学園機甲部の合唱隊 第5話「第4章」
規制局の車列は朝の空気を切って学園の門をくぐった。黒塗りのワゴンと白い公用車が並び、制服の生徒たちがいつもより背筋を伸ばして見送る。咲良は校舎の窓からそれを見下ろしていた。祭りの余韻はまだ町に残っているが、学園の周囲には新しい緊張が張り巡らされている。先日の動画が外部に流出したせいだ。副校長の言った「冷たい刃」が、確かにここへ来ている。
規制局の車列は朝の空気を切って学園の門をくぐった。黒塗りのワゴンと白い公用車が並び、制服の生徒たちがいつもより背筋を伸ばして見送る。咲良は校舎の窓からそれを見下ろしていた。祭りの余韻はまだ町に残っているが、学園の周囲には新しい緊張が張り巡らされている。先日の動画が外部に流出したせいだ。副校長の言った「冷たい刃」が、確かにここへ来ている。
「公式視察だって。規制局二課、音律管理担当の巡査長以下五名だそうだ」
理央が窓越しに情報を囁く。彼の声はいつも通り穏やかだが、背後で矢野が機材を点検する音が聞こえた。茜は既に譜面台の前で指揮棒を握り、咲良の肩に軽く触れて励ます。四人で行う公式デモンストレーションのために、和音許諾の書類は町役場を通して整えられている。学園側は手順を守ることで透明性を保ちつつ、地元住民に対する責務を果たすつもりだった。
屋外の格納庫前には展示用に低騒音モードへ切り替えられた歌鎧が置かれている。金属の関節は静かに折れ、胸部の「不在」紋様が昼光の下でうっすらと陰影を作る。矢野が共鳴舷を取り出し、慎重に取り付ける。規制の条件は厳格だった——四声以上、完全五度と長三度の基礎和音を守ること、全員の心拍を記録して同期すること、学園敷地内の距離制限を超えないこと。違反すれば自律ロックがかかり、さらに学園は重い処分を受ける。
「心拍センサーは二重で行く。片方は学園管理、もう片方は私の予備だ」矢野は低い声で言った。彼はいつだって何かを二重にする。信頼のためでもあり、疑念のためでもある。
規制官の隊長は白いワイシャツにネームプレートをつけ、書類を丁寧に並べた。「本日は学園の説明と、現行運用が規則に適合しているかの確認に参りました。学内での保存・文化活動と、音響起動技術の危険性は両立するものではありません。そこを明確にするのが私たちの役目です」
彼の言葉は穏やかだが、言外には厳しさがある。白桐重工の代表が脇に立ち、にこやかに名刺を差し出した。黒縁の眼鏡の下で微かに笑うその男は、学園側が想像していたよりもはるかに陽気だった。
「我々は保存研究に資金を出したい。技術を現代化し、地域の防衛にも寄与できるようにしますよ」白桐の代表はそう言って、大げさな身振りで資料をテーブルに置いた。資料はきれいに製本され、製品化のビジョンが図入りで説明されている。
茜がすぐに前に出た。「ありがとうございます。ただし私たちは文化と声を守る者です。機械が人の代わりに声を奪うようなことだけは、断固反対です」
白桐の男は手を軽く上げて、まるで約束しているかのように微笑んだ。「当然です。規制に従い、倫理を守って運用する。それに、私どもが提供するのはあくまで『調律補助器具』と『距離拡張アンテナ』ですから」
理央は内心の苛立ちを抑えて咲良に目配せした。咲良は首をわずかに振る。白桐の言葉は甘いが、どこか具体性を欠いている。矢野は資料に一瞥して、その紙面の端に小さなメモを見つけた。白桐の提案書の隅に、手書きの注釈がある。それには小さく「応用試験—不協和生成応用検討」と書かれていたが、表向きの提案書にはその語はなかった。矢野は顔を変えずにページをめくるが、その目は冷たく光った。
「見せてくれ」矢野の低い頼み方に、白桐男は気軽にファイルを回した。表面はそれまでの資料と同じく整っていた。しかしページを進めると、技術試験報告の写真に混じって一枚、古い名簿のスキャンがあった。そこに小さな注記があり、名前が並んでいる。下から二行目に、相模真理――という文字列が見えた。矢野の指先が一瞬止まる。
真理の名は既に学内外で知られている。合唱部の元リーダーで、外部合唱団での活動後に学園から離れた人物だ。だが彼女がこの名簿にどうして関わっているのか。矢野は内心で冷たいものを感じ、手際よくそのページを写真に取り、自分の端末に暗号化して保存した。誰にも気づかれないように。
規制官は手続きを淡々と進め、機器の安全テストに同意した。四人は共鳴舷と心拍センサーを装着し、距離制限内での試験運用を始める。音程の基盤は既に茜が組み立てていた。完全五度の積み重ねに長三度を入れて一次和音を作り、咲良がそのトップを取る。合唱は理論に則っている。だがルールは厳格で、ピッチのわずかなずれは機体の挙動に現れる。
「四声、位置よし。心拍同期、三、二、一」茜が合図を送る。矢野のモニターには波形が揃うのが見える。呼吸、鼓動、音の波形が重なり、共鳴舷の光が柔らかく脈打った。歌鎧の胸部紋様が反応して、うっすらと浅い光を漏らす。
咲良は声を出した。彼女の音は祭りの夜とは違い、計算され、制御されている。だが身体の奥に子供のころの断片がちらつく。古歌の一節が、ふと喉の裏に触れたような感覚。規則は「合唱外での歌詞公開」を禁じている。咲良はその禁忌を破らぬよう、歌詞の言葉を頭の中で置き換え、旋律のみに集中した。
合唱は成立した。だがその瞬間、茜が一拍だけ伸ばした高音の切り替えで微妙なズレが生じた。規制官の端末が小さな注意音を一度鳴らす。共鳴舷の閾値が揺れ、歌鎧の右腕の関節がごくわずかに震えた。声のズレは即座に物理へと反映する。矢野は冷や汗を浮かべながら数値を調整し、茜は自分の発声を小さく修正した。
「問題なし、収まった」巡査長が控えめに吐き出す。だが彼の目は、起動の図に刻まれた“空白”の紋様が一瞬強く光ったのを見逃していなかった。学園側は勝ち誇ることなく、手続きを続ける。規制官は安全プロトコルを口にし、データは逐一記録されていった。
そのとき、白桐の代表が別れ際に付け加えた。「設備を少し改良すれば、稼働距離も延ばせます。臨海部や山間の防災にも使えますよ。学園様の研究成果は、もっと大きな意味を持ちます」
茜は反射的に眉間を寄せた。「私たちは文化遺産を守るだけでいい。実用化、民間転用については学園と地域が決めます」
白桐男は一瞬だけ顔を曇らせ、それからすぐに笑って見せた。「当然です。だが公的支援があれば、保存も安定する。私どもは支える立場にありますよ、あなた方のような若い才能を」
理央が咲良の手を軽く握る。言葉は甘く、意味は複雑だ。白桐の提供が学園にとって救いとなる可能性は確かにある。だが矢野の端末に残る一枚の写真は、彼らにとっての「救い」が裏返れば「収奪」になるかもしれないという警告を示していた。
視察は昼過ぎに終わり、規制官たちは一様に書類にサインをする。公的な報告書が後日提出される予定だが、その重みが学園の肩からすぐに消えるわけではない。白桐の名刺は学園側の受付に一枚、存置された。副校長は会議室で重い顔をして、今後の対応を協議することを告げた。
夕方、格納庫横の練習室で四人が残った。空は茜色に染まり、影が長く伸びる。祭りで受けた住民の感謝は胸を温めるが、今日の視察は彼らに別の重さを残していた。咲良は机の上に置かれた共鳴舷の予備パネルを見つめる。胸の中の違和感は消えない。昨日失った小さな記憶の輪郭が、また彼女を避けるように薄れていく。
「今日はよくやったよ」理央が言い、咲良の肩を軽く叩く。茜は譜面を閉じ、矢野は端末のバッテリーを外して充電器に差す。だが矢野の指