瞬間、味方の呼吸、心拍、痛みを共有しながら、彼女の内部では何かがすり減っていく。
「守る、カエル・トル!」ミアは二度目の誓いを繰り出した。カエルは重い斧で盾を叩き、前線を固めていた。触れ合いの確認、誓印の擦れ合い——盟誓が働く。カエルの肋骨に食い込む一撃が、ミアの肋に集中した。息が漏れる。だがカエルはそのまま盾を保ち、ミアの身体に流れた負荷は彼女の背中で終わった。
年がまた一つ、そして記憶が一つ消えた。消え方はいつも不定形だ——ある時は子どもの頃の風景が抜け、ある時は前世の些細な番号が抜ける。今回は、ミアは自分が夜間に回る近道のかつての地図の一片を思い出せなくなった。狭い裏道の曲がり角の向こうにあった古い看板の文字列が、頭から消えてしまうように。咄嗟に困惑が走るが、目の前の戦闘がそれ以上の猶予を許さなかった。
敵の弾幕が激しくなる。聖締の術師が、装置の一部を遠隔的に同期させようとした。もしそれが成功すれば、位環の補助系が稼働し、味方の力が逆に縛られる。ミロは声を張り上げ、古い節を掠れるように唱える。それは完全な儀式ではない。ただ、装置の反応を遅らせるための急ごしらえだ。だがミロの術にも限界があった。彼は術を紡ぐたびに自分の内側から何かを削っていくようだった。彼の顔には線が一つ増え、目の奥には遠い海