竜相棒 第11話「第10章」
朝靄の残る村道を、蒼はぎこちなく歩いていた。肩にかけた布袋の重みは資料の束のせいだ。まだ体内に残る鈍い痛みが、昨夜の王都からの逃亡が自分の身体に刻んだ痕だと告げる。指先にはかすかな燃え跡のような冷たさがあり、そこに触れるたびに直近の記憶がふわりと薄れていく感覚が戻った。これが「代償」だと自分は知っている。だが、他にやり方はない。
朝靄の残る村道を、蒼はぎこちなく歩いていた。肩にかけた布袋の重みは資料の束のせいだ。まだ体内に残る鈍い痛みが、昨夜の王都からの逃亡が自分の身体に刻んだ痕だと告げる。指先にはかすかな燃え跡のような冷たさがあり、そこに触れるたびに直近の記憶がふわりと薄れていく感覚が戻った。これが「代償」だと自分は知っている。だが、他にやり方はない。
集会所には既に数人が集まっていた。イネスは作業着のまま、鍛冶の作業手袋を片手に座っている。ロルフはいつものように重い書類の束を胸に抱え、目はどこか遠くを見ていた。村長の顔は緊張で硬い。村人たちの視線が蒼へ寄る。彼らには、蒼が王都で何を掴んだかを知りたいという期待と、同時に不安が混ざっている。
「ど、どうだったんだ、蒼さん――」と村長が口を開く。蒼は深く息をつき、布袋から紙を取り出す。見開いた書類には輸送記録、竜具院の印影、そして、王都側の正式な許可書の複写が含まれていた。魂石の入出庫票。貨物の宛先一覧。文字は冷たい官文書の体裁を保っている。
「これが、私が持ち帰ったものです」静かに言って、蒼はひとつひとつ指で示した。「魂石の集積ルートと、竜の個体情報のリスト。王都のセンターへ送られた記録が明確に残っている。――そして、この銀の鈴の刻印も、王都の旧診療録の見開きと一致しました」
銀の鈴を胸にあてる。馴染んだ金属の冷たさが、かつての夜の森の匂いを呼び戻す。だが、同時に頭の奥で一日の出来事がふっと抜け落ちる。それは、まるで記憶の本の一枚が波にさらわれるような感覚だった。「契約の代償」であることを、蒼自身がいちばん深く知っている。
「王都が、魂石を公共インフラに組み込んでいるってことか」イネスが低く呟く。彼女の瞳は怒りと疑念で燃えていた。「つまり、あの石で街の明かりを灯し、機械を動かしてるんだな。だったら……簡単にはやめないだろう」
「やめさせるべきだ。倫理的に、許されることではない」ロルフが呟いた。声には震えが混じる。彼の手が、小さな書類を差し出す。その表面はかつて彼が署名した処理手続きの写しだ。ロルフの目が潤んでいるのがわかった。「――私が書いた。これを、消すことはできない。だが黙っていることはもうできない」
その言葉に、集会所の空気が一瞬止まった。ロルフは——竜具院に身を置いていた過去を、本当にここで告白するつもりなのだ。蒼はロルフの顔を見る。そこにあるのは罪悪感と、救いを求めるような決意だった。蒼の記憶がひととき薄れる。ロルフがどの部署にいたか、具体の人名がぼんやりする。それは自分の代償の結果であり、苛立たしい弱さでもあった。
「言ってくれ、ロルフさん。何をしたのか、何を見たのか」蒼は言葉を繋いだ。しかし、声にはかすかな震えが混じる。自分が完全な説明を求める資格があるのか、わからなかった。代償は行動のたびに来る。いま説明すべきだが、同時にそのたびに自分の記憶の一部が薄れる。理性と職業倫理が互いにぶつかる。
ロルフは首を振り、ゆっくりと語り始めた。「書類はこういう目的で使われた。竜の個体識別を法的に登録し、魂石を分離する手続きの正当化に使った。分離施設の稼働記録もここにある。私は、始めは法の下の仕事だと思っていた——国の発展のため、と。だが、実態は……奴隷化だ。竜の苦痛を見た。私も署名した。それが、私の罪だ」
彼の言葉は静かだが、重かった。集会所の誰もが言葉を失った。蒼はロルフの手を取った。ロルフの指先は震え、書類の端が滲む。蒼は彼の告白を受け止めることで、仲間の信頼を深めるしかないと知っていた。
「だから、私にできることはこれだ」ロルフは袋から別の紙束を取り出し、蒼に差し出した。「王都に残っていた記録の写しだ。ここには、魂石の収集先、出荷量、そして名前まで。公にできれば、王都を動かせるはずだと考えた。けれど、――公開には大きなリスクがある。私の名前も、この中にある」
蒼はそれを受け取り、身体に伝わる疲労を感じた。頭の中の一部がまた薄くなる。昨夜の王都での駆け引きの詳細が、煙のように消えかける。だが、彼は彼なりのやり方で行動する決意を固めていた。暴力でなく、法と証拠で。自分が最後に信じていたものは、獣医としての倫理と、証拠に基づく説明責任だった。
「私たちで、証拠を整えて訴える。法的な手続きを踏む。村が孤立しないように、まずは隣郡や周辺の自治体、学者や教会の支援も求める。非暴力で制度を変える道を探ろう」蒼は声を震わせながらも力を込めた。「それが、私の選ぶ道だ」
村人の中に小さな拍手が湧いた。イネスは蒼の横で拳を握った。だが、喜びは長くは続かなかった。村の外から、役所の使者が到着したという知らせが来た。竜具院の存在が直接的に絡む問題となると、地方の権力構造は一枚岩ではない。使者は簡潔に告げた。
「王都からの通達です。あなた方の活動は地域秩序に反する可能性がある。証拠の提示は慎重にせよ。無用の騒動を避けるため、これ以上の公的抗議は差し控えられたい」
役所の人間の言葉には穏やかさの仮面があったが、眼差しは冷たい。村人たちの表情が落ちる。経済的な圧力や脅しが日常の土台にあると分かれば、行動は途端に重くなる。
「私たちがここで公に闘うと、村が標的にされる。商人も畜産も、魂石に依存している者たちは黙るだろう」村長が苦渋の面持ちで言った。「我が村が餓死線に追いやられることになる。蒼さん、どうしますか」
蒼は答えを持っていた。だが、答えの重さは増していた。彼は手元の書類を開き、アルマから先日渡された薄い封筒を取り出す。封筒には古い紙が一枚入っていた。そこにはかつての獣医団の名簿の一部と、古い住所が書かれている。アルマの字はよく知っていた――計算高くも温かい筆跡だ。アルマはこの村で薬を売り、蒼に竜用の薬を渡した行商人であり、同時に王都にコネクションを持つ者でもあった。
「彼女がくれた」と蒼は言った。封筒の中にある手紙は短い。『王都で会える者の名を示す』というメモと、銀の鈴の刻印が旧記録に出ることを示す一行。アルマは薄く笑っていたが、その目は本当に何かを知っている者のものだった。
「王都へ行け、というのか?」イネスが眉を寄せる。彼女の声には不安と怒りが混ざる。「ここで踏みとどまらないで、なのか?」
「王都での公開は、村にとって大きな賭けになる」蒼は言った。「だが、ここだけで戦っていては何も変わらない。ロルフさんがくれた資料を公開する相手が必要だ。法や公開の場がなければ、ただの反逆と見なされる。私たちなら証拠を整理し、公式の手続きを踏めるところまでやるべきだ――ただし、確実な支持を得てからだ」
その言葉に、村中の目が集まる。支持。法的な道具立て。だが最も重要なのは、証明と同意だった。蒼は、自分の能力のルールを自然に思い出した。人々に説得するのに、彼は自身の行為が強制ではないこと、共鳴契が相手の意志を奪わないことを示す必要があった。共鳴契は同意が必須だ。皮膚接触か鱗・羽などを触媒にすること。契約は一体としか結べない。人を殺傷する目的には使えない。法的証拠には使えない——その最後の禁止は、よく言えば能力の倫理的限界を明確にするものであり、悪く言え