竜相棒 第10話「第九章 王都の影」
王都の門は、思ったより冷たかった。石畳に落ちるソウル・ストーンの灯りが、まるで生き物の瞳のように瞬いている。その光を浴びると、どこか遠いところにある獣の呼吸が聞こえてくる気がした――だがそれは蒼の気のせいではない。街全体が、竜の力を糧にして息をしているのだ。
王都の門は、思ったより冷たかった。石畳に落ちるソウル・ストーンの灯りが、まるで生き物の瞳のように瞬いている。その光を浴びると、どこか遠いところにある獣の呼吸が聞こえてくる気がした――だがそれは蒼の気のせいではない。街全体が、竜の力を糧にして息をしているのだ。
「蒼、顔色悪いぞ。大丈夫か」
肩越しにロルフの声。ロルフは人混みを器用に縫いながら、古い役人の身なりをほどこした布に身を包んでいる。彼の目は、相変わらず神経の切れ端を探るようだった。蒼は深呼吸して、肩にかけた診療袋をぎゅっと握った。
「大丈夫だ。ただ……ミオの顔が浮かんでしまって。あいつ、今頃どうしてるか」
「心配するな。里はまだまともな連中が見ている。お前の仕事はここで事実を掴むことだ。里を守るには、まず王都の仕組みを知る必要がある」
ロルフは低く言った。彼の声には昔の背広の匂いが残っている。蒼はそれを頼りに、気持ちを切り替えた。目的ははっきりしている。獣具院の構造、魂石の流通経路、そして――銀の鈴につながる痕跡を探すこと。里に持ち帰れる確かな証拠が必要だった。
街角を曲がると、市場の喧噪が押し寄せてきた。露店に並ぶのは乾草や鞍、潤滑油、そして小さな金属の筒――どれも竜に関わる道具類だ。高架の軌道を使う荷竜が下へ降りてきて、そばの商人が慌てて荷を下ろす。竜の甲羅に残る焼け跡、鱗の縁に並ぶ小さな欠け。蒼の獣医の目は、無意識のうちにそれを拾い上げる。
「見ろよ、あの鱗。燃焼跡だ。魂石の熱で削れたような痕じゃないか」
ロルフが小声で指摘する。蒼は頷いた。実物を前にすれば、知識は言葉にならなくても現れる。だがここで蒼の胸を締めつけるのは、もうひとつの制約だ。共鳴契――ミオとの契約が一つだけ、という掟。彼はミオに心を寄せたまま、別の獣に触れられない。
「あの竜、具合悪そうだな……触れたい。でも、できない。僕は一体しか契約できないんだ」
蒼は小さく呟いた。ロルフは理解したように黙る。新しい力の存在は、彼らの行動を制限していた。蒼は獣医としての本能で、そこにいる傷ついた竜に手を差し伸べたかった。しかし今は、観察と記録が仕事だ。契約を増やせば、ミオを失う可能性がある。代償を何度も味わい、寿命が削られる覚悟はまだない。
二人はあらかじめ調べ済みの、古い獣医団の下部診療所へ向かった。表向きは公営の簡易診療所だが、記録の保存場所が裏にあるとロルフは言っていた。門は小さく、管理人の目は節穴のように粗末だった。偽造の名札をロルフが差し出すと、管理人は一瞥して黙って通した。役人の顔を見慣れた者同士の、無言の了解だ。
待合の空気は消毒薬と古紙の匂いが混じっていた。蒼は周囲の獣をちらりと見る。おとなしい荷竜、怯えた角獣、箱に詰められた若い竜の胚――どれも日常品の一部のように扱われている。蒼の胸には釘が打たれたような痛みが増したが、彼は作業に集中した。
「奥へ行け。古い録は地下にある」
ロルフが小さく囁く。受付の婦人は歳をとっていて、彼らの名札をちらと見てうなずいた。階段を下りると、そこは薄暗い倉庫のような書庫だった。木箱、巻物、油染みのついた帳面が整然と積まれている。蒼は手袋をして、埃を払うように古い診療録をめくった。
紙の間から出てきたのは、なるべくしてそこに残されたような記録だった。疫病の報告、負傷の検案書、竜の出荷記録――そして小さな焼き印。蒼の指先が止まる。焼き印は見覚えがあった。ミオの首にぶら下げていた銀の鈴の裏側。あの鈴の刻印と、ここに押されている印影が同じだった。
心臓が跳ねるのを感じた。蒼は読み進める。古い巡検録に、ある文言が繰り返し出てくる。「調整」「分離」「検収」。そこには魂石の試験的使用に関する注記も混じっており、担当者の署名の傍らに小さな印章——銀の鈴と同じ模様が押されていた。
「ここに……ある。銀の鈴の刻印だ。里で使ってるのと同じ模様だ」
蒼は低く呟いた。ロルフが近づいて顔を覗き込む。二人の間に意味のある沈黙が落ちた。これが偶然の一致でないことを、二人とも直感していた。
「これが王都の公式記録に紐づいている。印を持つ連中は、ただの民間の商人ではない。竜具院に繋がる筋だ」
ロルフはそう言った。声は静かだが、確信が滲んでいた。蒼は拳を握りしめた。証拠が見つかった。銀の鈴が古い通信網の一端を示している可能性が出てきた。だがそこで足元の音が変わった。遠くから規律だった足音と低い命令が聞こえる。
「検査官がまわってきたようだ。お前ら、そこにいるのを知られてはならない」
ロルフの顔が硬くなる。廊下の方から、制服の金具がきらりと光った。蒼は胸が騒ぐのを抑え、診療録をそっと箱に戻した。だが、彼らの存在はもう薄い糸で結ばれた注意の先にあった。受付の婦人が振り向き、目を見開く。扉が勢いよく開き、見慣れない黒い徽章を付けた男が二人、顔を突っ込んだ。
「何をしている、そこで。許可証を提示しろ」
首長のような声。彼らの胸に刺さった徽章は、竜具院のものに似ている。蒼の体が一瞬固まる。ロルフが言葉少なに前に出る。
「こちらは、地方の獣医団。定期巡回の記録の確認です。書類は外にあります。早合点しないでくれ」
ロルフの声は落ち着いていたが、相手はそれで退かなかった。黒い徽章の男は、まるであらかじめ決まっていた答えを探すかのように、ロルフをじっと見つめる。やがて薄く笑いを含んだ声が返った。
「ロルフ・カルネス……元竜具院下席。面影はあるが、お前が何のためにここにいるかは見え通っている。檻の中にいる癖を、なお持っているのか」
蒼の血が冷たく流れた。ロルフの顔色が一瞬変わる。彼の目に、かつての職務の影が走る。蒼は混乱を抑えながら、周囲を見る。受付の婦人は顔を伏せ、他の職員は固まっていた。どうやらロルフの過去はここでも通じるらしい。黒い徽章の男の手には小さな手帳があり、そこから先ほど蒼が見た印章の控えが覗いていた。
「許可を。ここにいる理由を明らかにしろ。隠し事を許さない」
男の眼差しは冷たかった。ロルフは一瞬目を閉じ、そしてゆっくりと言った。
「私だって、過ちを隠してはおれぬ。だがここで騒いでは真相は闇に消える。蒼、今だ。奥の資料室に行け。石碑の破片があるはずだ。持ち出せるなら持ち出せ」
蒼は一瞬戸惑った。ここで露見すれば、里の安全を脅かすだろう。だがロルフの言葉の裏にある覚悟が伝わってきた。蒼は医者の習性で、記録を残すことの重要性を知っている。証拠がなければ、説得も変革も始まらない。彼は首を縦に振ると、ロルフとは反対の方向へ走った。
内部の書庫は思ったより複雑だった。地下へ続く狭い通路、古い地図、石造りの棚。蒼は手袋をはめ、息を殺して歩いた。足音が近づく。黒い徽章の気配が廊下を埋める。蒼は心臓を押さえながら、石の壁に掛けられた古い石板を見つけた。それは一部が砕けていて、欠片が床に落ちている。
彼はしゃがみ、欠片を拾った。表面には薄く、だが確かな刻印があった。銀の鈴の模様と同じ渦と羽の紋様。蒼の指先が震える。これだ——これが倉の石碑破片だ。彼は片手でそれを抱え、そっと衣の中へ押し込もうとしたが、重さがある。も