灰色砂漠の病院船

灰色砂漠の病院船 第1話「プロローグ:灰の海の境界線」

世界は、音のない灰色に塗り潰されていた。 惑星アッシュ・テラ。かつて青い海と緑の森に恵まれていたというこの星は、数世紀前に起きた未曾有の超巨大噴火によって、そのすべてを灰の下に埋没させた。空を覆うのは重苦しい雲ではなく、成層圏まで吹き上げられた微細な火山灰の層だ。地表には「灰海(かいかい)」と呼ばれる、底の見えない灰の砂漠がどこまでも広がっている。 その死の海を、一隻の白い船が滑るように進んでいた。 巡回病院船《ナディール》。全長百二十メートル、全幅四十メートル。船体は灰の付着を防ぐ特殊な白いセラミック装甲で覆われ、船底から噴射される高圧の空気によって灰の表面を数メートル浮上して航行するホバー

世界は、音のない灰色に塗り潰されていた。
 惑星アッシュ・テラ。かつて青い海と緑の森に恵まれていたというこの星は、数世紀前に起きた未曾有の超巨大噴火によって、そのすべてを灰の下に埋没させた。空を覆うのは重苦しい雲ではなく、成層圏まで吹き上げられた微細な火山灰の層だ。地表には「灰海(かいかい)」と呼ばれる、底の見えない灰の砂漠がどこまでも広がっている。
 その死の海を、一隻の白い船が滑るように進んでいた。
 巡回病院船《ナディール》。全長百二十メートル、全幅四十メートル。船体は灰の付着を防ぐ特殊な白いセラミック装甲で覆われ、船底から噴射される高圧の空気によって灰の表面を数メートル浮上して航行するホバー船だ。
 十九歳の救命士、ソラは、防塵マスクを首にかけ、最上階の展望デッキから外を眺めていた。
「……今日も、何も見えないね」
 呟きは、防護服の襟元に吸い込まれた。視界の端から端まで、起伏のない灰色の丘が続いている。時折、風に舞った灰が渦を巻き、生き物のように船体にぶつかっては砕ける。この惑星において、視界が開けることは稀だ。そして視界が閉ざされるとき、それは死の徴である砂嵐の接近を意味していた。
 ナディール号は、この過酷な灰海に点在する小規模な居住ドームを巡り、医療を届ける唯一の希望だった。だが、ソラにとってその希望は、時として鋭い刃のように自らの心を削るものでもあった。
 突如、船内に鋭い警報音が鳴り響いた。
『緊急入電。居住区第七ドームより救急搬送要請。患者一名、石英病、ステージ四。意識混濁、結晶剥離が始まっている。繰り返す――』
 ソラの背筋に冷たいものが走った。ステージ四。それは、もはや手遅れに近い状態を意味する。
「ソラ、突っ立っている暇はないわよ。第三ハッチへ急ぎなさい」
 背後からかけられた声は、氷のように冷たく、しかし揺るぎない響きを持っていた。振り返ると、そこにはナディール号の船長兼主任医師である母、リナが立っていた。彼女の白い白衣には一点の汚れもなく、その瞳には感情の欠片も見当たらない。
「はい、母さん……いえ、リナ先生」
 ソラは慌てて駆け出した。ナディール号の救命士として、そして「救えない命」と向き合う一人の人間として、彼女の長い一日がまた始まろうとしていた。