消える方言のラジオ局 第13話「第十二章:晴れゆく港」
気がつくと、真帆は広場の石畳の上に倒れていた。 空を見上げると、そこには数週間ぶりに見る、抜けるような青空が広がっていた。霧は跡形もなく消え去り、夏の太陽が容赦なく照りつけている。海鳥の鳴き声が、かつてないほど鮮明に響き渡っていた。 「……蒼くん?」 隣で同じように倒れていた蒼が、ゆっくりと身を起こした。 「……ああ。終わったんだね、本当に。空が……あんなに青かったなんて」 二人は顔を見合わせ、泥だらけの顔で笑い合った。 町の方を見れば、人々が戸惑いながらも、互いに声を掛け合っている姿が見えた。 「あ、あの……魚市場はどこでしたっけ?」 「ほら、あそこですよ! あなじ岬のすぐそばの! 思い出し
気がつくと、真帆は広場の石畳の上に倒れていた。
空を見上げると、そこには数週間ぶりに見る、抜けるような青空が広がっていた。霧は跡形もなく消え去り、夏の太陽が容赦なく照りつけている。海鳥の鳴き声が、かつてないほど鮮明に響き渡っていた。
「……蒼くん?」
隣で同じように倒れていた蒼が、ゆっくりと身を起こした。
「……ああ。終わったんだね、本当に。空が……あんなに青かったなんて」
二人は顔を見合わせ、泥だらけの顔で笑い合った。
町の方を見れば、人々が戸惑いながらも、互いに声を掛け合っている姿が見えた。
「あ、あの……魚市場はどこでしたっけ?」
「ほら、あそこですよ! あなじ岬のすぐそばの! 思い出した、あそこだ!」
人々の口から、自然と言葉が溢れ出している。完全に元通りではないかもしれない。失われた記憶もあるだろう。それでも、彼らは自分の声で、自分の居場所を確認し始めていた。
真帆は急いでFM局へと走った。
スタジオでは、澄江が呆然とマイクの前に座っていた。
「おばあちゃん!」
真帆が飛び込むと、澄江はゆっくりと振り返り、その瞳に涙を溜めた。
「真帆……。ああ、真帆。どこに行っていたんだい。心配したよ。あんたの声、聞こえたよ。とても綺麗な声だった」
その声には、はっきりとした「認識」が宿っていた。祖母は、真帆を忘れていなかった。
「ごめんね、おばあちゃん。ちょっと、言葉を探しに行ってたんだ。お父さんに会ってきたよ」
真帆は澄江を抱きしめた。
数日後、FM霧ノ浦は放送を再開した。
町長の門倉は、あの一件以来、体調不良を理由に辞職した。彼は去り際に真帆の元を訪れ、「航平くんに、すまなかったと伝えてくれ」と短く言い残した。再開発計画は白紙に戻り、町は再び、ゆっくりとした時間を取り戻しつつある。
真帆は今、スタジオのパーソナリティ席に座っている。
「皆さん、こんにちは。FM霧ノ浦、『霧のあとのティータイム』の時間です。今日の霧ノ浦は、とてもいい天気ですね。海がキラキラ光っています」
真帆の声は、もう震えていない。
ミキサーの向こうでは、蒼が新しい機材の調整をしながら、真帆に合図を送っている。
真帆の傍らには、一本のカセットテープが置かれている。父が残した白テープ。真帆はそれに、新しいラベルを貼った。
『霧ノ浦の新しい物語 第一巻 汐見真帆』
「さて、今日は町の方から届いた『新しい言葉』の紹介をしたいと思います。最近、港の子供たちの間で流行っている言葉があるそうで……」
真帆はマイクに向かって微笑んだ。
言葉は消える。記憶も薄れる。けれど、誰かに届けようとしたその声の響きだけは、霧が晴れた後の空に、いつまでも残っているはずだ。