夜の交差点にだけ咲く花

夜の交差点にだけ咲く花 第1話「プロローグ:赤い光と静寂」

雨は、すべてを塗りつぶすために降っているようだった。 三年前のあの日、湾岸再開発地区「汐留ネオ・ジャンクション」の入り口にある六角交差点は、まだ工事用フェンスに囲まれてはいなかった。夜の帳が下りる頃、街灯の光が濡れたアスファルトに反射し、まるで鏡の上を歩いているような錯覚を覚えさせたのを覚えている。 「柚葉、遅いよ!」 姉の葵が、横断歩道の向こう側で大きく手を振っていた。彼女はいつもそうだった。待ち合わせの時間より少し早く来て、退屈そうにスマートフォンをいじりながら、私の姿を見つけると弾けるような笑顔を見せる。その日、葵はオレンジ色のカーディガンを着ていた。雨の中でも、彼女の周りだけが暖かな光

雨は、すべてを塗りつぶすために降っているようだった。
 三年前のあの日、湾岸再開発地区「汐留ネオ・ジャンクション」の入り口にある六角交差点は、まだ工事用フェンスに囲まれてはいなかった。夜の帳が下りる頃、街灯の光が濡れたアスファルトに反射し、まるで鏡の上を歩いているような錯覚を覚えさせたのを覚えている。
「柚葉、遅いよ!」
 姉の葵が、横断歩道の向こう側で大きく手を振っていた。彼女はいつもそうだった。待ち合わせの時間より少し早く来て、退屈そうにスマートフォンをいじりながら、私の姿を見つけると弾けるような笑顔を見せる。その日、葵はオレンジ色のカーディガンを着ていた。雨の中でも、彼女の周りだけが暖かな光に包まれているように見えた。
「ごめん、ゼミが長引いちゃって」
 私は傘を差し直しながら、信号が青に変わるのを待った。葵は待ちきれない様子で、歩道の縁石の上でステップを踏んでいる。彼女の手には、何か小さな包みが握られていた。
「いいよいいよ。それより見て、これ。今日の戦利品!」
 葵がその包みを掲げようとした瞬間、信号機がカチリと音を立てて切り替わった。
 青から黄へ。そして、運命の赤へ。
 葵は止まらなかった。いや、止まれなかったのかもしれない。彼女は笑顔のまま、一歩を踏み出した。
「あ……」
 視界の端から、巨大な鉄の塊が飛び込んできた。ブレーキの叫び声が鼓膜を突き破る。大型トラックのヘッドライトが、雨粒の一つひとつを鋭く照らし出し、葵の姿を白い光の中に消失させた。
 鈍い衝撃音。
 私の手から傘が滑り落ちた。雨が直接肌を打ち、体温を奪っていく。
「お姉ちゃん!」
 駆け寄ろうとした私の足は、見えない鎖に繋がれたように動かなかった。喉の奥で言葉が凍りつき、呼気だけが白く消えていく。葵はアスファルトの上に横たわり、その手からこぼれ落ちた「何か」が、道路の亀裂へと吸い込まれていくのが見えた。
 葵の唇がかすかに動いた。何かを言おうとしていた。けれど、その言葉が私の耳に届く前に、交差点のすべての信号が赤になり、世界は深い静寂に包まれた。
 それが、私が最後に見た姉の姿だった。