竜相棒 第3話「第2章 守りの備え」
蒼は今、何をしたいのか。答えは揺るがなかった――ミオを治し、里を作る。だが現実は、そのために越えなければならない小さな壁で満ちている。物資、住処、見張り。何よりも、竜を傷つけずに守る術を覚えさせなければならない。
蒼は今、何をしたいのか。答えは揺るがなかった――ミオを治し、里を作る。だが現実は、そのために越えなければならない小さな壁で満ちている。物資、住処、見張り。何よりも、竜を傷つけずに守る術を覚えさせなければならない。
朝の薄曇りの中、蒼は古い長屋の一室を見渡した。藁の匂い、湿った木の匂い、薬革の匂い。床には裂けた布団と、ミオの寝床にした藁の山。ミオは寝返りを打ち、まだ浅い眠りのまま小さく鼻を鳴らす。背に残る包帯は乾ききっておらず、体の熱は徐々に戻りつつあった。
「今日は防御具の試作をやる。怪我をさせないで動かすための鞍と保護カバーを作るんだ」
イネスが手にした木片と革の端切れを掲げる。彼女の手つきは粗雑だが確かな仕事ぶりが滲んでいる。鍛冶屋の見習いというだけでなく、元軍人の妹として身につけた合理性が光る。
「武器じゃないんだな?」蒼は尋ねる。イネスは肩をすくめて笑った。
「うん。捕まえるなら捕まえても、傷つけるなって言ったろ。蒼のやり方、俺は嫌いじゃない」
ロルフは戸口に立ち、濃く焼けた皮の封筒を握っていた。彼の顔には夜の疲れと、いつでも消せない影がある。下級役人としての情報は重い。蒼はその一部を里に持ち帰ってもらったのだ。
「徴発隊は手順が決まってる。名簿、許可証、指定の標章を掲げている。言葉巧みに引き渡しを促すが、強制力は現場次第だ。倉庫での一時保管——そこまでは普通にやる。だが、鱗や魂石の扱いは別口だ。特別な器具で搬送し、専門機構に送る」
ロルフの声はゆっくりで、細かいところを抑え込むように話した。その説明の節々で、蒼の胸は締め付けられる。魂石という言葉は村の人間には粗末な燃料のように語られていたが、ロルフの言い方はそれが竜にとっての何かを意味するらしいことを示唆していた。
「要するに、こっちには時間がないってことだな」イネスが言った。蒼は頷く。
午前中は作業場の整理で過ぎた。古い木戸を外し、鱗が擦れても割れないクッションのような素材を作る。イネスは厚手の革と編んだ縄で、ミオの前肢や首を守る覆いを作った。村の大工と共同で簡易の監視台を組み、見張りを交代で配備する。村人たちも次第に手を貸してくれる。蒼は声をかけ、傷の手当てをし、小さな薬袋を配った。自分ができることは獣医としての手当だけだ。だがその手当が、竜たちへの信頼の基礎を築くと蒼は思っていた。
昼過ぎ、子供が駆け込んできた。表情が硬い。軍服の一団が外れた道を通って行ったと叫ぶ。徴発の小隊だ。彼らはまだ村に踏み入れてはいないが、足音は近い。
「陽動を考えるべきだ」ロルフがつぶやく。「郊外の道を焚き火で塞げば、彼らは回り道をする。だが本隊は別に来るかもしれない」
蒼は素早く指示を出す。監視役を二手に分け、村の子供と老人を安全な場所に誘導する。イネスには捕獲具の予備を持たせ、必要なら世帯ごとに分散させる計画だ。彼女は黙って頷き、眉間に力を入れた。
夕方になり、蒼はミオのそばへ戻った。小さな竜は伏せ、目を半分閉じてこちらを見る。蒼はポケットから銀の鈴を取り出した。アルマからもらった小さな鈴だ。金属の軽い冷たさが掌に伝わる。ミオはそれを見て頭を少し傾げ、指先で確かめる仕草をした。
蒼は心の中で、もう一つのことを確かめたかった。能力の条件は常に縛りだ。共鳴契は、同意と接触と一体のみ。蒼はミオと「契約」を交わしているが、身体の方はまだ回復途中である。今日、ミオは小さな擦り傷を負っていた。動くたびに痕跡が開いて血が滲む。ここで治療に打って出れば、里を守るために使える時間が増える。だが代償は確実にある。疲労、組織損傷の蓄積、そして寿命の微減。
「ミオ、治療する。いいか?」蒼は低く囁いた。言葉は人間同士の約束ではない。だが共鳴契は、言葉か印のどちらかが必要だ。ミオはゆっくりと蒼の手の甲に額を擦り付けた。そこで彼は、かつて目にした印のようなものを感じた――小さく、鱗が掌に触れた時に残された一瞬の熱。非言語の同意の形だ。蒼はそれを受け取り、手のひらを広げてミオの小さな鼻先を包む。直接の皮膚接触。それが二つ目の条件を満たす。
「わかった」蒼は自分に言い聞かせる。契約の再確認は短い儀式のように感じられた。ミオは目を閉じ、軽く首を振る。合図の印が交わされた——人間の言葉でなくとも、互いの意思は交わった。
掌から、いつもの冷たい感覚が体内へ広がった。術が走るたびに蒼は知っている。これは治療だが、同時に彼の身体を消費する行為だ。ミオの傷口に温かい圧が行き渡り、血はゆっくりと止まっていく。蒼は、鱗の下にある筋肉のねじれや、浅い骨のずれを感じ取って手のひらで繊細に整える。獣医としての技術が、共鳴を通じて拡張される瞬間だ。
治療を終えた時、蒼は大きく息を吸った。背中に冷たい痛み。掌に小さな痺れ。短時間の記憶の薄れはまだ来ていない。ただ、呼吸が浅くなり、筋肉が重い。イネスが手伝ってくれた包帯をしっかりと結ぶ。周囲の人々はほっとした顔を見せるが、彼女の目は心配そうだ。
「無理をしたな」イネスが言い、蒼の肩を軽く叩いた。彼女の手は温かかった。蒼は笑おうとしたが、唇が少し震えた。
その夜、若い農夫の小屋へ負傷した雌馬が運ばれてきた。飼い主は顔面をこわばらせ、何とか助けてほしいと頼み込む。蒼はその馬を診た。浅い切り傷と疲労。人間なら簡単な縫合で治るだろう。だが、心のどこかで彼は躊躇していた。共鳴契は一体とのみ結ぶことができる。ミオとの絆はまだ重い。ロルフが隣で覗き込み、言葉をかけた。
「試してみるか?」
蒼は手を伸ばしたが、何かが止めた。ルールは明確だ。彼は既にミオと結んでいる。もう一体と同時に契約はできない。もしそれを試して人間を助けられるとしても、ミオとの結びつきを危うくする賭けはできない。蒼は馬の手当を普段の手技で済ませ、薬草を縫い合わせることにした。獣医としてできる範囲はまだある。
だが、その晩、蒼は初めて契約の代償をより強く感じた。寝返りを打つと、胸の奥が針で刺されるように痛んだ。筋肉の繊維が断たれたような倦怠が襲う。掌は赤くヒリヒリする。彼は体を起こしてランタンに手をかけ、書き物をしようとした――里の監視表、物資の一覧、防衛計画。だが紙を見つめると、昨夕書いたはずの一行がまるで他人の筆跡のように見えた。直近一日の出来事が、手の中で揺らいでいる。
「ああ……」蒼は低く呟いた。記憶の欠落だ。これが契約を使ったときの最初の代償の一つだと、彼は知っていた。だが実際にそれを体験するのは別の重みがある。彼はミオの小さな顔を思い出そうとして、どうしても夜の細部の一部が欠けていることに気がついた。ミオの目の色、昨夜話しかけてくれた村の老女の名前、ロルフが渡した小さな破片の名――そうした些細なものが霞んでいた。
翌朝、蒼はその喪失を胸に抱えたまま作業を続けた。ロルフは蒼の様子をじっと見つめ、短く言った。
「代償の代わりに何かを得た。だが忘却は厄介だ。記憶が薄れると、人は自分の目的を見失いかねない。だから計画を文書化しておけ。仲間に頼るんだ」
蒼は頷いた。彼は既に仲間に頼っていた。イネスの腕、ロルフの情報、村人の協力。それでも、彼の