呼吸する街路樹の下で

呼吸する街路樹の下で 第1話「プロローグ:熱波の予兆」

アスファルトが吐き出す熱気は、夜になっても引く気配がなかった。扇動市の中心部を貫く大通りは、昼間の熱をそのまま閉じ込めた巨大なオーブンのようだった。 高校二年生の梓は、塾の帰りに駅へと続く並木道を歩いていた。首筋を伝う汗が不快で、ハンカチで拭ってもすぐに新しい湿り気が肌を覆う。街灯の光が歪んで見えるほどの陽炎が、深夜近いというのに路面から立ち上っている。 その時だった。 「……え?」 梓は足を止めた。街路樹として植えられた巨大なプラタナスの葉が、微かに、だが確かな意志を持って光っていたのだ。 最初は、近くのネオン看板の反射かと思った。しかし、その光は葉の葉脈に沿って走り、ぼんやりとした青白い文

アスファルトが吐き出す熱気は、夜になっても引く気配がなかった。扇動市の中心部を貫く大通りは、昼間の熱をそのまま閉じ込めた巨大なオーブンのようだった。
 高校二年生の梓は、塾の帰りに駅へと続く並木道を歩いていた。首筋を伝う汗が不快で、ハンカチで拭ってもすぐに新しい湿り気が肌を覆う。街灯の光が歪んで見えるほどの陽炎が、深夜近いというのに路面から立ち上っている。
 その時だった。
「……え?」
 梓は足を止めた。街路樹として植えられた巨大なプラタナスの葉が、微かに、だが確かな意志を持って光っていたのだ。
 最初は、近くのネオン看板の反射かと思った。しかし、その光は葉の葉脈に沿って走り、ぼんやりとした青白い文字を形成していた。
 梓は恐る恐る、一本の木に近づいた。目の高さにある大きな葉に、見覚えのある筆跡のような文字が浮かんでいる。
『もう、無理だよ』
 心臓が跳ねた。それは、梓が今日、進路指導の面談で担任に言いたくて、結局飲み込んだ言葉だった。誰にも言っていないはずの、胸の奥に沈めたはずの泥のような本音が、夜の静寂の中で光り輝いている。
 梓は慌てて周囲を見回した。幸い、周囲に人はいない。彼女は震える手でその葉を掴み、自分の体で隠すようにして立ち尽くした。
 足元から、地響きのような低い音が聞こえた気がした。それは都市が、あるいは地球が、苦しげに吐き出した深呼吸のようだった。
 観測史上最高の熱帯夜。それが、すべての始まりだった。