ビデオ怪獣館の館主

ビデオ怪獣館の館主 第20話「第18章」

旧庁舎の側面は、夜の空気に浸った古いフィルムの匂いを吐き出していた。鉄製の扉を押し開けると、冷たい機械音と微かな磁気臭が頭を撫で、昴は胸の奥で何かが痙攣するのを感じた。春子はすでに操作台に腰を下ろし、厚い手袋をはめた指先でダイヤルを一つずつ確かめている。こたろうはフィルム缶を脇に並べ、その表面に書かれた小さな走り書きを怯えたように撫でていた。力は外の通路に張り付いているらしく、窓の向こうの街灯に溶け込んだ影がときおり動く。

旧庁舎の側面は、夜の空気に浸った古いフィルムの匂いを吐き出していた。鉄製の扉を押し開けると、冷たい機械音と微かな磁気臭が頭を撫で、昴は胸の奥で何かが痙攣するのを感じた。春子はすでに操作台に腰を下ろし、厚い手袋をはめた指先でダイヤルを一つずつ確かめている。こたろうはフィルム缶を脇に並べ、その表面に書かれた小さな走り書きを怯えたように撫でていた。力は外の通路に張り付いているらしく、窓の向こうの街灯に溶け込んだ影がときおり動く。

「開始の合図は私が出す」春子が低く言った。声の背後で、古いラジオテープの小さな再生機がヒスを伴って始動し、録音された古い声がほのかに浮かんだ。あの声は昴が夢で聞いた声と同じ抑揚を持っていた。導音──初代館主の残したフレーズが、既に何度も練習したテンポを刻む。

昴は胸ポケットから鍵を取り出し、指で焦げ紋の刻みをなぞる。焦げ紋は普段はただの錆びた模様でしかないが、今夜はそれが光の回路になることを彼自身が知っている。春子はフィルム缶をひとつ取り、昴から渡された小さな紙切れをゆっくり読み上げた。その紙切れには、彼が差し出した記憶の断片──港の夕景の光の角度についての細かい描写が書かれている。彼はその言葉を書き出したとき、確かにその瞬間の映像を押し広げるように感じた。だが同時に、胸のどこかで母の顔の輪郭が薄くなっていくのも感じていた。

「フィルムへ書き写す」春子が言い、彼女の指はゆっくりとエッジに漆を塗るように触れた。焦げ紋と紙片の文字が重なると、フィルムの縁が微かに黒光りした。春子の手は確かな熟練で、セルロイドの微細な応力を読み取っていく。彼女はフィルタを装着した装置にフィルムを滑り込ませ、映写機側のゲインを段階的に上げるプログラムを入力した。

「閾値、第一段階。光は低めに。ラジオのテンポは四拍目で揺らす。紙片は一枚ずつゆっくり露出させる」春子の命令に、こたろうがうなずく。こたろうは震える手で缶を固定し、蓋をかすかに回した。缶の中から取り出されたフィルムは、黄ばんだエッジに焦げ紋の痕跡が刻まれていた。それは序盤で見たあの模様と符合する──図形が回路となったとき、そこに何かを誘導するということだ。

最初の光は、スクリーンの上で粒を伴いながらゆっくりと立ち上がった。映写機のプロペラが回る音が、古い木造の天井に反射して、まるで生き物の呼吸のように響く。光の輪郭はまだ小さく、スクリーンの縁をおとなしく撫でているだけだった。だが映像の縁に詰まったノイズが、空気を振るわせているのを昴は感じた。フィルムノイズが増幅するたびに、空気は少しずつ冷たく、灰色に変わっていく。

「二段階。閾値を上げる」春子が告げる。指先の微細な動きでゲインノブを回すと、光が膨らんでスクリーンの表面を越え、床のタイルにまで図像の影を落とした。そこまでで止められれば良かった。彼らはそう知っていた。でも、空白の広がりは待ってくれない。封じるには核を呼び寄せて物語化する必要がある。速さが必要だった。

外から、鋭い金属音が一度だけ鳴った。還写館の残党が侵入を試みたのだ。力が正面の廊下で罵声を上げ、それに応じて反応する足音が複数、石段を駆け上がってくる。力は予定通り敵の注意を引き、旧庁舎の側面へと誘導するために動いた。その姿は頼もしさと危うさの混じった影だった。春子は目を細め、装置のダイヤルをもう一回転させる。

「寄せろ。ラジオに合わせて、光を焦点に集中させるんだ」春子の腕が震えた。ラジオの導音がゆらりと揺れ、初代の声が断片的な詩句を口ずさむ。その瞬間、スクリーンから化け物めいた輪郭が泡のように現れた。フィルムの粒子が凝り固まったように集まり、それが巨大な四肢と背びれを組んでいく。怪獣はフィルムの質感のまま、粒の粗さと焼けたフレーム飛びを身にまとっていた。焦げ紋の模様が胸腔で燻る紋章となっている。

それは圧倒的に映画的で、しかし同時に現実の空気を切り裂いていた。スクリーンの光と実像の境界が薄れていく。周囲の空気が押しのけられ、機械のヒスが急に高くなった。春子は腕を伸ばしてテンポを微調整し、映写の閾値を封じのための想定以内に保とうと懸命だった。だが還写館側の妨害は想定を超えている。廊下の装置からノイズが侵入し、彼らのフィルタリング回路に干渉していた。

「外が持ちこたえられない!」こたろうが叫んだ。彼の声には恐れだけでなく、痛切な覚悟が混じっていた。昴はフィルムの缶をぎゅっと抱え、胸に当てる。紙片で書かれた港の夕景がフィルムに焼き付いている感触が、彼の掌を通して伝わる。その瞬間、掌の中の何かがはじけたように、母の笑いの輪郭がもう一度薄く震え、そして消えた。消えたことは確かに彼に痛みを与えたが、痛みは行為の方向性を確かめるための針でもあった。

外の力が叫びを上げ、還写館のひとりが窓を割って中へ突入しようとした。力は、それを阻むために自らの体を投げ出した。彼は自分の腕で金属のバーを押さえ、ガードを引き剥がそうとする敵を振り払った。昴は外から漏れ聞こえる声に胸が締め付けられ、同時に映写機の表示が危険域へと振り切れていくのを見た。

「閾値を上げる」――春子の声は短かった。彼女は最後の手順を口にした。指が鍵の刻みに触れ、昴は鍵を取り出した。鍵は映写機のサブコントロールに噛み合っており、その小さな回転が光の集中を一気に高める仕掛けだった。こたろうが囁くように言った。「これを回すと、戻れないかもしれないよ」

昴は目を閉じ、胸の内にある描写をもう一度確かめた。港の夕景の光の角度、その時の砂利の音、母の手が風に揺れる感覚。彼はそれらをフィルムにまるごと移し替える準備をしていた。移すとは、文字通りその断片が彼の中から剥がれていくことでもあった。だがもし成功すれば、怪獣は空白の核を物語の核へと変換し、封印することができる。選択肢はただ一つ。遅延は被害を増やす。

昴は鍵を差し込み、ゆっくりと回した。金属が噛み合う感触が掌に伝わる。回転が進むごとに、映写の光は鋭く伸び、怪獣の輪郭がより実体を帯びていく。スクリーンの縁を越え、巨大な影が旧庁舎の高い天井にまで届き、廊下の空気を押し戻した。灰霧が、ほんの数秒のうちに床を這い、脚を冷たく撫でた。春子のフィルタがかろうじて一部のノイズを撥ね返しているが、還写館の干渉波は別の周波で飛来している。

そのとき、力の表情が変わった。彼は廊下の突端で、手にした小さな発電端末を蹴り倒し、そこで生じた火花を意図的に散らした。端末は還写館が設置したノイズ増幅器の一部を焼き切るために配置されたものだ。力は自分の手で時限装置のコードを引き抜き、己の体を盾にして回線を断った。火花が舞い、廊下の空気が一瞬赤く染まる。力はその場に倒れ込み、息を荒げた。誰かが彼を助けようと手を伸ばすが、力は渾身の力で手を振りほどき、笑いにも似た息で言った。「ここは任せろ。記事は、後で書く」

だが発電端末の断が、還写館側の遠隔装置を読み違えさせた。結果、還写館のノイズは反転し、春子のフィルタに向かって強烈な逆位相ノイズを投げつけた。フィルタは軋むような音を立て、表示灯が断続的に赤く点滅した。春子は片手で調整レバーを必死に戻し、も