灰翼厩務員と王都の空火事

灰翼厩務員と王都の空火事 第3話「第二章」

朝の冷気が厩舎の木鼻を撫でる。薄く斜めに差し込む光が、灰翼獣の列の側面をひとつずつなぞった。何かが違うのは、獣たちの目の奥にまだ眠りきれない緊張が残っているからだ。トウマは寝台から体を起こし、腰にぶら下げた小さな手巻きノートを開いた。昨夜書きつけた項目を指で追う——餌の減り、床板の振動、蹄環の摩耗、そして床下から這い上がった青白い線の位置。記録。それが自分に残された確かなものだと、彼は改めて思う。

朝の冷気が厩舎の木鼻を撫でる。薄く斜めに差し込む光が、灰翼獣の列の側面をひとつずつなぞった。何かが違うのは、獣たちの目の奥にまだ眠りきれない緊張が残っているからだ。トウマは寝台から体を起こし、腰にぶら下げた小さな手巻きノートを開いた。昨夜書きつけた項目を指で追う——餌の減り、床板の振動、蹄環の摩耗、そして床下から這い上がった青白い線の位置。記録。それが自分に残された確かなものだと、彼は改めて思う。

今日、処分の札が付けられた幼獣が連れてこられると聞いていた。外から引かれる小さな車輪の音が、静かな厩舎の廊を刻む。扉が開くと、湿った土と獣の吐息が混じった匂いが入ってきた。連れて来られたのは大人の灰翼獣と比べても小さく、羽根はまだ柔らかく、灰色が薄く抜けるかのようだった。右翼の付け根に、白い亀裂が一本、乾いた紙のように走っている。誰が見てもそれは欠陥だ。兵站の者たちがため息をつき、二、三人は顔を背けた。鉱山への配属は妥当だという声が浮かぶ。

だがトウマは、その白い筋を見た瞬間に、胸の底で何かがつまるのを感じた。手が勝手に伸び、獣の脇腹へそっと触れる。皮膚は熱くもなく冷たくもなく、ただ微かな振動が伝わってくるだけだ。指先に細い青白い脈が走る。彼の目にだけ、その脈は色を伴って脈打った。だが掌の表面は冷たく、まぶたの裏に薄い霞が立つ——長時間使えば記憶が薄れる、あの感覚を彼は思い出していた。

「この子は……」厩務長のバルドが言葉を切る。老人の声は低く、疲れとは別の慎重さが混じっていた。「飛べない、とは言い切れない。だが確かに普通ではない」

「飛べない獣は、前線の負担になって、他にも危ない」出入りの担当がすぐに続ける。軍の決定は早い。使えないものは使わない。だがトウマは重たい手つきで那智布片を取り出し、その獣の翼の縁をそっと拭ってみた。布が血のようなものを拾うことはなかった。代わりに、薄い白い粉が布に残る。蹄環の裏で見つけたのと同じ粉だ。指先に付いたざらりとした感触が、トウマの古い経験を揺り動かす。

「ニーヴァだ」その声は小さかった。名札がぶら下がるのを、彼は無意識に見ていた。幼い灰翼獣に名前を付けるのは、たいてい厩務員の仕事だ。名はいつの間にかその獣の匂いと行動に馴染み、呼びかける者が増えるほど獣もそれに反応する。だが今は名札など、何の免罪符にもならない。

リゼットが入ってきたのは、ニーヴァが連れてこられてから間もなくだった。細い体に重ねた衣服の隙間から、彼女のいつもの地図入れが覗く。トウマは彼女に無言で近づき、翼の裂け目を示した。リゼットは眉を寄せ、筆入れを取り出して紙に短い線を描く。手つきは粗末だが確実で、彼女の描く線はいつも「あくまでも地図」で終わらない。機械仕掛けの図面の横にはいつも、一枚の挿絵のように、獣の羽ばたきの周期を書き込む余白がある。

「面白いわ」と彼女は言った。驚いたように、かすかな笑いが口元に浮かぶ。「裂け目自体が、熱を抜くための構造になってるんじゃない?穴ってわけじゃない。方向性がある」

トウマの掌に、青白い脈がまた走る。だが今度は手が湿っている。前夜の床下作業で濡れていたままだった。色が乱れて見え、ノイズが生じる。自分の目を信じるには不完全だと、彼はすぐに理解した。リゼットは紙に描きつつ、言葉を継ぐ。

「風車の羽根と、羽ばたきの周期を合わせれば、熱を無理なく吐かせられるかもしれない。短く速く打てば、吸い込みすぎるかもしれない。遅くして吐き出すタイミングを作れれば、冷却になる」

「治すつもりは無い」とトウマは即座に言った。ニーヴァの裂け目を塞げば根本的な問題は一時的に消えるかもしれないが、獣自身の熱循環を変えると、別の負荷が生まれる。彼は消防士として、救助の場で何度も学んだ。傷を隠して無理に現場に戻すことが、人を道具にすることだと。

「君は何をするつもりだ?」リゼットの瞳は、真っ直ぐ彼を捉えた。図面を片手にしているせいか、途端に彼女は職務めいた口調になる。

「飛ばすのではない。滑空を試す。ひと拍だけ遅らせるんだ」トウマは静かに答えた。彼の中にあるのは、経験の蓄積だ。倉庫の梁が軋む音、煙の奥に見えた青い一本線、炎の見えない構造を読む癖。ここでも同じだった。熱の流れは目に見えないが、動きのリズムには反映される。羽ばたき一つを遅らせることで、白い裂け目は吸い込みではなく放出の方を向くかもしれない。

リゼットは紙面に小さな計測表を引き、羽ばたきの周期の目盛りを書き入れた。数は粗い。だが二人が話をするごとに、その粗さは共同作業で精緻になっていく。やがて、リゼットはちらりとトウマの手首を見る。そこに小さな革紐が巻かれており、節が三つ刻んであった。トウマは咄嗟に視線を逸らす。

彼は昨夜、小指の刃でその革に小さな切り込みを入れていた。能力を使った回数を数えるためだ。今その刻みを見られると、恥ずかしさと不安が胸をよぎる。能力は便利だが代償がある。使うたびに、彼は何かを失う。忘れていいものではない。だからこそ彼は、自分に制限を課していた。革紐はその約束の象徴だ。リゼットは無言でそれを受け止め、代わりに鉛筆を差し出した。彼女の目は、問いでも嘲りでもなく、単なる共同作業者の光だった。

午後になり、試験は小さく始まった。ニーヴァを低い台に乗せ、破れ目の手前に支持台を当てる。トウマは自分の笛を取り、呼吸とタイミングを合わせる準備をした。アシュレイは訓練場の縁に立ち、額に手を当てて空を睨む。彼の顔には不満が残っている。騎手としての誇りと、厩務員を見下す習慣を、まだ完全には捨て切れていない。だがその眼差しには、どこか不安と好奇が滲んでいた。自分の獣を扱うことと、獣そのものの安全が、彼の中で最近入り混じり始めている。

トウマは笛を短く吹いた。笛の音は、訓練場の乾いた空気にふわりと広がる。ニーヴァは一瞬、耳を立て、翼の裂け目からわずかに吐き出される冷気を震わせた。羽ばたきが始まる。最初は小刻みで、獣の筋肉が覚束ない。遅らせる拍を一つ挟むと、白い亀裂から薄い蒸気がまざるように漏れ出す。空気がほんの一瞬、冷たくなるのをトウマは感じた。リゼットは走って紙に線を引く。アシュレイは眉を上げ、思わず声を出しかけるが堪える。

ニーヴァは二度三度と滑空を繰り返す。最初のうちは着地がぎこちなく、翼が地面に触れて鳴る。だが一度だけ、彼女は手懸かりなく地面からふわりと離れ、台の上を横切るようにして低い弧を描いた。空気の流れが、その裂け目の向こうで音を変えた。羽ばたきの音が一拍遅れて次に来るように感じられた。音がずれると、身体感覚がずれる。リゼットは驚きで息を漏らし、アシュレイの顔にわずかな驚愕が見えた。

その瞬間、視界の隅で何かがはじけた。第一塔の方角、遠くに立つ塔の一基から、灰色の火花が細く空へ伸びるのが見えた。誰もそれを予想していなかった。ニーヴァはそれを見て、翼を一度震わせた。興奮の波が獣の中に走り、裂け目は逆に熱を引き寄せるように働き始めた。彼女の胸がひくつき、筋肉が凍るように固まる。滑空は途端に崩れ、ニーヴァは急速に高度を失った。

トウマは反射で手を伸ばし、首環を掴んだ。革の冷たさが彼