竜相棒

竜相棒 第20話「第十八章 鐘鳴りの代償」

蒼は冷たい金属の床に膝をつき、手のひらで銀の鈴を包んだ。塔の地下、機械の鼓動が低く伝わる。空気は油と古い電気の匂いが混じり、どこかで魂石の歯車が擦れる音がする。塔の奥、分離機構の幾重にも組まれた輪が不穏に震えていた。

蒼は冷たい金属の床に膝をつき、手のひらで銀の鈴を包んだ。塔の地下、機械の鼓動が低く伝わる。空気は油と古い電気の匂いが混じり、どこかで魂石の歯車が擦れる音がする。塔の奥、分離機構の幾重にも組まれた輪が不穏に震えていた。

「時間がない」イネスが低く囁く。刃ではなく鉄槌を背負った彼女の姿に、いつになく冷徹さがあった。ロルフは薄暗い図面を手に震えている。アルマは無言で蒼を見つめ、古い言葉の断片を唇で繰り返していた。

ミオは蒼の足元に丸くなり、鱗に銀の鈴が触れている。子竜の瞳はいつもの好奇心とは違い、静かな決意が宿っていた。

蒼はゆっくり息を吐いた。器官の奥が軋む。これからやることは、これまでのどの治療とも違う。獣医としての手順も、医術の常識も、ここでは役に立たない。選択は一つしかなかった。

「ミオ、聞こえるか?」蒼は鱗に触れる。共鳴契は同意が不可欠だ。口頭でも印でも、相互の意思表示がなければ開始できない。ミオは小さく鳴いて、前足で蒼の手を軽く押した。それが彼女なりの「同意」の印だった。

「行こう」蒼の声は震えたが、揺らがない。彼は手首の裏に古い火照りを感じる。これまで何度も共鳴契を用いてミオの傷を癒し、仲間を助けてきた。そのたびに直近の記憶が霞み、体に微かな切り傷が残り、寿命が削られていった。今回は——違う。今回の狙いは塔の制御を一時的に奪うこと。銀の鈴は古代の伝達器具だ。アルマの言葉を借りれば「竜と竜を結ぶ鍵」。それを介して、ミオの心を経由させ、塔の竜語回路に干渉するつもりだった。

「蒼、覚悟はあるか?」ロルフが問うた。彼の声には後悔と期待が混じっていた。蒼はただ頷く。覚悟というより、義務だった。

「同意は得た。触媒もある。だが、これは——」蒼は言葉を切った。禁じ手を繰り出すつもりはない。相手を殺傷するための支配は絶対にしない。だが使う度に寿命が削れるという代償は、今回限界を超える可能性がある。アルマはそれを知っていて、蒼を促している。ロルフも承知のうえだ。仲間全員がその重みを受け止めていた。

ミオが鈴に鼻を擦りつけた。鈴は冷たく、磨かれた表面に古い紋様が浮かんでいる。蒼はそっと唇を寄せた。皮膚接触は初回の条件だったが、今回は触媒を介した拡張だ。だが同意がある以上、法の境界は守られている。彼は自分を納得させるように、ミオの意思の確かさを確かめる。

「行くよ」蒼は言い、共鳴契を起動させた。心に触れる。その感覚はいつもと似ている。温度と鼓動、幼い好奇心が波紋となって広がる。だが今回は、その波紋が更に深く、金属の冷たさを介して外へ跳ね返る。

ミオの心が開かれ、銀の鈴に触れた瞬間、鈴が高く澄んだ音を一度だけ鳴らした。音は塔の壁を震わせ、古い回路に微かな反応を呼ぶ。蒼は驚いた。鈴の音が、塔の竜語回路に呼応したのだ。アルマの顔に小さな笑みが走った。彼女は蒼の耳元で低く囁く。「刻み込みは始まった。あとは意志で導け」

だが導くのはミオの意志だ。蒼はその一点を常に忘れなかった。彼はミオの心と自分の心を紡ぎ、銀の鈴を媒介にして塔へ触れさせる。ミオは鱗越しに鈴を通じて古い網へ声をかける。古の竜語が、金属の間を伝播する。塔は反応した——だが抗う。

塔の防壁は、機械と人の結合で出来ていた。竜語回路は封じられ、無断の共鳴を許さないための反応回路が備えられていた。蒼はその抵抗を直に感じた。押し返す力は冷たく研ぎ澄まされ、まるで鋼の歯で心を噛まれるような痛みが胸に走った。

「耐えろ、ミオ!」蒼は声を張った。だが声は自分の体から遠くへ消え、耳鳴りに変わる。代償が即座に始まったのだ。最初に訪れたのは視界の薄まり。直近の出来事が、写真の端がぼやけるように消えていく。昨日までの小さな会話、朝食の匂い、イネスが渡してくれた懐かしい布の折り目——それらが線香花火のように散る。

次に体の疲労が牙を剥いた。蒼の手が痺れ、膝の軟骨が火を噴くように疼いた。過去の小さな負傷が急に痛み出し、古い縫合跡が引きつる。彼は床に爪を立て、息を吸おうとしたが空気が重い。アルマが時折、古い竜語の節を呼び、ミオの意思を助ける。ロルフは機械の配線盤で手際よくレバーを引き、塔の局所的な電路を切り替えようとする。イネスは周囲の扉に目を配り、侵入してくる防衛隊を押さえつける。

共鳴は深まった。銀の鈴は波長を合わせ、ミオの心に宿る幼火のような呼び声が、一度に多くの竜の痕跡に触れた。塔の内外、魂石に繋がる回路が瞬間的に乱れ、機械のいくつかがギクシャクと止まる。吐息のような蒸気が一斉に漏れ、回転する歯車が軋む。ロルフの眉が吊り上がった。彼は小さく叫ぶ。

「止めた! 一部だが止められた!」

歓声には程遠い。蒼の身体は崩れ落ちるように重くなる。胸の奥が冷たく引き裂かれる感覚。腕の内側に、細かな血管が破れるような刺す痛み。組織が損傷する。脚の付け根に古い亀裂が広がり、皮膚の下で何かが乾いた音を立てる。蒼は目の前の光が突然オレンジ色に溶けるのを見た。記憶の一部が、根こそぎ消えていく。

「蒼!」イネスの声が遠ざかる。彼女の手が顔を掴んで揺らす。蒼は必死に顔を見上げる。見覚えがあるはずの顔が、どこか遠い。彼の心の中で、イネスが初めて鍛冶屋の店先で叱った日の光景が、まるで他人事のようにぼやけていた。彼は己が何者であるかを掴み損なう感覚に襲われた。

だが、ミオの小さな心は鮮やかだった。子竜の探究心は、砕かれることなく塔の回路へと伸びていく。ミオは古代の呼び声に合わせて、鈴を一層強く振った。銀の音が再び響き、今度はより粗野で太い振動が塔の中枢へ届いた。

機械の中心部で、魂石の流路を制御する弁が固まる。何千という小さな光が一度に白んで消える。塔内の複数のポンプが止まり、遠隔で連結された分離プロセスの一部が強制停止した。蒼はそれを体感として受け取った——機械の痛みが薄れ、動きが鈍る。それは勝利だった。

同時に、反撃が来た。塔の自己防衛装置が作動し、電磁の弾幕が地下室を埋め尽くす。鉄の板が閉じ、扉に重圧が加わる。蒼は衝撃で叫び、頭の中でまたいくつかの記憶が割れた。自分の名前の一部、子供の頃に飼っていた犬の毛並み、蒼が以前に握った一枚の写真の角——そうした断片が砂のようにこぼれていく。

アルマが駆け寄り、蒼の顎を支えた。彼女の手は温かかったが、その目は悲しみに満ちていた。「もうやめて、蒼。これ以上は——」

蒼は首を振る。彼はまだ行かなければならない場所があると感じた。塔の核心はまだ動いている部分があった。それが完全に止まらなければ、魂石の大量稼働は再開される。人々の痛みは続く。

「もう一押しだけ」蒼は呟いた。言葉は砂を噛むように掠れた。そこにはもう理屈はなかった。医者としての本能が、友としての責務が、蒼の身体を前へと押した。

イネスは歯を食いしばった。「無茶はするな! お前の体は限界だ!」

ロルフが顔を歪める。「公式文書がこれほどまでに——お前を失うわけにはいかない!」

だが仲間の抗議は、蒼の内側の声を止めるには足りない。彼はミオの鱗に再び触れ、鈴を耳元で揺らした。ミオは不安そうに目を細めたが、再び前足で蒼を押した。それは「行け」の印。

蒼は深く