竜相棒 第19話「第17章 鎖の腹の中で」
蒼は、今自分が何をしたいのかをはっきりと知っていた。塔の心臓部を見つけ、そこにある「分離装置」を止めること。片方ではロルフの示した古文書の意味を確かめ、もう片方では目の前で苦しむ竜たちをただ見捨てないこと──だが、同時に何をできるのかも知っていた。共鳴契は万能ではない。一度に一体。強制はできない。代償は確実に積み重なる。それでも目の前の檻の中で、細い鳴き声を漏らす竜を前に、蒼の手は震えていた。
蒼は、今自分が何をしたいのかをはっきりと知っていた。塔の心臓部を見つけ、そこにある「分離装置」を止めること。片方ではロルフの示した古文書の意味を確かめ、もう片方では目の前で苦しむ竜たちをただ見捨てないこと──だが、同時に何をできるのかも知っていた。共鳴契は万能ではない。一度に一体。強制はできない。代償は確実に積み重なる。それでも目の前の檻の中で、細い鳴き声を漏らす竜を前に、蒼の手は震えていた。
塔の地下。鉄と石と、古い魔導回路が吐き出す低い振動が腹の底を震わせる。蒼たちは薄暗い通路を進み、蝋燭の代わりに持ち込んだ小さな灯で足元の文字を拾った。ロルフは壊れかけの灯を掲げ、吐息で埃を飛ばすと、そこに複雑な図形と注釈が隠されているのを示した。
「これが……魂を切り分ける理論だ。魔導と工匠術の折衷。竜の“分霊”を石に引き寄せる。その代償が、ここで記されている」
ロルフの声は低く、歳月の重みを帯びていた。彼の目は、長年自分が関わってきたものを初めて他者にさらすような痛みを帯びている。
前方から、金属が軋む音。蒼たちは身を低くし、通路の角を回ると、薄暗い広間に出た。広間の中央には巨大な台座があり、そこに複雑なアームと導管が伸び、透明な結晶窯が複数連なっていた。結晶の中で、黒い粒子が蠢くように見える。近くの檻には、四、五頭の小型竜が拘束されていて、鱗が青白く輝き、薄い鱗片が装置の端子に触れていた。竜の目は半ば虚ろで、鳴き声は継ぎ接ぎのように途切れていた。
「魂石分離器……」アルマの声は震えながらも、何か確信のようなものを含んでいた。彼女は手に持った小さな薬瓶をぎゅっと握りしめ、指の関節が白くなる。アルマが自分の家系について語ったとき、蒼は驚いた。だが今、目の前でその言葉の一端が現実に変わる。
「止める方法はただ一つじゃない。破壊するか、ここから分霊を戻すか」ロルフが言った。「破壊すれば装置は止まるが、ここに繋がれた竜たちがどうなるか分からない。戻すには、誰かが分霊に触れて、竜たちと心を通わせる必要がある。──だが、それは大きな代償を伴う」
蒼は無意識にミオの方へ目をやった。ミオは小さな体を檻の金属にすり寄せ、だが蒼の姿を見つけると力なく尻尾をひと振りした。蒼は肘ポケットから、銀の鈴ではない、旅の間に集めた鱗片の小さな袋を取り出した。触媒は必要だ。皮膚の直接接触か、鱗・羽の触媒がなければ契約は成立しない。蒼は掌で鱗片を確かめ、冷たさとざらつきを感じた。
「同意が得られなければ何もできない」蒼は小声で言った。自分に言い聞かせるように。アルマがすっと近づき、彼の耳元で囁く。「彼らはまだ意識の端にいる。痛みで反射的に同意できないこともあるが、心の片隅に『帰りたい』という声がある。慈悲を示せ、蒼」
最初に手を伸ばしたのはロルフだった。彼は鍵をいくつか持ってきて、檻の一つを注意深く解錠する。檻の中の竜は小さく身をすくめ、歯をむき出してうなるが、伸ばされた手の匂いを嗅ぐと、微かな震えとともに目を閉じた。その瞬間、蒼は共鳴契の条件を思い出す。言葉か印での「同意」。彼は不意に言葉を探し、静かな声で囁いた。
「もしよければ……一緒にいる? 戻れるかどうか、僕に手伝わせてくれる?」
それは同意の言葉になったかもしれないし、竜の痛みがそう発声させたのかもしれない。だが目は開いた。竜は掌に顔を押し当てるようにして、小さな咆哮をひとつ吐いた。蒼は呆然とした。彼は言葉での同意の可能性を確認したのち、鱗片を竜の側面に当てた。触媒接触──触れた瞬間、世界が一拍遅れて吸い込まれるような感覚に襲われた。
共鳴は、温度で来た。竜の体内から直接伝わる熱と、苦痛の波、しかしその中に確かな切望が交じっていた。「帰る」という小さな光。蒼の意識はその光に寄り添い、彼らの間にある壁が薄くなる。彼は獣医としての知識で、筋肉の緊張、炎症、呼吸の乱れを幾重にも確かめながら、心から何をしているかを竜に伝える。薬理の手当てではない。心で触れる手当てだ。
契約は成立した。だが成立と同時に、身体に微細な裂け目が走るような痛みがあった。蒼の視野が一瞬ぼやけ、直近に起きた出来事が薄れていく。今朝飲んだ薬の味、ロルフが渡した古文書の末尾の一行――それらが薄紙のように剥がれていく。直近一日の記憶が薄れる。代償は即座に現れる。
「大丈夫か?」イネスが声をかける。蒼は手を強く握り、竜の側面を撫で続けた。竜の呼吸が整っていくのを感じる。結晶窯の中の黒い粒子が、かすかに淡く光を弱めた。装置の計器が揺れ、蒼たちの側へ小さな無秩序が波紋のように広がった。戻るという感覚が竜の体に立ち上る。
──だが、時間はなかった。
装置の奥から、金属音とともに足音が近づいてくる。警備の巡回だ。蒼は契約を切る前に呑み込まれるかもしれない。だが一体の竜を戻しただけでは不十分だ。装置の導管は複数の窯に伸び、分霊が連続的に吸われている。蒼は再び手を伸ばそうとした。
「蒼、待て」ロルフの声はひどく急いでいた。「一体ずつだ。ルールは変えられない。無理に複数を同時に──」
「同時にではなく、順にだ」蒼は言った。「だが、順にやれば――時間がかかる。警備が来る。ここで止めなければ、次の巡回で全てが抜かれる」
アルマが静かに近づき、懐から小さな古い札を出した。紙は黄ばみ、上に細い文字が並ぶ。銀の鈴の図形と同じ旋回模様が印刷されていた。アルマはそれを蒼に差し出す。彼女の瞳は真剣だったが、その奥に苦い影がある。
「私の一族は、かつてこの塔の周りにいた。私たちはここで何が行われてきたのを見た。導いたのは私の先祖の一部だ。私は、あなたを導いた。だが、あなたが払うものまで計算できたわけではない」アルマの声は低い。彼女は蒼の手を取り、その手の震えを確かめると、ほとんど囁くように続けた。「銀の鈴は通信の鍵だ。だが単体では不完全。誰かが心で紡ぐ必要がある。あなたなら、あるいは……」
言葉はそこで途切れ、背後で鉄の鎖がきしむ。警備隊が角を曲がり、蒼たちの存在に気付く。ランプが上がり、機械の一つが警戒色の赤に転じた。蒼は一瞬、選択肢の全てを眺めた。破壊すれば即時的な停止を狙えるが、繋がった竜たちに取り返しのつかない衝撃を与えるかもしれない。順次の共鳴で戻すには時間が足りない。一体ずつやれば彼らを救えるが、己が消耗していく。
蒼はポケットから小さな薬を取り出し、唇に当てた。手当ての合間に使う鎮痛剤だ。彼の身体はすでに、以前の戦いの残り火のような細かな傷で満ちている。共鳴のたびに、微細な組織損傷が蓄積していく。それを止める方法はない。寿命が削られるということも、誰かに強く言われたわけではない。だが彼は感じていた。胸の奥で、時間が蝕まれているのを。
「やる」蒼は小さく言った。「一体ずつ。順に。記憶が消えるなら、記録を残す。ロルフ、文書を。イネス、周囲を固めて。アルマ、私と一緒に来て。君の古い札は、その鎖を見つける手がかりになるかもしれない」
皆が無言で頷く。イネスはすでに鍛えた簡易拘束具を握りしめ、ロルフは古い写本を引き出しながら「記録する」と宣言した。アルマは蒼の肩に軽く触れ、短く息を吐いた。ミオは