百年後の市役所 第14話「エピローグ:窓口は続いている」
時は流れ、暦は再び二千百三十六年の八月を指していた。 凪ヶ浦市役所は、かつての面影を残しながらも、最新の環境共生技術によって生まれ変わっていた。壁面は緑の蔦に覆われ、屋上には巨大な集光ドームが輝いている。街全体が一つの巨大な庭園のように美しく、人々は穏やかな生活を送っていた。 夜間窓口のデスクには、一人の若い女性職員が座っていた。彼女の名はミナ。かつて「存在しない市民」だった少女と同じ名を持つ彼女は、この街の住民課で働いている。 かつて世界を襲った気候危機は、過去の人々の懸命な努力によって回避された。海面の上昇は止まり、凪ヶ浦は世界でも有数の美しい港町として知られている。 「ミナさん、夜勤お疲
時は流れ、暦は再び二千百三十六年の八月を指していた。
凪ヶ浦市役所は、かつての面影を残しながらも、最新の環境共生技術によって生まれ変わっていた。壁面は緑の蔦に覆われ、屋上には巨大な集光ドームが輝いている。街全体が一つの巨大な庭園のように美しく、人々は穏やかな生活を送っていた。
夜間窓口のデスクには、一人の若い女性職員が座っていた。彼女の名はミナ。かつて「存在しない市民」だった少女と同じ名を持つ彼女は、この街の住民課で働いている。
かつて世界を襲った気候危機は、過去の人々の懸命な努力によって回避された。海面の上昇は止まり、凪ヶ浦は世界でも有数の美しい港町として知られている。
「ミナさん、夜勤お疲れ様。今日も平和だね」
警備員の老人が声をかける。彼はかつての佐伯の孫にあたる男だ。
「ありがとうございます。今日は静かですね。申請も落ち着いています」
「ああ。平和なのが一番だよ。……おや、あの端末、まだ動いているのかい?」
老人が指差したのは、ロビーの隅に展示されている「歴史遺産」としての古い端末だった。かつて志摩航が使用していた、あの旧式のマシンだ。今はガラスケースに入れられ、大切に保存されている。
「ええ。たまに勝手に電源が入るんです。まるで、誰かを探しているみたいに。不思議ですよね、百年も前の機械なのに」
ミナは微笑みながら、その端末に近づいた。ガラスケース越しに、彼女はそっと端末に触れた。
画面には、ノイズ混じりの映像が映し出されていた。それは百年前の、古びた市役所のロビー。そして、そこには一人の青年が、必死な顔でキーボードを叩いている姿があった。彼の背中には、多くの人々の想いが背負われているように見えた。
ミナは、その青年の姿をじっと見つめた。彼女には分かっていた。この人がいなければ、自分は今ここに立っていなかったということを。この街の美しい景色も、人々の笑顔も、全てはあの夜の決断から始まったのだ。
彼女は端末の「Enter」キーに、そっと指を触れた。
「聞こえますか? 百年前の、私のヒーロー。私たちは今、とても幸せです」
彼女の言葉は、時空を超えて、二千三十六年の志摩の耳に届いたかもしれない。
市役所の外では、百年前と同じ青い花が、月光を浴びて美しく咲き誇っていた。その花びらは、まるで未来からのメッセージのように、風に揺れていた。
窓口は、これからも続いていく。誰かの居場所を守るために。誰かの未来を繋ぐために。
それは、終わることのない、世界で最も静かで、最も尊い仕事なのだから。
凪ヶ浦の夜は、優しく、そして永遠に続いていく。
(完)