王女騎士

王女騎士 第21話「第十九章 夜襲、そして代償」

城壁の向こう、王都は炎と鉄の匂いに包まれていた。灯が消え、塔からは黒煙が立ち上る。地図の上で緻密に引かれた補給路は無秩序に切り裂かれ、街路は瓦礫と死人と叫びで塞がれている。ミアは目の前の混沌を、前世の夜間巡回と同じようにひとつずつ潰していくしかないと知っていた。目的はただひとつ――位環の制御室へ到達し、そこで何としても装置の完全起動を阻むこと。

城壁の向こう、王都は炎と鉄の匂いに包まれていた。灯が消え、塔からは黒煙が立ち上る。地図の上で緻密に引かれた補給路は無秩序に切り裂かれ、街路は瓦礫と死人と叫びで塞がれている。ミアは目の前の混沌を、前世の夜間巡回と同じようにひとつずつ潰していくしかないと知っていた。目的はただひとつ――位環の制御室へ到達し、そこで何としても装置の完全起動を阻むこと。

「配置はこうだ。リサは医務班をこの路地に。カエル、北塔を押さえて。エリナは私と一緒に主通りを突っ切る。サイム、裏口の役割を頼む。ミロは……儀を頼む。タイミングを合わせる」

言葉は短く、明確だった。前世の職業が鍛えた指示は、戦場で混乱を最小限に抑える。だが、耳に届くのは敵味方入り混じった足音と、どこか遠くで歪むように震える人々の奇妙な呻き。位の揺らぎが、この夜の戦いを異様なものにしていた。兵士が突然力をなくし、火が燃え盛る一角では数人の動作が急に早まる。たかが局地戦、されど地球規模を変えかねない装置を抱える都を突くという事実が、全員の胸に重くのしかかる。

先陣を切って進むのは、いつもの通りミアだった。薄暗い路地を抜け、石畳の開けた広場に飛び出す。広場では敵の哨戒隊が二列に並び、火槍で待ち構えている。ここを突破しないと、制御室のある下層区画へ続く古い下水路の入口へ到達できない。

槍列が押し寄せる。カエルの号令と共に味方の突撃が衝突し、金属がぶつかる音が夜空に割り込んだ。味方の一隊が切り崩され、悲鳴が上がる。リサが叫ぶ。「負傷者が多い、止血が追いつかない!」

ミアは即座に判断した。前線を止めれば突破は絶望だ。彼女はエリナに近づき、小さな徽章を掴んで握らせた。徽章はひんやりと、古い金属の匂いを放つ。だが今はそれが象徴以上の意味を持つことを、誰もが少しずつ理解し始めている。

「守る、エリナ・ヴェル」

ミアが声に出し、エリナの名を呼んだ。二人は互いの手に触れ、ミアは自分の徽章をエリナの掌に押し当てた。近接、言葉、触れ合い――盟誓の三条件が満たされる瞬間、薄紅の光が二人の掌から跳んだ。

次の瞬間、エリナの瞳は一瞬だけ遠くを見た。彼女の胸を貫いた鋭い痛みがふっと消え、代わりにミアの体に冷たい波動が走る。周囲の視界が縁取られるように光り、ミアは自分の身体に何かが流れ込むのを感じた。心臓の奥で、年輪の一つが刻まれるような微かな重み。恐怖や痛み、まばゆい血の感覚――それらが自分の中に移入されてくる。

「――っ!」

ミアは呻き、かろうじて膝を曲げて耐えた。彼女の口元には血がにじんでいる。だがエリナの肩は楽に下り、目の奥に決意の炎が宿る。

「大丈夫か?」

エリナが心配そうに訊ねる。ミアは右手を見た。掌の甲に細い刻印が浮かんでいる。それが盟痕だと直感で分かった。小さな光の割れ目が、以後そこが狙われる弱点になると警告しているようだった。

「……大丈夫。行くわよ」

答えは手短に。年齢が一歳分進むという感覚は、じわりと髪に混じる白を思い起こさせる。ミアはすでに複数回、盟誓を使っていた。代償は累積していた。

広場を抜けると、別の悲鳴が響いた。味方の一隊が罠に嵌められ、鉄の網で押し潰されようとしている。負傷者が続出する。ミアは判断を下した。守るべきはエリナだけではない。前線ごと盾になれば突破が可能になる。

「守る!──隊長フランセス!」

ふたたび声を絞り出す。ミアは自らフランセスの手に触れ、徽章を彼女の胸に重ねた。光が走り、フランセスの顔から痛みが消える。だがミアの膝は震え、視界の端に突然見知らぬ子供の笑いが駆け抜けた。記憶の断片が切り取られていく感覚。名前、数字、香り、それが一つ、また一つと白紙になっていく。

「ミア、大丈夫か?」リサの声は遠い。ミアはその声に手を伸ばすこともできず、ただ自分の胸の虚ろさを確かめる。失われた記憶はいつ戻るとも知れず、選択の重みが冷たく舌先を刺す。

広場の突破は成功した。だがそこまでに、ミアの体は既にいくつもの盟痕で埋め尽くされていて、仲間たちの視線が痛かった。誰もが勝利の歓喜を味わう余裕は無い。彼らは、下層へと続く古い水道口へ向かっていた。そこが制御室へ続く最後の道のひとつだとサイムが調べていた。

「ここで終わらせるんだよ、ミア」

サイムの声は普段より低く、震えていた。彼は歩きながら書類を抱え、汗まみれの顔で仲間たちを見渡す。その目には、決意とともに諦めに似た覚悟がある。だがサイムは戦闘員ではなかった。彼は書記官だ。今、彼が前線に立っていること自体が既に異例だった。

「サイム、後ろを頼む」カエルが申し送りする。だがその顔は硬かった。サイムは首を振り、書類を握りしめた。

「ここは僕の仕事だ。あの扉は……一人で閉ざす仕掛けがある。外れない扉を外すには、内側からの解除が必要だ。ただしその解除は、生体の接続──最後の『鍵』として操作者の命を要求するようだ。古い記録にそうある」

皆の足が固まる。サイムの言葉は静かに、しかし確実に場の空気を変えた。

「そんな馬鹿な。書庫の伝聞だろう」ミロが呟いた。だがミロの手は徽章の欠片に触れ、指先が震えている。何か胸の中で古い糸が引かれ、彼は眉間に皺を寄せた。

サイムは笑った。短く、苦い笑いだ。

「もしそれが本当でも、ここまで来た。僕には――やるべきことがある」

彼は皆の方を向き、短く深呼吸をした。リサが顔を上げ、瞳を潤ませる。カエルは拳を握りしめた。エリナは静かに前へ踏み出し、サイムの掌を取った。

「あなたなら、きっと」

その言葉は励ましであり、別れの挨拶に近かった。サイムは手の中の一枚をエリナに渡す。それは王都の古い文書の写しで、扉の構造図と、解除の手続きが走り書きされていた。そこには一行、血で書かれたような古い注釈があった。『最後の鍵は、志を以て自らを鎖する者に宿る』――それが意味するものは、誰も口にしなかった。

水道入口の扉の前で、サイムは仲間たちを振り返った。顔には余生をすべて燃やすような決意が刻まれている。

「扉を開けて、皆を通してくれ。僕はここで留まる。文書はエリナに渡す。君たちが進む道を繋ぐんだ」

ミアは一歩だけ前に出た。彼女の中で言葉が激しくぶつかる。サイムは笑って手を差し伸べた。

「ミア、西島さん。君のやり方は正しかった。実務と現場で人を動かす、その力を信じていい。ここは僕の番だ」

ミアの胸を何かが締め付けた。彼女は口を噤み、ただ頷いた。盟誓の余力は少ない。サイムの眼差しに応えるため、彼女はできる限りの笑みを作った。

サイムは装置の前に座ると、古い解除パネルに手をかけた。彼は図面を取り出し、手早く古語の呪文のような合図を小声で呟く。やがて彼はナイフで自らの手首に浅い切り傷を入れた。血がぽたりと滴り、ゆっくりと金属の溝に落ちる。血は古い回路に触れ、微かに光った。サイムはその光を見つめ、暗い笑いを漏らした。

「王都の書記官として、最後に一つだけ正しいことをしたい」

その言葉のあと、ミアはサイムを引き止めようとした。だがカエルが荒く制した。誰もが、彼の選択を止められないと悟っていた。解除の儀式が始まると、古い魔術陣に似た電気が走り、扉の縁