深夜二時の小さな国境

深夜二時の小さな国境 第9話「第八章:午前二時四十五分の決断」

境界の道の終わりには、巨大な鉄製の門がそびえ立っていた。 門の向こう側からは、シエラでは決して見ることのできない、眩いばかりの光が漏れ出している。その光は七色に揺らめき、まるで無数の宝石を砕いて散りばめたような輝きを放っていた。あそこが、対岸の街「ルナ」なのだ。 だが、門の前には再びサカキが立ちはだかっていた。彼は小屋にいた時よりもいっそう巨大に見え、その外套は夜の闇そのものを縫い合わせたかのように深く、重厚だった。 「午前二時四十五分。開門の時間は残りわずかだ」 サカキは懐中時計を取り出し、カチリと音を立てて閉じた。 「少年はすでに通行料を支払った。だが、門をくぐるにはもう一つの過去が必要だ

境界の道の終わりには、巨大な鉄製の門がそびえ立っていた。
 門の向こう側からは、シエラでは決して見ることのできない、眩いばかりの光が漏れ出している。その光は七色に揺らめき、まるで無数の宝石を砕いて散りばめたような輝きを放っていた。あそこが、対岸の街「ルナ」なのだ。
 だが、門の前には再びサカキが立ちはだかっていた。彼は小屋にいた時よりもいっそう巨大に見え、その外套は夜の闇そのものを縫い合わせたかのように深く、重厚だった。
「午前二時四十五分。開門の時間は残りわずかだ」
 サカキは懐中時計を取り出し、カチリと音を立てて閉じた。
「少年はすでに通行料を支払った。だが、門をくぐるにはもう一つの過去が必要だ。この街は、二人で一人分の物語を共有することを許さない。越える者すべてが、自らの荷を下ろさねばならんのだ」
 奏が玲の前に立ちはだかった。
「僕が、もう一つ払います! まだ記憶はある。学校のこととか、友達のこととか……」
「無駄だ、少年」
 サカキの声が低く響いた。
「お前の首の痣を見ろ。すでに記憶の欠損が魂の均衡を崩し始めている。これ以上差し出せば、お前は自分という存在さえ物語として失い、ただの空っぽの器になるだろう。それは越境ではなく、消滅だ」
 玲は奏の肩を掴み、彼を後ろに下げた。奏の顔は青白く、呼吸は浅い。彼は玲のために、すでに限界まで自分を削っていたのだ。
 玲はサカキの前に立ち、自分の喉を指差した。
 サカキは薄く笑った。
「ほう、それを差し出すか。三年間、お前が誰にも触れさせず、自分の中だけで温め、育ててきた『沈黙の種』を。それは単なる記憶ではない。お前の魂の一部と化した呪いだ。それを手放せば、お前は『悲劇のヒロイン』という役割を失うことになる。それでもいいのか?」
 玲は迷わなかった。ノートを取り出す暇もなかった。彼女はただ、サカキの瞳を真っ直ぐに見つめ、強く頷いた。
 母の死を自分のせいだと思い続けることで、自分を罰し続ける日々。それはある種の安息でもあった。苦しんでいる限り、母を忘れていないと自分に言い聞かせることができたからだ。けれど、その独りよがりの罰が、今、最愛の弟を壊そうとしている。
 玲は心の中で、喉の奥にある石に語りかけた。
(もういいよ。あなたは私だけのものじゃない。お母さんが言った通り、物語にするわ)
 サカキの手が、玲の喉元に触れた。
 氷のような冷たさが全身を駆け巡った直後、燃えるような熱さが喉を焼き尽くした。玲は悲鳴を上げようとしたが、やはり声は出ない。代わりに、喉の奥から黒い煙のようなものが溢れ出し、それがサカキの手の中で、一冊の古びた本へと姿を変えていった。
 その本には、事故の夜の雨音も、母の最期の温もりも、玲が流したすべての涙も、余すところなく記されていた。
 玲の喉から重い石が消えた。物理的な重みがなくなったわけではないのに、まるで重力から解放されたかのように体が軽くなった。
「受理した。見事な物語だ、少女よ」
 サカキが傍らに退くと、巨大な鉄門が重厚な音を立ててゆっくりと開き始めた。