百年後の市役所

百年後の市役所 第8話「第7章:遡及的登録のロジック」

志摩は、九条のUSBメモリの中に隠されていた、一つの特殊なファイルを開いた。 タイトルは『凪ヶ浦市・住民基本台帳法附則に基づく特殊救済措置』。 それは、通常の業務では決して目にすることのない、極めて高度な法解釈を用いた「制度の穴」だった。戦後の混乱期、あるいは大規模な自然災害時、全ての身分証明を失った人間を救うために用意された、知られざるセーフティネット。 そこには、二人の保証人と、当時の担当職員による「実態調査報告書」があれば、戸籍を再構築できると記されていた。志摩は、この条文を未来のミナに適用することを思いついた。 「二人の保証人……」 志摩は振り返った。いつの間にか、佐伯老人が彼の背後に

志摩は、九条のUSBメモリの中に隠されていた、一つの特殊なファイルを開いた。
 タイトルは『凪ヶ浦市・住民基本台帳法附則に基づく特殊救済措置』。
 それは、通常の業務では決して目にすることのない、極めて高度な法解釈を用いた「制度の穴」だった。戦後の混乱期、あるいは大規模な自然災害時、全ての身分証明を失った人間を救うために用意された、知られざるセーフティネット。
 そこには、二人の保証人と、当時の担当職員による「実態調査報告書」があれば、戸籍を再構築できると記されていた。志摩は、この条文を未来のミナに適用することを思いついた。
「二人の保証人……」
 志摩は振り返った。いつの間にか、佐伯老人が彼の背後に立っていた。彼はいつもの缶コーヒーを片手に、静かに画面を見つめていた。
「佐伯さん」
「分かっているよ、志摩君。私も、渚さんのあの時の顔が忘れられんのだ。あの子を救えなかったことが、ずっと喉に刺さった骨のように残っていた。この歳になって、ようやくその骨が取れるチャンスが来たのかもしれんな」
 佐伯は静かに、だが力強く言った。
「私が一人目の保証人になろう。元戸籍係の佐伯としてな。私の印鑑なら、まだ有効だ」
 志摩は頷いた。そして、もう一人の保証人の欄に、自分の名前を書き込んだ。臨時職員ではあるが、現職の公務員であることに変わりはない。
 次に必要なのは「実態調査報告書」だ。志摩は、先ほど地下で拾った紙片と、ミナから送られてきた未来のデータを照合し始めた。
 ミナの持つペンダントの模様。それは、市役所の石碑に刻まれた、今は失われた「凪ヶ浦の古い市章」と同じ形だった。そして、彼女の先祖である志摩渚がかつて救おうとした子供こそが、ミナの曽祖父にあたる人物だったのだ。
 志摩は、事務用PCを猛烈な勢いで操作し、報告書を作成していった。
『対象者:ミナ。昭和六十年度の記録において受理保留とされた者の直系卑属であり、現在に至るまで凪ヶ浦の地に潜在的に居住し続けていることを確認した。彼女の所持する遺物は、本市との歴史的連続性を証明するものである』
 それは法的には極めて危うい、言葉の曲芸だった。だが、九条のUSBメモリに残された過去の判例とロジックが、志摩の言葉を補強していく。
 窓の外では、雨が止み、紫色の夜明けが近づいていた。街の輪郭がぼんやりと浮かび上がり、新しい一日が始まろうとしていた。
 志摩は、九条の机の二番目の引き出しを開けた。そこには、使い込まれた重厚な受理印が、静かに横たわっていた。その木製の柄は、多くの人々の願いを受け止めてきたかのように、黒光りしていた。