雨を集める宇宙港 第1話「プロローグ:乾いた呼び声」
高度五千メートル。そこは、呼吸すらも贅沢品に感じられる場所だった。 カナタは、ナノカーボン製の親綱に命を預け、軌道エレベーターの外壁にしがみついていた。眼下に広がるのは、かつて青かったはずの地球だ。しかし今、その大半はひび割れた茶褐色の肌を露呈させ、熱波に焼かれている。 唯一の例外は、カナタの足元に広がる巨大な半透明の膜――「捕雨膜(アクア・ベール)」の直下だけだった。 「……こちら整備班、カナタ。第四区画のベアリング点検、完了しました。異常なし」 ヘルメット内の通信機に吹き込む声が、自分のものとは思えないほど掠れている。宇宙港《スカイ・アンカー》の居住区は水が豊富だが、作業中の緊張と乾燥は、
高度五千メートル。そこは、呼吸すらも贅沢品に感じられる場所だった。
カナタは、ナノカーボン製の親綱に命を預け、軌道エレベーターの外壁にしがみついていた。眼下に広がるのは、かつて青かったはずの地球だ。しかし今、その大半はひび割れた茶褐色の肌を露呈させ、熱波に焼かれている。
唯一の例外は、カナタの足元に広がる巨大な半透明の膜――「捕雨膜(アクア・ベール)」の直下だけだった。
「……こちら整備班、カナタ。第四区画のベアリング点検、完了しました。異常なし」
ヘルメット内の通信機に吹き込む声が、自分のものとは思えないほど掠れている。宇宙港《スカイ・アンカー》の居住区は水が豊富だが、作業中の緊張と乾燥は、常に喉を砂漠に変えてしまう。
『了解、カナタ。あまり根を詰めるなよ。お前の親父さんみたいに、空の機嫌を取りすぎると身を滅ぼすぞ』
通信の向こうで、師匠のゴンドウが皮肉混じりに笑った。カナタは答えず、ただ目の前の巨大な膜を見つめた。
直径数キロメートル。雲を捕らえ、その水分を強制的に結露させて地上へと流し込むこの装置は、人類が宇宙へ進出するための「命の綱」だ。軌道エレベーターを動かす推進燃料の生成には、膨大な水が必要になる。そして、その水はすべて、この空から奪い取ったものだった。
その時、カナタの耳元で、公式チャンネルとは異なる微弱なノイズが混じった。
『……ナタ……カナタ、聞こえる?』
心臓が跳ねた。それは、宇宙港の強固な情報遮断網を潜り抜けて届いた、地上の「下流域」からの私的通信だった。
「リア……か?」
『よかった、繋がった。ねえ、カナタ。もう三ヶ月、こっちには一滴も雨が降っていないの。給水車も来なくなった。町の人たちは、みんな宇宙港を見上げて呪ってる。あんなに大きな雲が、あなたの頭の上にはあるのにって』
リアの声は震えていた。彼女はカナタの幼馴染で、今は干ばつが最も深刻な地域のボランティアをしている。
「こっちは……公社の管理下だ。僕にはどうすることもできない」
『わかってる。でも、おじさんは……レンさんは、何か方法があるって言ってたんでしょ? この膜を、ただ水を奪うだけの機械にしない方法があるって』
カナタは息を呑んだ。父、レン。この捕雨膜の主任設計者でありながら、五年前、「システムの基幹データを破壊しようとした」という罪で追放された男。
「父さんの話は出すな。あいつは……僕たちを捨てて、勝手な理想を押し付けようとしただけだ」
カナタは通信を切った。指先が震えているのは、高度五千メートルの寒さのせいだけではない。
点検用のハンディ端末に目を落とすと、そこには本来の設計図には存在しない、不可解な回路のバイパスが赤く表示されていた。昨日、偶然見つけたものだ。父が残した「呪い」なのか、それとも――。
その時、宇宙港全体を揺るがすような重低音の警報が鳴り響いた。