傷貨の聖女 第5話「第4章」
朝の光は薄く、雪で滑るようにして診療所の窓から差し込んだ。外では鉱夫たちが既に動いている。彼らの胸に当てられた右手は、昨日と変わらず白い粉をぬぐう習慣のように見えた。だがリゼットにはその仕草が祈りでも礼儀でもないことが、もうわかっていた。胸への手は、疼きを確かめる指先の帰結だった。
朝の光は薄く、雪で滑るようにして診療所の窓から差し込んだ。外では鉱夫たちが既に動いている。彼らの胸に当てられた右手は、昨日と変わらず白い粉をぬぐう習慣のように見えた。だがリゼットにはその仕草が祈りでも礼儀でもないことが、もうわかっていた。胸への手は、疼きを確かめる指先の帰結だった。
「院長、運びます」ノエラの低い声に続いて、粗末な担架が診療所の扉を擦って入ってきた。布に包まれた男の片脚が、血で滲んでいた。鉱山から来たという名札には「トゥオ」と書かれている。ガルドが肩で担ぎ、顔を伏せた妻がついてきた。彼女の眼には渇きと計算が同居している――誰も責めることはできない目だ。
リゼットは手袋をはめる前に、まず声を張った。「説明します。触れて治すにはあなたの同意が必要です。傷を金属へと移す代わりに、痛みの一部を私が感じます。処置した後は、金属片は共同基金に入れ、使途はあなた方と町で会議して決めます。それでいいですか?」
妻はその場で一瞬、戸惑った。トゥオはうめき声を上げるが、意識はある。息の荒さ。胸の奥で何かが喀血する気配をリゼットは直感した。だが直感だけで動いてはならない。彼女はここで前世の職能を思い出した――同意がない医療は暴力に等しい。たとえ死を救う可能性があっても、その人と家族の選択を踏み越えてよい理由にはならない。
「やる。お願い」妻が小さく頷いた。言葉は震えているが、意思は確かだ。ガルドも黙って頷いた。ノエラが軽くうなずいて、二人の代理を示す。
リゼットは深呼吸し、睡眠時間を思い出した。昨夜はわずかにしか体を休めていない。熟睡一時間につき一負荷が回復するというルールはいつも頭の片隅にある。彼女は今、一負荷しか回復していないと見積もった。重傷に一負荷で出来ることは限られる。緊急救命の例外は一度だけ使えると規程は許す。彼女はノエラとガルドに確認し、トゥオの生命維持に必要だと双方が認めたときだけ動くことにした。
手を伸ばすと、冷たい布の隙間から煤と血の匂いがした。リゼットは患部に触れ、いつもの手順を繰り返す。声を落として、彼女は状態を説明した。「ここに開放骨折があります。感染の兆候もあります。完全に原因を取り除くには手術と長期の安静が必要です。私ができるのは、痛みと出血の負担を一時的に金属へ移して、あなたが歩けるようにすること。そして、これに伴う代償を記録して共同基金へ入れることです。それで同意いただけますか?」
トゥオは薄く笑って、悪態のように言った。「もう十分人に迷惑かけたくない。妻を恥にしたくない」
妻の肩が震えた。「でも……金を売れば、薬くらい買える。借金も——」
その言葉は診療所の空気を凍らせた。これまでも、金属片はしばしば高値で買われ、家の借金や食料になってきたという話をリゼットは聞いている。だが売却の行為は、傷の負担を隠蔽し、代償を監査しない取引だった。王都や商人が買い取るとき、契約の細則には必ず見えない条項があった。セインが以前、帳簿の小口に残る黒い線のような痕跡を見つけたとき、それは単なる印ではなかった。だがここで指摘するのはセインの仕事だ。今は彼女自身の立場で、目の前の人の痛みと生活を守る必要がある。
リゼットは手を一度引き、妻とトゥオの目を見た。「私の治療で生じる金属は、あなたたちの同意なしに町外へ持ち出しません。共同基金に入れ、用途は皆で決めます。薬と休業補償が必要なら、まずそこから出します。売ってしまえば、誰があなたの本当の痛みを保証するのか、どれだけ休んでいいのかはわからなくなります。代償の行き先を隠すと、痛みは消えず誰かの帳簿の下に埋められるだけです」
妻の目に涙が溜まる。トゥオは荒い呼吸を抑えながら、かすれた声で言った。「君は……王女様でもないのに、なんでそんなことを言う?」
リゼットは一瞬、自分が皇族の庇護を受けていたことを思い出したが、すぐに冷静に答えた。「私はここにいるのは治療のため、だけど治療が資源である以上、使い道は合意のものにしなければならない。あなたたちの生活が長期的に守られるようにするために、今は金を売らない選択をしてほしい。短期の現金は魅力的だ。だが多くの人はその現金で薬を買い、また次の稼ぎを取り戻すために傷を隠す。繰り返しになる。共同で負担を分ければ、誰もが休める」
ガルドが割って入る。「でもさ、町には商人が来て『高く買う』と言ってる。今、この場で金を金に換えれば、家がつぶれるのを免れられるんだぞ。みんなのためだ、って言われたらどうする? 働けなくなると、本当に家がどうにかなってしまう」
「それが問題なんだ」ノエラが静かに言った。「短期の利益で目先を繕っても、君たちの体は修復されない。休める仕組みが必要だ。休めないなら、休めない代償として誰かが負担を背負うことになる。制度は常に誰かを『損耗』として計上してしまう」
その言葉に、診療所の空気がさらに重くなる。鉱夫の妻がハンカチで目を拭う。金は眼前の問題を解く鍵のようだが、それは同時に、痛みを目に見えないままにする鍵でもある。
リゼットはゆっくりとトゥオの指先に触れ直した。炎のように鋭い痛みが、彼女の内側へ流れ込む。喘ぎと咳と、胸の圧迫感。煤が粘る。彼女はその断片を追体験し、吐きそうになった。治癒は痛みを「消す」わけではない。それを別の形へと移すことだ。リゼットは牙を噛みしめ、手を押し当てる。金属が生まれる感触はいつも冷たい。少しずつ、開放された負担が指先から金属片へと凝縮していくのがわかる。
生まれたのは銀の小片――重さはトゥオの骨折と感染の重さに応じている。表面に細い黒い線が走っているのがリゼットにはすぐにわかった。それは向かうべき方向を示すかのように、外側へ伸びていた。王都の方角を向いた線だと、彼女は無意識に思った。思い出すだけで胸の奥が冷たくなる。
妻がそれを見て息を飲んだ。「買い取ってくれる者がいる」
「それならば」とリゼットは言い切る。「共同基金へ入れます。基金は透明に使います。まず傷の治療と休業補償を優先します。残った金を、教育や予防設備に回す。ここにいるあなたたちが、未来に同じふらつきを繰り返さないようにするためです。売るか残すか、あなたたちが選んでください。だが選ぶなら、何を選ぶのか、その先を知っておく必要がある」
ノエラが傍らのテーブルから簡素な用紙を取り出した。すでに彼女が用意していた聞き取り票と暫定の基金規約だ。セインも現れ、薄手の帳面を抱えていた。ペンが回される。トゥオの妻は手が震えたが、やがてペンを取り、署名欄に名前を書く。書いた文字はぎこちないが確かだった。周りの幾人かがそれを見て、自分の顔を伏せたまま頷く。選択の輪が小さく広がる。
「だがどうして、共同で分けるべきだと言えるの?」ガルドが言葉を荒げる。「俺たちが稼げなくなったら、家は食えない。市の商人が一回で三倍の金をくれるなら、それで妻の薬を買う――それが悪いことか?」
リゼットはテーブルの中央に出来た銀片を指差した。銀の表面で黒い線が細く震えている。光のあたりかたで線は濃く浮かんだ。彼女は言った。「それが悪いことかどうかは、あなたたちが決める。だが決める前に、契約の細