村勇者 第9話「第8章 徴発所襲撃」
夜は冷えて、足音が雪のように地面に沈んだ。月は薄い雲に隠れ、村外れの道には低い霧が流れていた。誠は息を整え、先頭を行く大村清の背中を見据えた。茜は脇で小さな袋を抱え、その中には彼女が打ち付けた簡易の栓や、短時間で放熱を抑えるための薄い鉄板が入っている。リオはいつもの軽やかな足取りで塀の間を滑り、徴発所へ通じる夜道を示した。
夜は冷えて、足音が雪のように地面に沈んだ。月は薄い雲に隠れ、村外れの道には低い霧が流れていた。誠は息を整え、先頭を行く大村清の背中を見据えた。茜は脇で小さな袋を抱え、その中には彼女が打ち付けた簡易の栓や、短時間で放熱を抑えるための薄い鉄板が入っている。リオはいつもの軽やかな足取りで塀の間を滑り、徴発所へ通じる夜道を示した。
「夜襲で行けるのはここだけだ。連中が油断している時間帯だ、誠、茜は倉の扉を外してくれ。リオは見張りの位置に付け」と大村が低く呟く。村長の声は穏やかだが、その目は狩人のように冷えていた。
誠はうなずいた。心の奥にあるのは、静かな怒りと冷ややかな計算。徴発所に送られる青い札や、若者たちの名前を列挙した帳面。彼らが持ち去ったものの数々を取り返すためなら、夜を割るのも厭わない。だが、彼には守るべき掟がある。能力――護村の焔はここ、村の範囲内でしか使えない。使うには「護られる者」が明確に存在し、棒を地面に突き立て誓いを唱える。誠はそのすべてを反芻しながら、今夜の動きを選んでいた。
徴発所は思ったよりも人手が少なかった。領主の家臣は粗末だが厚手の革鎧を着込み、火の気配は倉の奥にあった。リオが小窓から差し込んだ懐紙を渡す。中には倉の見取り図と、見張りの交代時間が書かれていた。会話は小声で、指示は短い。
茜は薄い鉄板を扉の蝶番に滑り込ませ、二人で押し開けると、空気が変わった。倉の奥は青白い光で満ち、積まれた袋の間に小さな結晶片が並べられていた。青い札――その紙に埋め込まれた結晶の欠片が、淡く脈打つ。香りは無く、ただ冷たく澄んだ光が、倉の空気を削るようにしていた。
「これだ。ここにある」リオの指先が震えた。誠は袋を抱え上げ、音を立てないように体を屈める。袋の中身は予想より重く、結晶片の端が薄く光っていた。誠はそれを包み込み、布で覆うとすぐに胸元にしまう。
だが、不運はいつも二枚目のカードを引く。倉の奥で裂帛の叫びが上がり、一人の家臣が火のように走り込んだ。彼の後ろから、影が這うように現れた。小さな魔物──犬にも猫にも似つかぬ夜行性の捕食者たちが、藍色の瞳を光らせて身を翻す。彼らは結晶の匂いに呼ばれ、集団で押し寄せて来た。
「外へ! 外へ持ち出すんだ!」大村が命じる。だが退路は狭く、家臣が叫び声を上げ、倉戸は瞬く間に混乱の渦になった。誠は体が自動的に反応する。消防士だったころの訓練が、夜襲の緊張で研ぎ澄まされる。バケツリレーの感覚、風下に回る距離、炎が回りやすい死角の存在。魔物は炎では死なないが、熱と光に弱さを見せる。誠は倉の古い松板を素早く引き抜き、遮蔽を作りながら仲間を押し出した。
「ここまでにしよう!」誠は大村に合図を送る。袋を抱え、茜とリオと共に暗闇へ飛び出した。だが騒ぎは外にも伝わる。家臣の叫び、魔物の鳴き声が合わさり、村の外からも闇を裂くようなうなりが近づいてくる。結晶片の振動が空気を震わせ、地面に小さな亀裂のような影を作り出していた。
「引け、誠! 早く!」茜が叫ぶ。誠は走る。だが走りながら、ある事実が彼の胸を締め付ける。護村の焔は村範囲内でしか使えない。今ここで仲間や徴発所から連れ出した人々を守るには、彼を村境の近くへ戻さなければならない。引き返す時間は限られている。リオは袋を抱え、息を切らせて地の道を駆けた。大村は荷物の大半を棄てて、村へと方角を取り直した。
「村境まで、あと三十歩だ」誠は走りながら計算する。守られる者を明確にしなければ、護村の焔は起動しない。彼らは徴発に連れ去られる寸前の農夫や、倉に拘束されていた数名の村人を見つけ、引きずるようにして連れ出した。そのうちの一人が、走る途中で呆けたように手を止め、何かを忘れたような目つきで誠を見た。誠の胸が凍る。だが後戻りは許されない。
村境の石垣が見えた。月の光がそこだけ淡く照らしている。誠は地面に棒を突き立てた――古びた火かき棒。冷たい土に先端が食い込み、木の手触りが彼の掌に馴染む。周囲の空気がしなり、まるで息を呑む。
「護る。鶴見村と、ここにいる者を護ると誓う」誠は低く誓いの言葉を唱えた。声はかすれない。彼は三つの条件を頭に刻み、守るべき者たちを一人一人名前で呼び上げる。恐怖で固まった農夫、泣きじゃくる娘、震える老人。彼が呼ぶことで、「護られる者」は明確になった。
火かき棒が震え、地面から柔らかな炎の環が立ち上がった。だがそれは、ただの炎ではなかった。空気に膜が張られ、青白い保護の層が円形に広がる。魔物が触れようとすると、皮膚が熱く燃えるかのように後ずさり、音を立てて弾かれた。誠は反動で膝をつき、棒をしっかり握り締める。護村の焔は発動したのだ。
「中へ! 中へ入れ!」誠は叫ぶ。村人たちはその光の下に押し込められるようにして、石畳に身を寄せた。茜は誠の横で息を切らしながら、手持ちの器具で小さな火の流れを抑える。守ることが目的だ。誠はこの力を攻撃には使えない。目の前の家臣たちは倒れず、ただ後退を余儀なくされる。誠は自分の信条に従い、相手を傷つけない代わりに、守りの壁を立てた。
最初の波はしのげた。だが直後、結晶の共鳴は強まり、空気に鋭い音が走った。遠くから群れをなした魔物が一斉に押し寄せ、護りの膜にまともにぶつかる。誠は棒を握る手の力を緩められなかった。彼の体が熱に包まれ、皮膚の下から古い疲労が引き摺り出されるような痛覚が走る。護村の焔は、単なる防壁ではなく消火・治癒・増強の作用を同時に行っていた。村人の体温は下がらず、傷は瞬間的に癒え、精神は安心へと傾いた。誠は自分が回復力を村に分け与えているのを感じる。
だが力には代償があった。第一回目に発動したときですら、誠の身体はぐっと老け込んだ。今夜はそれよりもはるかに大きな出力を求められている。彼は覚悟を決め、さらに誓いを重ねた。火かき棒は土に深くめり込み、深い音を立てる。炎の輪は鋭さを増し、魔物を押し返すと同時に、倉から流出した幾つかの炎の手を抑えた。だが保護のまま、近くの家屋の一部が焦げた。誠はそれを見て、胸が痛んだ。防護を優先した結果、被害は最小限にとどめたつもりでも、家の壁の硝子は溶け、屋根の端が煙を上げる。村人の誰かが肩を震わせ、怒気と恐れを滲ませた。
護村の焔が続く中で誠の体に異変が生じた。筋肉の繊維が収縮し、顔の輪郭が摺り減ったかのように細かい皺が走る。髪の根元に灰色の筋が入り、手の甲に古い火傷の痕が浮かんだ。呼吸が浅く、胸が石のように重くなる。茜は顔をしかめ、誠の腕に手をかけた。
「誠、無理を……」彼女は言葉を噛み締めた。だが誠は首を振る。守るべき者が傍にいる限り、能力を止めるわけにはいかない。彼は誰も攻撃しないよう、自分の力が相手を痛めつけぬように集中した。護りは優先。攻撃は禁忌だ。
しかし、代償は他にもあった。護れた者のうち二人――老女の浜田ユキと、若い父親の佐山辰夫――が、発動後におかしな様子を見せた。浜田は息を整えた後、自分の座っていた縁側の敷物の縁模様の色を思い出そうと眉を寄せた。「確か……赤と白だったはずだが」と言って首をかしげる。辰夫はポケットから取り出した小さな木片を見て、笑いながら誰かに言う予定だった言